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インパール作戦の激戦地で見えてきた「インド独立と日本軍」の深い関係

2021年10月20日 公開

岡部伸(産経新聞論説委員、前ロンドン支局長)

 

ボースと会った古老の話

コヒマから車でさらに約20分。急峻な山の崖の上に集落があった。キグマという村である。1944年4月、日本軍がコヒマ攻略に際して野営し、前線基地を設けた場所だ。

補給を軽視した無謀な作戦の命令により多くの将兵を失い、同年5月末、部下の命を救うべく撤退の独断を下した第31師団長、佐藤幸徳(こうとく)中将が過ごした小屋がいまなお村には残されていた。その小屋を案内してくれた古老から、筆者は驚くべき証言を聞いた。

「村の大通りでネタージ(指導者の意で、ボースの敬称)と会った。1944年5月だった。滞在していた佐藤中将と面談した帰りだった。2回見た。新聞などでネタージの顔を知っていたから、間違いない」

キグマ村の長老格で、キリスト教教会の牧師長を務めるキソ・ビクツ氏(当時、97歳)はこのように語った。ボースはビクツ氏に近寄ってきて、「ヒンズー語は知っているか」と聞くと、周りに集まってきた村の住民を広場に集めて、ヒンズー語で講話を始めたという。

「日本軍はナガの村民たちを殺害したり、暴行したりするために進攻したのではない。インドが自由になるためにわれわれインド人と来たので、警戒しないでほしい。長く圧政を敷いたイギリス人は、肌が白くて顔はきれいだが、腹のなかはどす黒い。それに比べて、われわれと同じ有色人種の日本人は清潔で仲間だ。日本軍はイギリス軍を追い出してくれる。だから日本軍に協力して助けてほしい」

精力的なボースの訴えに住民たちは、日本軍への警戒を解いた。米や牛、豚、鶏などの食料や傷病兵のための薬草を密林から採ってきて、軍票と引き換えに日本兵に届けたという。

ボースは、このキグマ村から約10キロメートル離れたチャガマ村に滞在していると話したという。佐藤中将と密談するため、そこから約2時間かけて徒歩でキグマ村を訪れていた。

その佐藤中将がコヒマに進攻する直前から無念の退却をするまで寝起きしていた小屋は、30平方メートルほどの木造家屋であった。当時、ビクツ氏の親戚が所有していたそうだが、佐藤中将に無償で提供したという。

小屋は崖の上にあり、眺望がよい。ここからであれば、コヒマ市内の戦闘の様子もよく見えたであろう。約1000人の日本兵たちは、近くのジャングルでテントを張って野営していたという。

「コヒマ攻略のあいだ、ボースがINAの部下たちとベースキャンプとして滞在したバンガローが、コヒマから約50キロメートル離れたチェサズ村にある」

ビクツ氏は、当時、ボースがチャガマ村とは別に、本格的に居を構えていた拠点を教えてくれた。キグマ村からミャンマー国境方向に東方約40キロメートル、ナガランド州ペク地方のチェサズ村である。竹でつくられたバンガローに、ボースは滞在していたという。

ボースとの調整を担当した日本軍の特務機関「光機関」の一員として、ボースの身の回りの世話をしたという古老たち約20人が(ほぼ全員が90歳を超えていた)、次々に証言し、ボースがコヒマ攻略の4月から5月まで、同地域に滞在していたことが確認された。

現地のチェサズ村では、「INAの反英運動が最も激化した当地でインド独立が産声を上げた」という歴史的な意義から、ボースが滞在したバンガローがあった場所を記念公園として、世界文化遺産への登録申請や、ボース記念軍事学校を設立する計画が検討されている。

 

進むボースの再評価

インパールから南に約20キロメートルのマニプール州モーランには、進攻したINAが1944年4月14日、インド独立の象徴である三色国旗を最初に掲揚したことを記念して、INA戦争博物館(通称、ボース博物館)が開設され、中庭には三色国旗が掲揚されている。

またボースの銅像と、INA創設の記念碑のレプリカも飾られている。この記念碑には、シンガポールに1943年10月に設置されながら、イギリス軍によって撤去されたという経緯があった。

博物館内にはINAの写真や武器、勲章などが展示され、いわばINAの聖地となっている。注目すべきは、INA創設に関わったF機関長の藤原岩市の写真と説明が展示されていることだ。

2018年10月、自由インド仮政府とINA創設の75五周年記念に、マニプール州知事のナズマ・ヘプトゥラ氏から「日本軍とともに英印軍を相手に勇敢に戦い、祖国の自由と独立の礎を築いたネタージが率いたINAに感謝する」という祝意のメッセージが寄せられた。モーランでは、ボースとINAは救国の英雄と位置付けられている。

戦後の長いあいだ、同地ではボースに対する評価は反対に低かった。むしろ、ボースはイギリス支配への「反逆者」「テロリスト」であり、「残忍で野蛮な日本侵略の傀儡」と否定的に捉える「連合国史観」が支配的だったというのだ。

しかし、戦争経験者が高齢となり、その経験を次代に語り継ぐ最後の時期を迎え、「戦勝国の一方的な見方だけでは、事実を公平に理解できない」(INA戦争博物館のジョイレンバ事務局長)という声が上がるようになった。

地元の古老たちに当時の「真実」を尋ねる運動が起こり、ボースが潜入した足跡も判明した。こうしてボースは、祖国を独立に導いた国民的英雄として再評価されるようになったという。さらに、「勇敢に戦い、規律正しい日本兵に目を覚まされ、インドは独立できた」という評価も出てくるようになった。

この背景には、モディ政権が2018年12月30日、アンダマン諸島の1つの島を「ネタージ・スバス・チャンドラ・ボース島」と改名するなど、ボースとINAの功績を復権させようとしていることがあろう。中国と並ぶ新興国として対峙するうえで、インドにふさわしいのは、非暴力のガンジーではなく、大英帝国と戦ったボースであるとの見方がそこにはあるように思える。

 

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