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生き方

森田健作・こころざしある生き方を貫く

森田健作(千葉県知事)

2012年11月07日 公開 2022年12月28日 更新

森田健作

森田健作氏は、靖国神社への参拝を毎年欠かさず行っているという。国のために命を懸けた人々を悼み、日本を愛することには、右派も左派も関係がないと語る。森田氏の国家観をうかがった。

※本稿は、森田健作著『青春の力 限りなき挑戦』(PHP研究所)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。

 

私の国家観・歴史観

平成24年8月15日、私は東京・九段の靖国神社に参拝した後、千葉市中央区の護国神社で行われた慰霊祭に出席した。靖国神社には、知事就任前もおりに触れ参拝していたが、就任後は毎年の終戦記念日の早朝に欠かさず参拝している。

今年は、民主党政権下で初めて閣僚が参拝した。参拝後、待ちかまえていた記者団にどう思うかと質され、私は「日本人として当たり前のことではないか」と答えた。これは以前からの考えで今も変わっていない。

私は常々、日本の総理大臣や閣僚は堂々と靖国神社に参拝すべきだと言ってきた。それは"あの戦争"の反省とは別のことだ。どの国も自国の戦没者を慰霊するのは当たり前のことで、その慰霊や顕彰のスタイルが戦勝国だから許される、敗戦国だから許されないなどということはあり得ない。

終戦直後、靖国神社は焼き払うべきだという意見が連合国軍総司令部(GHQ)内部にあった。

それに対し、当時の駐日ローマ法王庁バチカン公使代理だったブルーノ・ビッテル神父が、「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務があり、それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と最高責任者のマッカーサーに献言し、焼却を思いとどまらせた。

このときビッテル神父が言った戦没者の慰霊・追悼の「権利と義務」はまぎれもなく日本にもある。

そもそも靖国参拝に対する中国や韓国の反発は、それによって日本をコントロールしようという"歴史カード"で、靖国問題はこちらが譲歩すれば解決するというような性質のものではない。

それに、今生きている私たちは何でも自由に発言することができるが、靖国神社に祀られている英霊はいっさい口をきくことができない。彼らは後生を信じ、国の安泰を願って、ただ「靖国で待っている」と言って命を投げ出してくれた人たちである。

私は彼らの声に素直に耳を傾け、その約束を守りたいと思う。父祖への感謝、あの時代への愛惜の念、そうした人間としての自然な情感を持ち続けたいと思っている。それを「右翼的」「時代遅れ」となじられてもかまわない。

若い頃に出演した『男たちの旅路』(NHK、昭和51年放送)という忘れられないドラマがある。

鶴田浩二さんが演じる主人公の吉岡晋太郎は特攻隊の生き残りで、自分だけが生き残ったことへの悔恨を胸の奥深く刻んだまま"戦後"を生きているという設定で、警備会社の頼りになる司令補という役柄だった。

吉岡はいっさい時流に媚びず、若者に対しても、自分の価値観を遠慮なくぶつけてくる。

(中略)

「中年にしちゃ、歯ごたえがありそうだ」と、私も水谷くんも、吉岡晋太郎という人間にグイグイ惹かれていく――というストーリーで、脚本は『岸辺のアルバム』や『異人たちとの夏』の山田太一さんだった。とても説得力のある台詞を書かれる人だと思った。

私がこの作品を印象深いと思うのは、吉岡晋太郎という主人公の生き方にストレートに共感を覚えたからだ。芸能界に入る前、大学浪人生の頃に「国を守るために自衛隊に入りたい」と思ったことのある私の心情を、この作品は意味づけしてくれたような気がした。

団塊世代の私たちが、当然と思って過ごしてきた"戦後"という時代は、本当に"戦前"よりも進んだ良い時代なのか。戦後という時代に疑いを持たなくなってしまったことで、私たちには戦前の本当の姿が見えなくなってしまったのではないか。戦前の日本人の声が聴こえなくなってしまったのではないか。

今ならこうやって考えを整理できるが、あの当時は、ただ吉岡晋太郎の台詞に、私は、何か決して無視してはいけない真実があるのだという気がしていた。

エドマンド・バークという思想家としても名高かった18世紀イギリスの政治家によれば、「国家というものは、過去生きた者(死者)、今生きている者、これから生まれてくる者の3者の共同事業だ」という。

私もまったく同感である。そして、今生きている私たちには、過去と未来の結節点に立っている責任がある。そしてその責任の自覚のためには先人の言葉に耳を傾けることが不可欠だ。

私にとってその言葉を身近で聞かせてくれたのは父であり、母だった。団塊の世代の私は、その言葉を息子や孫の世代に伝える役目を負っている。

あの当時は、まさか政治家になるとは夢にも思っていなかったが、今思い返すと、『男たちの旅路』は私に、政治家として、今生きている私たちだけの利害損得で国の運命を決めてはならないという、遠くから見守っている先人の声を聴くことの大切さを感じさせてくれたように思う。

 (中略)

率直に自分の国家観や歴史観に関することを書いてみた。

人はみな宙空に浮かんで生活しているのではない。日本人は日本列島に、中国人は中国大陸に根を張って生きている。そして、その生まれ育った国(クニ)を愛しているはずだ。

国を愛する、ということをわかりやすく言えば、たとえば、あなたが広島に住んでいるとして、「私は広島が好きです」と言ったとする。それを聞いて誰が「あいつは右翼だ」と非難するだろうか。

千葉に住んでいる人が、「千葉は素晴らしいところです」と言って誰に右翼だと名指しされるだろうか。広島や千葉を愛することと、日本という国を愛すること、その日本が存在する地球を愛すること、一体どこが違うのか。同じではないかと私は思う。

日本を愛するということは、何もそのときの政権を支持することではない。国を愛するというのは、自らの血肉に連なる親・祖先、兄弟、家族を愛することだ。そしてその生命を育んでくれた郷土を愛することだ。

そうした思いが歴史とともに積み重なった総体として"国"が存在する。その日本というわれらが祖国をもっと大切にしようじゃないか。いわれなき非難にはきちんと反論していこう、守るべき領土はしっかり守っていこう、それはどの国でも努めていることだ、と私は言っているだけなのである。

(中略)

右翼とか左翼とか関係ない、そもそも日本という国がなくなったら、われわれは難民になってしまうのだ。そうならないために国民として何をすべきか。千葉県民として何をすべきか。私はこのことを真撃に考えてほしいと思う。

 

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