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情報を掴んでいた英軍がなぜ? チャーチルが生涯悔やんだ「シンガポール陥落」の裏側

2021年12月07日 公開
2023年02月01日 更新

岡部伸(産経新聞社論説委員/前ロンドン支局長)

 

お手上げ状態だったイギリス情報機関

イギリスは、お家芸のシギント(通信を傍受して情報を得る諜報活動)から日本の諜報活動をつかんでいた。開戦を約2カ月後に控えた1941年10月15日付のDSOシンガポール支部の報告書の抜粋(10a)では、日本が「第五列」を利用して機密情報を入手していることを察知して、将校も市民も機密情報を公の場で語るべきではないと警告している。

別のM15資料によると、日本の民間人がペナンからシンガポールにかけての土地を購入し、日本のインテリジェンスを担当する軍人がビジネスを装って商社マンや理髪師などに偽装してシンガポールに潜入し、情報を得ていたと指摘している。

 

「F機関」による工作とアジア開放

マレー作戦でイギリスを驚愕させたインテリジェンスを、日本はどのように行なっていたのか。日本側の資料である防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵の中野校友会編『陸軍中野学校』によると、陸軍は戦前、東南アジアで唯一の独立国だったタイの首都バンコクを拠点に、1935年から駐在武官を派遣し、インドシナ駐在武官、台湾方面軍とともに南方情報の収集を行なっていた。

その中心が、公使館付武官の田村浩大佐(当時)だった。田村武官は、早くからインド独立運動の地下組織と連絡を取り続け、南進した場合、「彼ら」を支援することでイギリス軍の背後を攪乱することが可能と結論づけた。「彼ら」とは、イギリスのインテリジェンス組織、DSOが指摘したまさに「第五列」である。

田村武官は参謀本部の承認を得て、1941年9月、参謀本部第二部第八課(謀略課)の藤原岩市少佐(当時)ほか陸軍中野学校(諜報活動の教育)卒業生らを招き、バンコクに「F機関」を発足させた。「F機関」とは藤原機関長の「F」に、フリーダム(自由)、フレンドシップ(友情)の頭文字からその名をつけられた諜報機関であった。

「F機関」は、タイにあった反英の秘密結社、インド独立連盟(IIL)と協力し、ドイツのベルリンに滞在していたインド独立運動の巨魁、スバス・チャンドラ・ボースとの連絡を斡旋するなど、植民地支配からの解放を共通の目的にして彼らを味方につけた。イギリス軍守備隊の7割を占めるインド兵を戦わずして投降させ、反英のインド国民軍(INA)を誕生させたのである。

「F機関」による工作は、やがて燎原の火の如くインドやビルマ、マレーなどでの完全独立へ向けた動きとして広がった。日本は大戦に敗れはしたが、欧州白人によるアジアの植民地支配に終止符を打つという「世界史的成功」を収めたといえる。

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