<情報と外交> リーダーは「空気」を読んではいけない
2014年04月24日 公開 2024年12月16日 更新
《 PHP新書『日本の「情報と外交」』より》
尖閣問題をめぐる国内世論の動向を見るにつけ、 思い出される 一冊の本がある。1977年に出版された山本七平氏の代表作、『「空気」の研究』(文藝春秋)である。
至る所で人びとは、(日本における)何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。
たとえば、こうだ。
「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」
「議場のあのときの空気からいって……」
「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」
「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」……
その場の「空気」が、場合によっては、人命や国の行方さえも決定することを、同書は明らかにした。あの、戦艦大和の最期となる沖縄海上特攻作戦を決定したのも、また「空気」だった。
そのくだりを引用しよう。
驚いたことに、「文藝春秋」昭和50年8月号の「戦艦大和」(吉田満監修構成)でも、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言がでてくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。
裸の艦隊(戦闘機の護衛なき戦艦)を敵機動部隊が跳梁する外海に突入させれば、たちまちのうちに集中砲火を浴びて撃沈されることは、海軍のプロであれば誰でも容易に予想できることだった。なにより、大和の特攻は、参謀自身が「作戦として形を為さない」と考えている「作戦」だった。しかし、「論理・データ」と「空気」が対決した結果、「空気」が勝利をおさめ、大和は悲劇的な最期を遂げることになる。
ではこれに対する最高責任者、連合艦隊司令長官の戦後の言葉はどうか。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏しようと思わない」であって、いかなるデータに基づいてこの決断を下したかは明らかにしていない。…(中略)… こうなると「軍には抗命罪があり、命令には抵抗できないから」という議論は少々あやしい。むしろ日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。…(中略)… 空気が、すべてを制御し統制し、強力な規範となって、各人の口を封じてしまう現象、これは昔と変りがない。
残念ながら、『「空気」の研究』が発表されてから35年経つ今日の日本においても、「空気」の支配力は強まりこそすれ衰えることを知らない。
米英が強行したイラク戦争当時のことを思い起こしてみよう。戦争の火蓋がきって落とされるや否や、小泉純一郎首相(以下、肩書きはすべて当時)は外務省が想定していた「理解」を超えて「支持」を表明。以後、国内世論は「同盟国なのだから支援するのは当たり前」「米国に言われたらついていくしかない」という「空気」に支配されていく。
言論界でも、「日本に反米を掲げる『賛沢』は許されない」(椎名素夫参議院議員)とか、「一極体制[米国中心] は少なくとも多極体制や二極体制よりもまし」(山崎正和氏)、「国連中心主義には反対」(北岡伸一東大教授)といった、米国追随路線こそ日本の生きる道、といわんばかりの言論が瞬く間に広まっていった。
実際、このときは「抗空気罪」や「空気昇進」まで発動されている。イラク戦争への疑念を述べた者はほとんど淘汰され、米国の情報をそのまま受け入れ、イラクの大量破壊兵器の保持、アルカイダとの結びつきを強調した者は、情報・安全保障の専門家としての地位を確立したのである。
さらに不思議なのは、米英が開戦事由の第一に挙げた「大量破壊兵器の存在」などまったくの嘘だったことが満天下に明らかになった後でも、日本では、淘汰された者は淘汰されたまま、地位を確立した者もそのままだということだ。
対して、「大量破壊兵器の存在」を「錦の御旗」に押し立てた米英では、事実が明らかになった後、どうなったか。英国では、ブレア首相とMI6長官が退陣、辞任に追い込まれた。米国でも、ブッシュ(息子)政権第一期の国務長官を務めたコリン・パウエルは、長官退任後、当時国連安保理で列挙した「イラクが大量破壊兵器を保有していることの証拠」が誤認にもとづくものだったことを認め、「人生最大の恥」と深い反省の言葉を述べている。
この違いはどこから来るのだろうか。
やはり、米英では「人」が決定しているのに対して、日本では「空気」が決定しているからではないだろうか。人が具体的な根拠を挙げて決定すれば、結果がどうあろうとも、事後に検証し総括することができる。しかし、「空気」に押し流された決定であれば、根拠があいまいなので総括のしようもない。「あの場の空気ではやむをえなかった」の一言で、いくらでも責任逃れがきく。
つまるところ、日本ではいまだに、客観的な情報に目を向けることよりも、「空気」といっしょにいることが重んじられているのである。これは、外交政策にかぎらない。どのような政策決定を行おうが、問われるのは、その判断が事実に照らして適切だったかどうかではなく、空気といっしょにいたかどうかなのである。
私は、この「空気」と添い寝する傾向がますます強まっているのではないかと懸念している。たとえば、イラク戦争当時、私は、中公新書『日本外交現場からの証言』で第2回山本七平賞(1993年)をいただいてから、中央公論社から毎年2、3本の論評依頼をいただく関係にあったのだが、『中央公論』2003年5月号にイラク戦争に対する間接的な批判を載せてからというもの、依頼が完全に途絶えてしまった。その場の「空気」に「水を差す」論者は使いたくないという判断が働いていたのではないだろうか。細かくは例示しないが、新聞・テレビなどマスメディアでも「わが社には合わない」からと、異論に対して門戸を閉ざす傾向が強まってはいないだろうか。外交問題にかぎらない。エネルギー・原発問題しかり、そのほかの多くの問題でもしかりである。
いちばん恐ろしいことは、自分にとって都合の悪い情報をシャットアウトすることだ。確実に視野を狭めることになる。外交においては、正確な情報分析に失敗し、相手の動き・変化を見落とし、身内の「空気」にのみ身を浸すことになる。そうなれば、後は身の破滅あるのみだ。
ただ私は、たとえマスメディアが「閉ざされた言語空間」になりつつあるとしても、悲観はしていない。書籍出版の世界では、いまでも大いに言論の自由が保証されているし、ネットの世界では、「ツイッター」などのソーシャルメディアを利用した個人発信の可能性が広がっている。かくいう私も「ツイッター」のユーザーで5万人のフォロワーに支えられている。開かれた言語空間でのダイレクトなやりとり。ここに、「空気」に抗する可能性が見出されるかもしれない。
知人の中国人女性(ご主人が日本人で、親日家)が面白いことを言っていた。
「中国では、偉くなればなるほど(社会的地位が高くなればなるほど)IQが高くなる。これは当たり前のこと。でも不思議なことに日本では、偉くなればなるほどIQが低くなる」
たしかに、国際社会全体を見渡しながら、長期的な視野に立って日中関係を考えている政府首脳は皆無ではないだろうか。だから、ヒラリー・クリントンは国務長官時代、安全保障問題について日本首脳と語らうことに喜びを見出せなかったのだろう。なぜなら、日本政府の要人と会えば、出てくる言葉はフテンマ(普天間)ばかり。普天間基地移設問題は、国務長官が語るべき話題ではなく、「不動産屋かハウスキーパーの話題」と思っていたはずだ。一方、中国首脳との会話は弾んだようである。中国首脳には歴史や国際社会全体を見渡した雄大なスケールで話をできる人材が多かったらしい。
尖閣問題をめぐって、中国の民衆は「空気」に押し流され暴動に及んだ。しかし、日本の民衆の間に、そのような未熟な行動は見られなかった。一方、首脳レベルを比較すると、暗澹たる思いに駆られる。日本の首脳は、またしても「空気の決定」によって右往左往してはいないだろうか。
「空気」に押し流されず、歴史に学び、冷徹な眼差しで事実を見つめ発信しつづけるリーダーが、一人でも多く育ってくれることを願ってやまない。
孫崎 享
(まごさき・うける)
昭和18年(1943)、旧満州国鞍山生まれ。昭和41年(1966)東京大学法学部中退、外務省入省。英国(2回)、ソ連(2回)、米国(ハーバード大学留学)、イラク、カナダ勤務を経て、情報局分析課長、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。平成14年(2002)防衛大学校教授に転出し、平成21年(2009)3月退官。
主著に『カナダの教訓』(ダイヤモンド社)『日本外交現場からの証言』(中公新書、第2回山本七平賞受賞)『日米同盟の正体』(講談社現代新書)などがある。