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たばこと人生のポートフォリオ

2022年05月10日 公開

今村翔吾(歴史小説・時代小説家)

 

人間の成熟度はまだまだ

――直木賞受賞作『塞王の楯』の執筆動機の一つに「なぜ戦争が起きるのか」がある、と聞きました。現下、ロシアとウクライナが戦争をしています。他者への不寛容が国家レベルでも起こっている現状をどうご覧になっていますか。

【今村】たしかに皆、21世紀になってまであからさまに帝国主義的な武力侵略があるとは思っていなかった。でも本質的に見ると、いまの人間の水準ではまだまだ戦争が起きても不思議やないな、と感じます。

経済がグローバル化して新興国が豊かになり、技術力が上がるのに比べて、人の成長がトロくて追いついていない。それどころか、差が開いているかもしれへん。退化とまではいわんけど、まだ軍事力で物事を解決しようとする程度にしか、人間という種は成熟していない。考えてみたら77年前まで第二次世界大戦をやってたし、湾岸戦争、イラク戦争もついこのあいだの出来事です。

不寛容のレベルでいうと、日本人はまだ恵まれてて、アイヌや琉球の人たちも含め、民族や宗教間の対立が少ない。ウクライナ戦争を見るときに、僕らが一言でいえへんような土地の事情や歴史を振り返る必要があります。

僕の事務所のスタッフは20代ばかりで、なぜロシアが侵攻したのか、ウクライナが攻め込まれたのか、まるでわかってへん。ソ連の時代からそれ以前のキエフ公国、タタールのくびきまで遡る必要があるし、本や資料を読んで頭でわかったつもりでも、感覚的に共有しえないものがある。

いずれにせよ武力侵攻はナンセンスで、やっぱりまだ人間はこの程度か、と。むしろ驚いたのは、ウクライナ人が徹底抗戦したこと。いまの日本人に他人が殺せるかどうか、疑問に思うのと同時に、できるかもしれんという怖さも感じますね。

――平和の時代に育った若者を見ていると、とても武器を取って応戦するようには見えません。

【今村】そういうおとなしい人は元寇のときも少なからずいたと思うし、明治維新のときも、太平洋戦争のときもいたでしょう。日本人って、短時間でトリガーが入ったように豹変する民族なのかもしれん、と歴史を見るたびに思うんです。チャラい服装や髪の毛をしてスマホを手に持った子たちがある日、武器を手に持って命を奪うんやないか、と。先の敗戦で歴史が断絶している可能性もあるけど、ウクライナ戦争は他人事やない、と感じますね。

 

人生のポートフォリオ

――集団心理、同調圧力の怖さですね。コロナ下の社会でも、個人が流されてしまいがちです。

【今村】ときどきテレビのコメンテーターをやりますけど、やっぱり本心のすべてはいえへんというか、周りのことを気にしながら話すからね。

個人的にいえば、生き物としての人間が感染症で死ぬのはべつに驚くことではない。なんでそんなに死ぬことを怖がるんやろ、とも思う。死に対して恐怖感がそれほどないというか、当たり前やと。僕はいま37歳ですけど、遺書もとっくに書いてるし、自分が死んだときの段取りもスタッフに伝えています。生前に二作くらい用意しとくから、死後「未発表作が見つかった」といって出せ、とか。まだ書いてへんけど(笑)。

病気にせよ事故にせよ戦争にせよ、人間はいつ死んでもおかしくない。だからといって感染予防とかを怠るわけじゃありません。それとこれとは話が別。本来、死と隣り合わせの生き物が本質を忘れてしまい、うわべだけ綺麗な話が空中で展開されてるような気がするんです。仮に毎日、防護服を着けてコロナ対策をしたところで、横断歩道で飲酒運転の車に撥ねられるかもしれへん。要はバランスやと思う。

いつもスタッフにはいうんよ。「自分は明日、雨が降って階段で足を滑らせて死ぬかもしれん。みんな覚悟しとけ」って。これは僕が歴史小説家やからかもしれない。武田信玄が自分の死を3年間、隠すよう言い残したように、死も人生の戦略の一つに入っているのかも。

――いまおっしゃった「人間はいつ死んでもおかしくない」という人生観は、嫌煙派の考え方とは正反対ですね。彼らは人生の目的はさておき、とにかく健康第一で長生きしたい、と念じている。

【今村】これもテレビではよういわんけど、多少乱暴にいうと、「ただ長生きするだけの人生に、意味あんの?」と。仮に、好きなたばこをやめて健康志向に走った人が交通事故で亡くなったときの無念さを想像すると、めっちゃ悔しいと思うねん。

けど、人間って不思議よね。たばこ嫌いの人がジャンクフードを食べたり、排気ガスの出る車に乗ったりする。僕らがやっているのはけっきょく、自分のなかのポートフォリオ(組み合わせ)づくりでしょう。甘いものを食べる分、運動するとか、たばこを吸うためにお酒をやめるとか。

自分はたばこの優先度が高いので、50歳、60歳、70歳で死ぬパターンをイメージして、どの年代で死んだらスタッフがいちばん苦労するかを想定して、最も該当する10年の生命保険の金額(保険料)を高く設定しています。自分はいつ死んでもええけど、周囲に配慮したうえでバランスを考えるのが人間社会のなかで生きることやし、生き物としても戦略的な選択な気がしますね。

 

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