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生き方

ウェールズから来た日本人 C・W・ニコル 「森の学校」で被災地の子どもに夢を!

C・W・ニコル(作家)

2013年01月10日 公開 2022年12月07日 更新

PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年1・2月号Vol.9
 

 1962年に初来日して以降、日本の自然保護活動を続けてきたC・W・ニコル氏。作家活動のかたわら、今、日本の森を再生させるため、長野県黒姫山麓で「アファンの森」を育成している。また、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県東松島市の復興支援にも尽力、自然と共生する町づくりの一環として「森の学校」をつくろうとしている。1995年に日本国籍を取得し、来日50年を過ぎてなおエネルギッシュな氏にその情熱を語っていただいた。(取材・構成 齋藤麻紀子)
 

被災地に「森の学校」を

 今日本の学校では、学級崩壊が起きています。集中できない、落ち着かない子どもが多く、授業が成り立たない。

 同じ現象がヨーロッパでも起きています。すぐキレたり、ケンカを始める。十数年前は、原因として環境ホルモンによる脳への影響が挙げられていましたが、最近は「ネイチャー・ディフィシェンシー・シンドローム(自然欠乏症候群)」と言われています。どういう症状かというと、小さいころにテレビやゲームと長時間接すると、一定の発達段階を経て成長する人間の脳の成長がアンバランスになってしまうことだそうです。

 森を歩いていると、足元にアリが歩いていたり、200メートル先に鳥が飛んでいたり、脳を刺激するものがたくさんあります。でも都会のコーヒーショップにいると、真横にいるお客さんの存在すら見えない。ある調査によれば、子どもの9割が畑にも田んぼにも行ったことがない。「危険だから」という理由で、焚火を禁止するボーイスカウトもあるとか。これでは脳や五感はまったく刺激されません。

 一昨年(2011年)、東日本大震災で被災された東松島市の方々を、この森に招待しました。家を流され、毎日瓦礫を見て生活されている方々にとって、森が安らぎになると思ったのです。子どもたちは、木のぼりをしたり、木からつるされたブランコに乗ったり、森を存分に楽しんで帰りました。

 そのつながりで、「森の学校」づくりを依頼されました。津波被害にあった学校を高台に移転することになったのですが、周辺は暗い森だという。明るい森と学校をつくるという意義深い仕事を、私は日本の未来である子どもたちのため、喜んで引き受けました。

 この学校は、公立で初めての「森の学校」になります。つまり、森全体が学校になっていて、森の中にいくつもの小さな校舎が点在する。こんな学校だったら悪質ないじめは絶対起きない。

 校舎は木造です。「火事に弱いのでは」と言われることもありますが、実は逆です。アメリカ政府の実験では、鉄に熱を加えたら30分で形が変わり、90パーセントの力を失ったのに対し、木の梁は形を変えずに20パーセントの力しか失われなかった。地震が多いカリフォルニア州でも最近、学校をどんどん木造化しているんです。
 

私はこのために日本に来た!

 私は今仕事時間の半分を、「森の学校」づくりに費やしています。というのも私は、東松島市の子どもたちに、自分と同じ側面を見るからです。

 私が子どものときは、まだ戦争が続いていました。夜中にサイレンが鳴ると、母は私をつかまえて塹壕の中に逃げた。大砲の音がドンドンと聞こえました。朝になり塹壕から出ると、道にはたくさんの穴ができ、隣の家も、その向こうの家もなくなっている。その風景を見たときの恐怖が、私の中には残っています。

 東松島の子どもたちも、海の恐怖を目の当たりにし、家族や友だちを失いました。両親を亡くしたお子さんもいます。でも子どもたちはその辛さを見せず、むしろ、恐ろしいことを乗り越えた独特の優しさを持っていました。かわいいの、ほんとうに。私が日本に来たころの、日本人の顔そのものなんです。

 学校づくりの依頼を受けたとき、私はこのために日本に来たのではないかと思いました。72歳ですが、これまでの私の活動は、東松島の学校づくりの準備だったのではないかな。

 とはいえ、学校ができるまではあと3〜4年、それまでは森の中で授業をしようと思います。正しい火のつけ方や焚火の場所、木の名前、道具の使い方、土地の歴史……森の中で教えられることはたくさんある。そして小学校を卒業するまでに、サバイバル技術を学んでほしい。自分の身は自分で守り、困っている人を助けられる人になってもらえたらと願っています。
 

ほんのちょっぴりのリスペクト

 被災者の方々にとっては、今が一番たいへんな時期です。震災直後は興奮状態にあったから、将来の不安も家族を亡くした辛さも心にしまって必死に生きていたはず。でも今は、しまっておいたものを取り出して、見つめなおさなきゃいけない時期。なのに、気持ちはまだ瓦礫や仮設住宅の中なのです。

 そんな彼らが今一番欲しいのは、ワクワクドキドキする気持ちです。何かがよくなるかも、というちょっとした希望みたいなもの。その希望をつくるため、私は町づくりの会議に出たり、地元の方々と町のビジョンを考えたりしています。東北はもう被災地ではありません。新しい日本を生む場所です。東北の経験をどう生かすかによって、これからの日本が変わると思います。

 若いころ、私はたくさんのものを持っていました。エネルギーに満ちて、髪の毛ももう少しあった(笑)。

 でも年をとると、そんなことより、人からほんのちょっぴりリスペクト(尊敬)されるだけでいい。東北に行くと、いろいろな人が声をかけてくれる。汽車に乗っていると、子どもやお年寄りから握手を求められるし、クッキーをいただく(笑)。

 先日は小さな子どもが寄ってきて「早く大きくなりたい」と言ってくれました。「どうして?」と聞くと「だってニコルさんの学校へ行けるもん」と。子どもたちも「森の学校」のことを知っていて、期待してくれているんです。すごく嬉しかった。

 これから、たいへんな戦いがあると思います。でも、もう何も怖くありません。神様がニコルにあと何年くれるか分かりませんが、勝つ自信はあるんです。

 

C・W・ニコル C.W.Nicol

作家。1940年英国南ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、その後、カナダ水産調査局北極生物研究所の技官として、海洋哺乳類の調査研究に当たる。1967年エチオピア帝国政府野生動物保護省の猟区主任管理官に就任。シミエン山岳国立公園を創設し、公園長を務める。1962年に空手の修行のため初来日。 1980年長野県黒姫に居を定め、執筆活動を続けるとともに、1986年より森の再生活動を実践するため、荒れ果てた里山を購入。その里山を「アファンの森」と名づけ再生活動を始める。1995年日本国籍を取得。2002年「一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立し、理事長に就任。2005年、英国エリザベス女王陛下より名誉大英勲章を賜る。
主な著書に『風を見た少年』(講談社)、『勇魚』『盟約』『遭敵海域』(いずれも文藝春秋)など多数。

■アファンの森財団HP http://www.afan.or.jp/

 

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