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さらば、「決断できない」政治

中田宏(元横浜市長/大阪市特別顧問)

2012年07月03日 公開 2022年12月27日 更新

中田宏

変革にはスピーディーな決断が必要

さて、行政の改革にはスピーディーな決断が必要なことは何度も述べてきたが、「痛み」とは別に、もう1つ理由がある。

それはコスト=費用という存在だ。民間企業は、コストには敏感だ。常に費用対効果が意識されているから、スピーディーな仕事が要求される。対して、行政には別の意味のコストが発生している。それは、「民主主義のコスト」だ。

たとえば、市長として私が行政の何らかの組織改編をしようとすれば、スピーディーに事を進めたとして、以下のような流れになる。

まず、市長に就任した初年度に行政内部で議論喚起をし、2年目に有識者たちからの意見聴取を経て計画を策定、パブリックコメントなどを経て条例案を議会で議論、可決してもらう。3年目は決定した案の準備・移行期間となり、4年目でようやく実行に移されるという具合だ。

行政がやることは、すべて法律に規定された手続きに厳密に則っていなければならないし、予算や職員定数などを年度で管理しながら進めていかなければならないから、それこそ、これは最短で進めた場合である。

私の場合、2005年は、私の横浜市長1期目の4年目、最終年度だった。

この年の4月、公立大学法人横浜市立大学がスタートし、横浜市立みなと赤十字病院が開院した。先に述べたゴミの減量化・再資源化の一大プロジェクトである「G30」も、同じく4月にそのシステムが動き始めた。

いずれも、私が市長になった年から全速力で取り組んできたものだが、スタートできるのは最終年度になるのである。

横浜市立大学は、商学部や医学部の4学部と附属病院などを有する総合大学だったが、その累積債務は約 1,140億円にのぼり、毎年運営費として、大学へ約 120億円、附属病院へ約 120億円を市の一般会計から繰り入れていた。

少子化にあって、私立大学では血のにじむような経営努力がなされている。国立大学でも独立行政法人化していた。

私は、横浜市が大学を有する意味を問い、今後の存続に向けた条件等について専門家に諮問した。その結果、(1)大胆な改革で生まれ変わる、(2)私立大学へ売却、(3)私立大学へ転換、(4)廃校、という4案が答申された。

これを受けて、改革案を取りまとめ、条例を変え、公立大学法人として横浜市立大学は2005年4月に再スタートしたのだった。今までは内輪の人事だった理事長、学長等には、外部からの人材を迎えた。

横浜市立みなと赤十字病院は1962年に開院した横浜市立港湾病院の新しい形だった。私が市長に就任したとき、狭隘化や老朽化が進んでいた港湾病院は、隣接地に新築移転することが決まっていた。

ところが、港湾病院の近くには民間病院が複数存在し、当該医療圏内で必要とされるベッド数は足りていたにもかかわらず、ベッド数を約 300から600に倍増して建設に入っていた。

少なくとも毎年40億円以上の赤字を市税から繰り入れる計画だった。私は、市が果たすべき役割は良質な医療供給に責任を持つことであり、非効率な病院を直接経営することではないと考え、見直しを指示した。

専門家たちに議論してもらった結果、新港湾病院は、(1)移譲による民営化、(2)公設民営、(3)地方公営企業法の全部通用、という優先順位で解決策を求めるべきとの答申が出された。

だが、移譲先を探したが条件面で折り合わず、次策の公設民営の法人選定手続きを経て、最終的に日本赤十字社に決定した。

そして、2005年4月に横浜市立みなと赤十字病院として、公設民営の病院に生まれ変わったのだった。これに伴い、市の負担は毎年25億円以上削減することができた。

 

「民主主義が機能していないコスト」を抱える日本

横浜市立大学の改革では、私への誹譲中傷はすさまじかった。公立大学の独立行政法人化の第一号だったので、これを許せば自らにも火の粉が飛んでくると判断した全国の公立大学法人の教授たちから、これでもかとばかりに人格を否定された。

政策論ではない誹諺中傷に、私のほうが大学教授たちの人格を疑ったものだ。

港湾病院の改革では、労働組合が反対運動を扇動し、地域住民の署名も集められ、横浜市議会からも激しい攻撃に晒された。病院も医療もなくなるわけではないのに、当時、地域住民はすっかり「医療切り捨て」と思い込まされていた。

いずれの改革も1年遅れれば、いったいどうなっていたことだろう。どれほどの税金がよけいに支出されたのか考えてみてほしい。

何よりも、市長就任初年度からスピーディーに決断してきたから、最終年度に実現できているが、もしそうしていなければ、頓挫する可能性も大だ。反対運動の結果、2期目の選挙で落選するかもしれないからだ。

もちろん、「スピーディー」といったところで、やっつけ仕事で片付けたのではない。趣旨を説明し、十分な議論をしたうえで結論を求め、実行したのである。

1期4年で何をやるのか、2期8年でどんな成果につなげるのか、しっかり期限を決めて仕事にかからなければ社会は変わらないということが、おわかりいただけるだろう。

礼賛するのとは逆の意味だが、中国は法治国家ではなく人治国家だから、物事の決定が素早い。一党独裁だし、権力者の腹1つで許可も出れば、中止も決まる。だからこそ、世界第2位の経済大国になったとも言える。

そんな国を相手に経済取引をするとなれば、ただでさえ民主主義国は決定が遅いので不利だ。皮肉なことだが、「民主主義のコスト」というハンディがあるのだ。

ところが、我が国は、「民主主義のコスト」と「民主主義が機能していないコストの2つを抱えている。これでは、経済のみならず、国際紛争への対応など、すべてにおいて後手に回ってしまう。

スピーディーに決断する。期限を切って仕事をする――。これが、日本の閉塞状況を切り拓くために何よりも政治に必要な要諦ではないだろうか。

 

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