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阪神の四番・新井貴浩「来期以降の俺を見ておけよ!」

新井貴浩(プロ野球選手)

2012年12月15日 公開 2022年12月07日 更新

※本稿は新井貴浩著『阪神の四番 七転八起』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです(写真:岡村啓嗣)
 

「自分は野球を何のためにやっているのか?」

今回、本を書くにあたって、あらためて考えてみた。

物心つく前に野球をはじめてからプロに入るまで、僕が野球に打ち込んできた理由は、ただひとつ。

「プロ野球選手になること」

その夢を現実にすることが、僕の最大のモチベーションだった。

では、その夢がかなったいま、僕は何のために野球をやっているのか――。もちろん、生活のため、家族を養うため、という面は否定できない。

でも――別にカッコつけるつもりはないし、おべっかを使うわけでもないけれど――

「新井貴浩を応援してくれる人たち、タイガースを応援してくれている人たちを喜ばせたい」

という気持ちがやっぱりいちばん強い。

3・11のあと、予定されていたオープン戦が相次いで中止となり、「合同練習」という名目で、お客さんを入れずに練習試合をしたことがあった。そのとき、僕は痛感した――誰も見ていないところで戦うということは、自分たちが存在していないに等しいのだということを。つまり、自分たちの存在意義が無であることに、気づかされたのだ。

そして、そのことに気づいたとき僕は、「自分は生かされているのだ」とあらためて痛切に感じた。

「球場に足を運んでくれたり、テレビカメラの向こうで懸命に応援してくれるファンがいるからこそ、自分たちは存在できるのだ」

ファンの人たちが僕らにとってどれだけありがたく、大切な存在であるか、あらためて強く感じたのである。

いまの僕は、年齢からいっても経験からいっても責任の重い立場にあり、期待されることも非常に大きい。だから、打てないときの反動はものすごい。凡退が続いたときは、打席に向かうのがどうしても怖くなる。逃げ出したくなる。

でも、そのぶん、「ここで打ってくれ」とファンが願っている場面で結果を出すことができたときの歓声もまた、ものすごい。大甲子園を揺るがす大歓声を一身に浴びたいという気持ち、あのゾクゾクするような感覚をもう一度味わいたいという欲求が、僕の気持ちを奮い立たせ、バッターボックスに向かわせる大きなモチベーションになっている。

言い換えれば、僕が打つことで喜んでくれるファンの姿を見ることが、いま僕が野球を続けている目的だと言ってもいいのだ。

2011年、再びFAの権利を手にした僕は、今度は迷うことなくタイガース残留を選んだ。

「タイガースですべきことを、まだしていない」

そういう意識があったからだ。

「すべきこと」とは、言うまでもない。優勝である。

「自分は好運だ」と前に言ったけれど、じつはこれまでの野球人生で僕は、優勝というものを経験したことがほとんどない。大学3年のときに東都大学リーグで優勝したけれど、僕はレギュラーではなかった。第1回WBCのときも、試合にはほとんど出なかった。つまり、自分が優勝に貢献した、自分の力で優勝したという実感をまだ味わったことがないのだ。その意味では、僕はまだ、運を引き寄せられていないのかもしれない。

きれいごとを言うのではないが、自分ひとりだけの喜びは別にほしくない。僕がほしいのは、チームみんなの喜びだ。

「みんな」というのは、ベンチにいる人たちという意味だけではない。二軍の選手や日頃お世話になっているさまざまな裏方のスタッフ、そしてもちろん、応援してくれるファンの人たちも含めて、タイガースになんらかのかたちでかかわっているすべての人たちのことを指す。

ぜひとも優勝して、タイガースにかかわっているすべての人たちと喜びを分かち合いたい。喜びを共有したいと心から思っている。そして、喜びを分かち合う人の数が多ければ多いほど、僕の喜びも大きくなるはずだ。

さらにもうひとつ、金本さんが引退することで、来季以降の僕には新たなモチベーションか加わった。それは、金本さんにこう思わせることだ。

「新井、すげえじゃん……」

外から僕を見ている金本さんの目の前で、金本さんがそうしたように、チームやファンが「打ってほしい」と期待しているときに打ち、「こいつ、やるじゃないか」とぜひとも思わせたいのだ。

それが現実になったときが、お世話になった金本さんに恩返しするときだろうし、僕が「真のトラの四番」としてファンやチームから認めてもらえるときであり、心の底から自分が好運であることを喜ぶことができるときなのだろう。逆にいえば、「四番剥奪」の汚名を返上する方法は、それしかないのである。

「何回失敗しようが、何度転げようが、大切なのはそのあとだ」

僕はそう思っている。どうしてうまくいかなかったのか、何が悪かったのかを考え、それならこうしてみようと試行錯誤することで人間は成長できるし、そうやって失敗をいかに次につなげるか、言い換えれば失敗の屈辱をいかに反骨心に転化できるかが、その人間の価値を決めると僕は信じている。

だからこそ、本書を書き終えたいま、あらためて僕は痛切に願っている。

来季以降のオレを見ておけよ、と――。

 

 

新井貴浩(あ​らい・たかひろ)

 1999年、広島市生まれ。県立広島工業高校、駒澤大学卒。98年のドラフトにて、広島東洋カープに6位指名される。2002年には本塁打28本を記録し、2003年は開幕から四番に座る。

2005年は打率305を記録し、43本塁打で本塁打王を獲得。2007年、シーズン終了後、北京五輪アジア予選に出場し、五輪出場権獲得に貢献。2008年、FAで阪神タイガースに移籍。北京五輪日本代表に選ばれ、全試合に先発出場。同年、12月には日本プロ野球選手会会長職に就任。

2010年、4月18日、阪神移籍後初めて四番に座り、自己最高の打率311、打点112を記録。2011年、リーグトップの93打点で打点王のタイトルを獲得。2012年9月4日、プロ野球選手会長として「侍ジャパン」のWBC参加を発表する。

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