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習近平はなぜ、独裁体制を確立できたのか?「腐敗撲滅運動」に隠された野望

2022年02月18日 公開
2022年02月21日 更新

石平(評論家)

石平『石平の新解読・三国志』

習近平が推し進めた「腐敗撲滅運動」は、本気で腐敗を撲滅するための運動ではなかった。それはあくまでも、政敵たちを排除していくための武器にすぎなかった。それは同時に共産党幹部に「絶対服従」を強いる脅しとしても見事に機能したのである。

※本稿は、石平著『新中国史 王の時代、皇帝の時代』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。

 

もし「2期10年」のルール通り展開していれば

胡錦濤が党の総書記を務めた10年間、中国共産党の指導体制は文字通りの集団的指導体制となった。総書記の胡錦濤はいわば最高指導部の首班として全体の統括と調整の役割を果たしていたが、独断専行で物事を決めるようなことはほとんどなかったし、それほどの力も度胸もなかった。

その一方、胡錦濤は政治局常務委員の各メンバーに担当する方面の仕事を全面的に任せきる形で政治を行なっていた。たとえば、経済の運営は国務院総理の温家宝に全面的に任せきり、治安と国内統制は、警察・司法など「政法担当」の政治局常務委員である周永康という人物に全権を委ねていた。

このようにして、胡錦濤政権時代の10年間においては、鄧小平が皇帝政治に終止符を打つために確立した指導者定年制と集団的指導体制がほぼ完全な形で実行されていて、中国共産党政権内の不動のルールとして確立できたようにも見えた。

もし胡錦濤政権以後の共産党指導者と指導部が、胡錦濤の時と同じようにこの2つのルールをきちんと守り、共産党の政治がその後いくつかの「2期10年」のルール通りに展開されていれば、ひょっとしたら新しい政治ルールとして確立した定年制と集団的指導体制のもと、中国という国の政治は長年の「皇帝政治」の伝統に別れを告げ、本当の意味での近代化を始めることができたのかもしれない。

そのなかで共産党の政治は依然として独裁であっても、個人独裁による皇帝政治の伝統は、この中国の地において終焉していたかもしれない。

 

習近平個人独裁体制の確立

しかし中国にとっては不幸なことに、2012年11月に開かれた共産党第18回党大会において、鄧小平によってスタートされた「皇帝政治脱出」のプロセスは中断され、「皇帝政治」への復帰が再び始まった。まさにこの党大会において、胡錦濤の後継者として習近平という人物が登場し、共産党政権の最高指導者となったからである。

習近平は、毛沢東・鄧小平と同世代の革命古参幹部を父親にもつ「太子党派幹部」の1人である。「太子党」と近い江沢民一派の後押しがあって胡錦濤の後釡に据えることとなった。

しかし政権を握ったその日から、彼は胡錦濤政権時代までの集団的指導体制と一線を画し、自らの個人独裁体制の確立を目指した。

そのために政権が成立してから1期目の5年間、習近平は毛沢東流の粛清政治を行なって党内の反対勢力を一掃し、自らの権力基盤を強固なものにした。その時、彼が政敵の粛清に使った最大の武器はすなわち「腐敗撲滅運動」の展開である。

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