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ウクライナ兵の素顔は"一児の母"...戦時下で見た「人々の穏やかな日常」

渡部陽一(戦場カメラマン)

2024年01月23日 公開

ウクライナ兵の素顔は"一児の母"...戦時下で見た「人々の穏やかな日常」

戦場カメラマンである渡部陽一さんは、これまで世界中の戦場を取材し、戦場で暮らす人々をその目に映し、生きた声に耳を傾けてきました。悲惨な戦場についてはもちろんですが、戦場に生きる人々の普段の姿も数多く写真に収めています。

ウクライナ戦争のなかでも、ウクライナに訪れ、戦争の中にある日常に触れてきました。悲惨な戦場や戦況ではなく、ウクライナの人々の柔らかな日常について語ります。

※本稿は、渡部陽一著『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

兵士で溢れるキーウの街

都市部のキーウは、ウクライナ軍の管理下で、普段と近い生活ができている。しかし、本当の意味で自由に暮らせるわけではありません。

戦争が始まってからというもの、都市部のインフラは不安定になり、突発的に停電になったり、水が出なくなったりすることがたびたびありました。

またキーウの街はウクライナの兵士で溢れていました。日本でいうと東京駅や日比谷公園のような人が大勢集まる場所に、武器を持ち、全身武装した兵士たちがうろうろして、あちこちで検問をしている様子を想像してみてください。

街を好きに歩いて、買い物をしたりお茶を飲んだりといった暮らしを送ることはできるものの、常に人々が心の中でどこか不自由な思いを抱いている様子がイメージできるでしょう。人々がふつうに暮らしている街を兵士が行き交う風景は、ウクライナに限らず、戦時下にある国に共通して見られる自由を奪われた風景のひとつです。

ただし、ウクライナの取材で特徴的だったことがあります。女性兵士の姿を多く見かけたことです。たとえば、次のような地下鉄の駅。

こうした地下鉄の車両に女性兵士がたくさん乗ってきて、乗客に不審者がいないか確認し、身体検査やパスポートの確認をしていました。ボランティアや義勇兵など、さまざまな方法で志願した女性兵士が、ウクライナを守るために自分たちにできることをやっていこうとする意志を僕は感じました。

 

女性兵士の素顔はふつうのお母さん

キーウの取材中、こんなことがありました。

取材を終えて、滞在していた家に戻ろうとしたところ、道に迷ってしまいました。すると困っている僕を見かけたウクライナ国軍の女性兵士が、「どうしたんですか」と声をかけてくれました。年齢は30歳前後。穏やかで優しそうな人でした。「迷ってしまった」と伝えたら、わざわざ自分の車を出して、僕を家まで送ってくれたのです。

車に乗せてもらっている間、彼女といろんな話をしました。彼女はウクライナ国軍の中で、兵を管理し統率していく管理職のような立場の人だといいます。同時に、子どもを持つ母親でもありました。

もちろん軍の内部のことについて、詳しく話すことはありませんでした。でも、いまのキーウの状態や国民の気持ちについて聞いてみると、自分の思いを話してくれました。

戦争は急に起きたのではなく、それまでもロシアは繰り返し圧力をかけてきていたこと。ウクライナにはいろんな国の人たちが暮らしているので、いろんな問題を突き詰めていくと衝突が起きてしまいかねない土台があること。

だからこそ、ウクライナで暮らす人たちは多様性を重視しながら、寛容な姿勢をもっていろんな民族の人たちと共生しようとしていること。そうした暮らしを支えるのが、ウクライナ国軍のひとつの役割だと彼女は考えているようでした。

国軍で任務にあたる兵士というと、鍛え上げた身体で、激しく銃を乱射して......といったイメージが浮かぶと思います。でも彼女はとても穏やかで冷静。そして、どこの家庭にもいそうなふつうのお母さんでした。

一方で、ロシア軍の兵士はどんな雰囲気だったのか。

ロシア軍は徴兵された若者たちに加えて、義勇兵として参加している外国部隊、さらにはお金で雇われたプロの戦闘兵士もごちゃ混ぜになって部隊を編成していました。

「軍事訓練」といわれてベラルーシにやってきた若者たちが、気づいたらウクライナに入っていて、戦闘に巻き込まれていたというような声も、拘束されたロシアの若い兵士から聞こえています。

 

メディアに映らない戦場の姿

ウクライナの教会

戦争取材とは、爆撃や銃撃が起きているところに突っ込んでいって、撮影をするような仕事ではありません。

戦争中の情勢は刻一刻と変わっていて、現地に入り、現地の方と生活を共にする中で突然、市街地で銃撃が起きるなど、突発的な事件に巻き込まれていく。いきなり戦場に出かけていって写真を撮るぞと思っても、どこで戦いが始まるのか、実は事前にわかることは少ないんです。

たとえば、この動画は2001年から始まったアフガニスタン紛争の取材で、アフガニスタン国内で撮影したものです。

https://d21.co.jp/special/978-4-7993-2980-1/movie03/

目の前にロケット弾が撃ち込まれた。

アメリカを含む多国籍軍対アフガニスタン・タリバン政権の戦い。これはタリバンの攻撃、そして銃撃戦が始まった様子を撮影した動画です。これも、事前に「ここに攻撃がある」と情報を得て撮影したのではなく、たまたまその場面に遭遇して、撮ることができたものです。

もちろん事前に情報を仕入れて、あらかじめ取材のテーマや切り口の見当をつけた状態で現地に入ることはあります。ただ、その場所に行ってみると想像とはまったく違う景色が広がっていることがある。ウクライナ戦争でも、実際に現場に足を踏み入れるまでは、どのような状態になっているかわかりません。

残虐なロシア軍。ジェノサイド。目の前で次々と命が失われていく戦争の現実。その反面、肥沃な大地を持つウクライナ。取材中に、その美しさに触れる機会もたくさんありました。

ウクライナの土地は作物の栽培に適しているといわれます。トウモロコシ、サトウキビ、ひまわり油、特にパンやパスタの原料となる小麦は、世界トップクラスの産出量を誇っています。ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれ、農村にはひまわり畑や小麦畑が広がる美しい光景があります。

また街中に教会がいくつも点在しており、政情が不安定な中でも休日になると、静かに祈りを捧げる市民たちの姿を見ることができます。

キーウはメルヘンな建築物の街並みが広がる芸術の都です。夜になるときれいに着飾った人たちがオペラ劇場に集まり、音楽に耳を傾けています。

キーウ中心部、ドニプロ川沿いには美しい森のような公園があり、恋人たちが手をつないで歩いている。

暗くなってくると食事の時間です。ボルシチやロールキャベツ、肉でつくった餡を皮で包んだ水餃子のようなものを食べながら、ワインを片手にゆっくりと語り合っている。
戦争が始まる前は、世界から、日本からも観光客がたくさん訪れていた、美しい国。
さまざまな魅力があります。

都心の街中にはコーヒースタンドがたくさんあって、多くの人がコーヒーショップで買った大きなサイズのホットコーヒーを手に持ち、ごくごく飲みながら歩いている。
そうした姿にも親近感を覚えます。

 

笑いのある戦場の日常

戦場の中に、日本の僕たちの暮らしと変わらない衣食住があること。これが、僕が戦場や世界の政情が不安定な地域に足を踏み入れるようになって一番驚いたことです。

たとえば、戦時下では結婚や出産をする若者が増えます。危機の中では一人でいるのではなく、家族をつくり、守り、万が一のときにも支え合っていこうと思うのが人間の本能なのかもしれません。

さらには戦争をジョークのネタにしたような商品が、マーケットに並ぶことがあります。ウクライナの取材で見たのは、プーチン大統領の顔の上に大きくバツ印が書かれている柄がプリントされているトイレットペーパー。

ロシア軍の猛攻に数週間耐え抜き、ウクライナ軍の抵抗の象徴となったウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」。そこで兵士たちが武器を掲げて、ロシア軍に対して放送禁止用語を発しているような絵がプリントされたTシャツ。

ウクライナのゼレンスキー大統領は元コメディアンです。ゼレンスキー大統領ならこの戦争に関連づけてどんなジョークやギャグを言うのか、みんなで大喜利のように出し合って、Tシャツの柄にしている。

ウクライナの人たちはジョークが大好きで、笑わせたり、笑ったりする力を持っている。自分たちの国で今、戦争が起きているのに、なぜこんなふうに面白がれるのだろう、リラックスして笑えるのだろうと不思議に思うような光景を、たびたび目にしました。

悲惨な戦地の姿がある一方で、僕たちと変わらない日常が存在している。これが戦場の本当の姿です。今進行している戦争となると、戦況や戦争の行方ばかりが報道されるのですが、そこに暮らす人々の柔らかな日常も、ぜひ知ってほしいと思います。

 

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