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まずは自分を正すべし...孟子に学ぶ「信頼されるリーダーの条件」

守屋洋(中国文学者)

2012年12月03日 公開 2022年12月27日 更新

守屋洋

なぜ今、『孟子』が注目されているのか

孟子(名は軻〈か〉・前372年~289年)は、「孔子・孟子」あるいは「孔孟の教え」などと呼ばれているように、孔子の教え(これを儒教という)の正統な後継者と見られている。その孟子の言説をまとめたのが『孟子』七篇である。

ただし、孟子が活躍したのは、孔子の死から百数十年もたっており、時代も大きく変わっている。時はまさに戦国時代のまっ只中、各国とも国力の充実に力を入れ、生き残りの競争に鎬を削っていた。

武力抗争だけではない。この時代の特徴は、さまざまな思想流派が現われ(これを「諸子百家」という)、それぞれに天下統一の方策を提示して、活発な論戦を展開した。

そういう時代背景のなかで、王道政治の理想を掲げ、その実現をめざして奮闘したのが孟子である。

孟子は、孔子の生まれた曲阜からあまり遠くない鄒の地に生まれ、「孟母三遷」の故事によって知られるように、賢母の手で育てられたらしい。母親の励ましもあって、学問に志し、孔子の孫である子思の弟子について学んだといわれる。だとすれば、孔子の孫弟子のまた孫弟子に当たることになる。

孟子の学説は、2本の柱から成り立っている。第一は、性善説である。

人間はもともと天から、「仁」「義」「礼」「智」などの素晴らしい徳性を賦与されて生まれてくる。だが、せっかくの徳性も、放っておくと、もろもろの欲望にくらまされて、未開のまま終わってしまう。欲望に打ち勝って徳性を発揮するためには、絶えざる修養を必要とする。修養とはまた、修身といってもよい。これが人間に課せられた課題なのだという。

第二は、王道政治である。

王道政治とは、「仁」と「義」にもとづく政治である。「仁」とは、わかりやすくいえば、思いやりの心、「義」とは、人としての正しい道を指している。つまり、人民に対して徳をもって臨み、人民の生活が成り立つことを最優先課題とするのが、王道政治にほかならない。

ちなみに、「王道」の反対が「覇道」である。「覇道」とは、力づくで相手を押さえ込む手法を指している。

さて、学成った孟子は、王道政治の理想を実現すべく、斉、梁(魏)などの諸国をめぐって要路に働きかける。遊説の旅は15年にも及んだ。

だが、先にも述べたように、当時、各国とも生き残りをはかるために、国力の増強に余念がなかった。「覇道」万能の時代であったといってもよい。

たとえば梁の恵王である。孟子の所説を聞いて、「迂遠にして事情に闊し」と語ったといわれる。理想に過ぎて現実にそぐわないというわけである。当時の実情に照らしてみれば、無理からぬ反応であった。遊説を断念した孟子は、晩年、郷里に隠棲し、84歳で死去したといわれる。

そういう人物の言説を記録したのが、『孟子』七篇である。半分は遊説の記録であり、あとの半分は弟子たちの問答や孟子自身の短いコメントから成っている。晩年、孟子と行動を共にした弟子たちの手でまとめられたものらしい。

『孟子』という古典が重視されるようになったのは、今から八百数十年まえ、宋代になって朱子学が成立してからである。

それまで並の古典に過ぎなかった『孟子』が、朱子学によって『大学』『中庸』『論語』とともに、「四書」として儒教を学ぶうえで、最も重要な原典と見なされるようになった。以来、朱子学が一世を風靡するにつれて、『孟子』もその存在感を高めていったのである。

『孟子』は、日本にも多大な影響を及ぼしてきた。江戸時代になって、朱子学が幕府公認の学問とされるに及んで、『孟子』の教えもこの社会に深く広く浸透していった。

少なくとも心ある人々は、『孟子』を繙〈ひもと〉くことによって、みずからのあり方や政治のあり方について思いをめぐらしてきたのである。たとえば、あの吉田松陰などもその1人といってよいだろう。

今あらためて『孟子』を読みなおしてみると、そこから伝わってくるのは、人間に対する深い信頼であり、王道政治にかけた烈々たる気迫である。現代の私どもにも「そんな生き方をしていていいのか」「政治はこれでいいのか」と、反省を迫ってやまない。

時代は、いよいよ閉塞の感を深めているかのごとくである。そのせいか、社会の至るところに萎縮ムードが広がっている。

こういう時代に、『孟子』の教えにふれることができれば、閉塞感を打開する勇気のようなものが湧いてくるかもしれない。

拙著『[新訳]孟子』は、『孟子』のなかから触りのことばを選んで、私なりの解説を付したものである。『孟子』に参入する入門書として、読まれることを願っている。

 

守屋 洋

(もりや・ひろし)
 著述業、中国文学者

1932(昭和7)年、宮城県生まれ。東京都立大学大学院中国文学修士課程修了。現在、中国文学者として、著述、講演等で活躍中。
著書に『孫子の兵法』(三笠書房)『中国古典の名言録(共著)』(東洋経済新報社)『新編 論語の人間学』『「帝王学」講義』(以上、プレジデント社)『中国古典一日一言』『[決定版]菜根譚』『[新訳]大学・中庸』『[新訳]呷吟語』(以上、PHP研究所)など多数ある。

 

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