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深刻な日本の痴漢犯罪...アンチも多い「抑止バッジ」発案者に届いた意外な声

石井光太(作家)

2024年01月31日 公開

深刻な日本の痴漢犯罪...アンチも多い「抑止バッジ」発案者に届いた意外な声

現代ネット社会では、毎日のように「炎上」が巻き起こっている。中には「炎上しても仕方がない」と思われるようなものもあるが、時には、理不尽な炎上によって、言われなき誹謗中傷を受けたという人たちもいる。

本記事では、そんな理不尽な炎上の一つとして、「痴漢抑止バッジプロジェクト」の例を取り上げる。ノンフィクション作家の石井光太氏による取材から見えてきた、誹謗中傷を乗り越え、本当に社会を変えるために必要なこととは何か――。

 

「痴漢被害者なんて存在しない」と平気で発言するネットの声

先進国の中でも、日本における痴漢犯罪は非常に深刻なものだ。

その背景には、社会に蔓延する「痴漢=冤罪という先入観」と「痴漢被害者の自己責任論」がある。それらが、被害者の声を押し殺し、加害者の犯罪を助長させている。では、それによって、被害者はどのような状況に陥っているのか。

「痴漢抑止バッジ」を作った一般社団法人痴漢抑止活動センターの代表理事・松永弥生氏は話す。

「痴漢抑止バッジがニュースになった時にネットで起きた批判にはすごく考えさせられました。痴漢抑止のためにバッジをつける行為が『自意識過剰だ』『悪いのは痴漢に遭う女性の方だ』と批判されただけでなく、被害に遭ったという現実の出来事さえ、なかったこととして葬り去られてしまいそうになったのです。

具体的には、声を上げた女性は存在しないのではないか、フェミニストのでっち上げではないかといった言い方がネット上でなされたのです」

痴漢抑止バッジは、殿岡たか子という当時高校2年生だった少女が被害を防ごうとしたことからはじまった。これが痴漢抑止グッズを作成するというプロジェクトに発展した時、自らの経験と思いを便箋に書き綴り、記者をはじめとした関係者に公表した。

そこには次のような生々しい体験談も記されていた。

「私をドアに押し付け逃げ道をなくし、降りるはずだった駅を過ぎて知らない場所まで連れて行かれたこともありました。その時はパニック状態で、降りた駅の名前も覚えていません。よく家まで帰れたと思います。

そのほかにも、両手でつり革を持ち周囲に気づかれないように股間を押し付けてくる人。やめてくださいと言っても知らん顔で、両手を上げているので周りも無反応。こういうタイプは対処の仕方がわかりません」

電車の中で痴漢の恐怖に打ち震えた高校生にしかわからない感覚が赤裸々に記されている。この体験を思い出し、言葉にするだけでも、相当な勇気が必要だっただろう。

ところが、である。ネット上で痴漢冤罪論や自己責任論を主張する人たちは、この手紙は捏造されたもので、殿岡たか子という少女は存在しないのではないかと言いだしたのである。

次のような意見だった。

<こんな女性は存在しないんじゃないか。あまりに便箋の文章の字がきれいすぎる。こんなの女子高生の字じゃない。プロジェクトに関係している大人が勝手に書いたものを女子高生の手紙だと言って公表しているに違いない>

手書きで書いた字がきれいすぎるという理由で捏造だと断言したのだ。恐ろしいことに、ネットではそれを支持する声が膨らんだ。

松永と殿岡は、これを前に見て怒りが沸くというより、背筋がぞっと寒くなるような気持ちになったという。勇気をふり絞って声を上げた16歳の少女の声が、誹謗中傷の的になっただけでなく、その存在すらもかき消されていく。

松永は言う。

「事件だけでなく、被害者の苦しみを打ち消すような言葉も多数ありました。その一つが、『痴漢されると気持ち良くなるんでしょ』といった意見です。

日本のアダルトビデオ作品の中には、痴漢を題材にしたものもあります。おそらく、そういう作品を見ることで、誤った知識がついてしまったのでしょう。

怖いのは、こういう考え方が社会に浸透していることです。こうした意見は、被害者が痴漢に遭って恐れ、傷つき、苦しんでいるということ自体を否定することになります」

 

大人がよってたかって若者を「口封じ」しようとする異常な空気

この指摘は的を射ているだろう。

日本には「痴漢モノ」とされるアダルトビデオが数多く製作されて、一つの大きなジャンルを築いている。そればかりでなく、性風俗においても、風俗嬢を相手に痴漢プレイができるサービスがビジネスとして存在する。

アダルトビデオの製作者や風俗店の経営者は、客はこうした動画やサービスが現実ではなく、「ファンタジー」であると認識した上で楽しんでいると主張する。

たしかにその一面はあるかもしれないが、全員が全員そうというわけではない。自己本位な考え方の人や、性的体験に乏しい人は、妄想の中でそれをリアルなものと受け取ってしまうことがある。

事実、私は少年院や刑務所で性犯罪防止プログラムの取材をした時、堂々とそのような主張をする人たちに多数会ってきた。

このような誤った観念が社会に広がれば、被害者は余計に声を出すことができなくなる。「そうは言っても、おまえだって痴漢されて気持ちのいい思いをしているんだろ」と言われるのではないかと思えば、押し黙るしかない。

殿岡は次のように述べる。

「考えなければならないのは、被害者の多くが学生をはじめとした子供であるということです。性の知識に乏しければ、自己主張するだけの力もない。そんな彼女たちの中に、どれだけ大人に対してきちんと物が言える人がいるでしょうか。彼女たちが言うのが怖いと思ったら、痴漢はなかったことになってしまうのです」

すでに述べたように、社会には乱暴な大人たちの「余計なことを言って痴漢冤罪を増やすな!」「おまえが挑発したからだろ!」「どうせ気持ち良い思いをしているんだろ!」といった批判が渦巻いている。

性の経験がない10代の少女が、そんな大人たちに向かって自分の被害体験を話し、意識を変えてくれと話すことなどできるわけがない。悲しいことだが、これが今の日本で起きている現実なのだ。

 

理不尽な判決の悔しさから生まれた「痴漢抑止バッジ」

こうした中で、殿岡はどのように社会の大人の言葉に立ち向かったのか。

殿岡が幸運だったのは、両親が性犯罪に対して高い意識を持っていたことだ。両親は、殿岡がまだ幼い頃に『とにかくさけんでにげるんだ~わるい人から身をまもる』(岩崎書店)という絵本を買い与えた。

誘拐や性被害に遭わないようにするにはどうすればいいかということを考えさせる内容だった。小学校に入る前から、殿岡は自衛の意識を植えつけられていたのだ。

また、殿岡は小学生時代に親の都合で、海外で暮らした経験があった。まったく文化の違う国では、自分の思いを言葉で表現しなければ誰にも伝わらないし、黙っていれば生きづらくなるだけだ。そんな彼女にとって自分で言葉を探し、発信することは自然のことになっていた。

このような背景があったからこそ、殿岡は高校1年で痴漢の被害に遭った時、すぐに母親に打ち明けることができたし、その後も学校や警察に助言をもらいに行くことができた。

「今から思えば、私は環境に恵まれていたと思っています。周りがみんな理解があって、力を貸してくれる人たちだった。でも、日本の家庭では、そういうところの方が少ないかもしれません。性のことについては話せない、自分の思いを口にできないという状況が少なからずあると思うのです」

たしかに日本全体で見れば、殿岡のような家庭の方が少数かもしれない。事実、前出の松永は小学生の時に初めて痴漢に遭ったが、40年以上にわたって誰にも事実をつたえられなかったという。

だからこそ、彼女は殿岡のことを知った時、自分が声を上げなかったことで今の若い子たちが被害に遭いつづけているのだと後悔し、プロジェクトを立ち上げたのだ。

また、殿岡が自分を守るだけでなく、その後もプロジェクトにかかわったのは、加害者が再犯でありながら執行猶予付き判決を受けた経験が大きかった。今のままでは、犯罪が減ることはない。だとしたら何かしらの形で痴漢を抑止する仕組みを作る必要がある。そんな思いで痴漢抑止バッジの製作にかかわったのだ。

殿岡は話す。

「缶バッジを作るという話になった時、良かったという思いと同時に、痴漢がいなければこんなことをしなくても済むのにという気持ちもありました。最初に私が自分で痴漢抑止カードを作った時、周りから『痴漢する方も相手を選ぶよな』と冷たく言われたことがありました。

でも、私は痴漢を避けたいから仕方なくつけていただけなんです。つけなくていいなら、つけたくない。バッジに対しても同じ思いです。バッジが広まって被害者が減ってほしいとは思いますが、本当はこういうバッジをつけなくても安心して電車やバスに乗れる社会であってほしいのです」

痴漢抑止バッジがいくらスタイリッシュだとしても、進んでつけたい少女などいるわけがない。殿岡の言うように、つけるより、つけない方がずっといいのだ。にもかかわらず、そんな少女たちを冷笑し、批判しているのが、無理解な人々の声なのである。

 

誹謗中傷は連鎖する―それでも呼びかけをやめてはいけない

社会に氾濫する痴漢冤罪論や被害者への誹謗中傷。そうした粗悪な言葉と、私たちはどのように向き合えばいいのだろう。

松永は次のように語る。

「私の体験から感じるのは、誰かが誹謗中傷をはじめると、影響されて次々と同じことを言う人が出てくるということです。本来、ネットの言説はきちんと吟味して取捨選択していかなければなりません。しかし、今はそれをせず、目に付いた誹謗中傷に乗っかるようにして誰かを批判することが普通になってしまっています。

彼らがしているのは批判のための批判なので、きちんとした言葉で話し合おうとしてもムダです。批判を楽しんでいる人たちには、何をどう言っても通じない。残念ですが、相手にするのをやめるしかない。ただ、黙っていても耳に入ってくるので悔しい思いはしますけど」

最初の頃、松永は辛抱強く対話をしようと試みたが、すべて徒労に終わったそうだ。そんな彼女たちを精神的に支えたのは、良心を持った人たちから寄せられた温かな言葉だった。

缶バッジのプロジェクトをはじめた時、松永たちはクラウドファンディングを通して賛同者を募った。自分たちだけでやるより、不特定多数の人たちを巻き込んで行わなければならないと考えたからだ。すると、彼女たちのもとに応援の声が次々と集まるようになったのである。

次のような言葉だった。

<学生時代、私も被害者だったから。なのに、何もできずに大人になってしまった。いろんな声に負けずにプロジェクトを立ち上げてくれてありがとう。これからも応援しています!>

<応援しています。数多くの被害に遭い、声を上げられないまま、とても悲しく悔しい思いをしてきました。こんな活動があったら、どんなに心強かったか。大変だと思いますが、どうか負けないで下さい。些少ですが、お役に立てて下さい。>

 

男性からの応援の声もおどろくほど多かった

松永にとって意外だったのが、賛同者の中には男性も少なからず含まれていたことだ。クラウドファンディングをはじめた当初は、男性からの支持はさほど期待していなかった。だが、蓋を開けてみると、賛同者の3割は男性であり、次のような声が届いたのである。

<私は男ですが、こうした問題は本来男が関心を持ち、社会に働きかけるべきものだと感じました。支援します。>

<自分の彼女がたか子さんと同じような辛い経験をしていて、何か自分にできることはないのか考えていたところにこの発案に出会いました。本人は仕方ないと半ば半分諦めかけていたのですが、このバッジで少しでも状況がよくなることを願ってやみません。

性犯罪者がいなくなることは難しくても、性犯罪が起きにくい環境を社会全体の知恵と工夫で作ることはできるはずです。いつか、男性が痴漢を始めとする性犯罪をすることがとても難しい環境になることを祈っています。>

<実際に被害に遭われた殿岡さんが「被害者も加害者もつくりたくない」と思っていらっしゃることに驚きと感銘を受けました。残念ながら、私たち法曹関係者は被害者と加害者が生まれなければ行動することができません。

このプロジェクトが成功して痴漢被害がなくなること、そして、性犯罪に苦しむ人がいなくなることを願っております。>

松永はこれらのメッセージを見た時の思いを次のように語る。

「批判の言葉にたくさん傷つきましたが、温かなメッセージには大きな勇気をもらいました。みんながみんな敵というわけではない。男性であっても、見てくれる人はちゃんと見て支援してくれている。そう思えたことが、活動を進めていく上での力になったことは確かです」

いくらネットに罵詈雑言が飛び交っていても、温かな意見が届けば、活動はつづけられるという例だろう。

とはいえ、松永は誹謗中傷を放置すればいいと考えているわけではない。間違った情報、ゆがんだ意見は、正しいものに書き換える必要がある。彼女は言う。

「世の中の批判的な言葉を打ち消すには、主に2つのアプローチがあると思っています。1つが、痴漢に関する正確な情報を提示することです。社会に広まっている痴漢の情報には間違ったものが多い。

しかし、そこに科学的なエビデンスのある情報を広めれば、人々は情報の誤りに気が付き、正しいものへ更新しようとします。そうすれば世の中全体の認識が変わっていくはずです」

 

痴漢は「コンプレックスと支配欲」から生まれる

世間では痴漢は性衝動が抑えられなかった男性によって行われるものというイメージがある。だが、学術研究の上では、そうした事例はさほど多くないとされている。

では、なぜ人々は痴漢をするのか。加害者のコンプレックスと、そこから発生する支配欲だ。

たとえば、ある男性が職場で大失敗をして、会社から降格処分を受けたとする。上司からは呆れられ、同僚たちからは見下される。家族は同情もしてくれない。そんな彼は劣等感を抱き、ストレスを溜め込んでいくだろう。そして胸の中でこう考える。

――みんなバカにするけど、俺はダメな人間じゃない。実はすごい人間なんだ。

もし名誉挽回の機会があればいいが、そうでなければ別の形でストレスを発散するしかなくなる。

通勤途中で、彼がおとなしそうな女性に痴漢をするのはそんな時だ。彼は性欲を晴らしたいわけではなく、無抵抗の女性の体を触ることで、「自分はこの女性を支配しているのだ」「それだけすごい人間なんだ」「自分は強いんだ」と歪んだ形で自らの優位性と満足感を得ようとしているのだ。

似たようなことは、痴漢以外の行為にも当てはまる。家庭内暴力にさらされた子供が学校で弱い子に暴力を振ったり、クラスでいじめられた子供が放課後に小さな昆虫をいたぶったりすることがあるだろう。これは、彼らが暴力衝動を抑えられないのではなく、弱い相手を力で支配することで鬱憤を晴らし、心のバランスを取っているのだ。

話を元に戻せば、このような痴漢が起こるメカニズムを世の中に広めるのは、人々の痴漢に関する誤解を修正し、痴漢への対処方法を正しいものにすることになる。

痴漢が支配欲から行われているという前提に立てば、物静かで無抵抗そうな女性がターゲットになっている理由がわかる。そうすると、親や教師は、「スカートを長くした方がいい」「ショートカットにするべき」などと間違ったアドバイスをせずに済むし、適切な予防策を講じられる。

また、加害者の更生においても正しい情報は役に立つ。性欲から痴漢をしていると考えれば、加害者は単なる「変態」にすぎない。だが、支配欲から行っていると考えれば、本人が抱える問題を解消したり、医療機関につないで認知行動療法でストレスの解消方法を示すことができたりする。そうしたことが痴漢を減らすことになる。

これとは別に、2つ目のアプローチについて、松永は次のように話す。

「若い人たちが痴漢のことを正面から話し合う場を作ることです。これまで学校の性教育では痴漢について男女で語り合うということはほとんどなされませんでした。

しかし、多くの女性が、愛する人と性行為をする前に、痴漢という形で性被害に遭っているのです。それなら、小学生、中学生くらいの段階で、予防策も含めて痴漢について正しい情報を教えることが重要なのではないでしょうか」

そう考えた松永たちは、自分たちでアニメーション「学生に知ってほしい痴漢の真実」を制作するなど、痴漢についての正しい情報を伝えるための活動も行っている。

 

粘り強い発信を通じて、理解と対話の芽を育てる

そんな活動の一つに、松永が毎年行っている痴漢抑止バッジデザインコンテストがある。

コンテストでは、600以上の学校や公共機関にチラシを配布して、バッジのデザインを募集している。2023年でいえば、学校からだけで138校から784作品ものデザインの応募があったそうだ。

コンテストの審査でも学生を巻き込んでいる。一次審査はネット上で大学生が行うが、二次審査では絞った60作品を中学と高校に配り、各校の生徒たちに3作品ずつ選んでもらい、合計12作品に絞る。

デザインの募集から審査までを学生に委ねているのは、若い人たちがそれをきっかけにして痴漢について話し合ってほしいと考えているからだ。

作品の応募者や審査員には、前述したアニメーションも見てもらっている。デザインしたり、審査をしたりしようとすれば、嫌でも痴漢という行為に向き合い、知識を深めることになる。それを目的としているのだ。

最終審査については、商業施設(あべのハルカスウォールギャラリー)に展示をしたり、ウェブサイトに掲載したりして、一般の人たちからの評価を募っている。

こちらに関しては、学生だけでなく、一般の人にも痴漢について考える機会を作りたいと願っているからだ。こうして行われた審査によって、その年の5作品を選出し、バッジを製作する。

松永は言う。

「正しい情報を元に、若い人たちや親子の間で痴漢について話し合うことは大切です。ただ、痴漢=悪という見方だけでは、男性は冤罪を恐れ、女性は被害を恐れるだけなので実りある対話にはなりません。

痴漢をしている人も問題を抱えているのではないか、ならば加害者には何が必要なのか、被害者はそれを理解した上でどう防げばいいのか。そういったふうに議論を深めなければ効果的ではありません。バッジのコンテストを通して、そうした対話の機会を増やしていければと考えています」

上記のコンテストを経て制作された痴漢抑止バッジは、現在公式サイトで無償配布されている。こうしたセンターの活動を支えているのは、痴漢抑止バッジプロジェクトに共感したサポーターたち自身だ。

ネットの世界で批判のための批判を行っている大人たちと建設的な議論をするのは難しい。

しかし、松永が言うように、若い世代の人たちに、正確な情報を与え、対話を促していければ、世の中の意識は徐々に変わっていくだろうし、痴漢の件数も減っていくのではないだろうか。

少なくとも、未来の若者の性を守るためには、今私たちが動かなければならないのは明確だ。

 

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