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社会

「女子校育ち」で磨かれる「自分を主張する力」

杉浦由美子(ノンフィクション作家)

2013年05月13日 公開 2022年12月07日 更新

 これら難関校・進学校の女子校特有の「マシンガントーク」は、社会一般では「空気が読めない」「はしたない」と批判されることもあろう。

 なぜ、彼女たちは早口なのか。

 女子進学校出身の女性が話す。

 「映画『ソーシャル・ネットワーク』の冒頭で、フェイスブックの創設者がマシンガントークをして恋人を困らせるシーンがあります。頭がよすぎて、周囲と話のスピードが合わないように見えます。ああいう人って同級生にいたなあと感じて、なんか懐かしかったですね」

 つまり、頭の回転がいい女子が思う存分に勉強できて、好きなことに没頭できる場所。それが女子校なのだ。世間の目がないからこそ、やりたいことができる。

 桜蔭の文化祭に同行してくれた卒業生(35歳)は、「私たちのころは、あんなに突き抜けてなかった。女の子なのに、という縛りがあった。なんか自由にやっていてうらやましくて、ちょっと悔しいですね」と話した。

 この卒業生は菊川怜と同じ学年。250人中90人が東大に進学した学年である。女性の社会進出と高学歴化がめまぐるしかった1990年代に、彼女たちはエリートであったはずだ。だが、その時代でも「女の子だから東大に行かなくていい」という縛りがあった。

 当時の桜蔭は、「お勉強はできるけれどダサい」と言われる学校であった。かつては、その「ダサい」と言われる目を気にしたが、いまは「ダサくて何が悪いの? オタクだけど何か?」と開きなおれるのが女子校の時流だ。

 このように「自分のやりたいことを人目を気にせずやれる」のは、なにも桜蔭のような偏差値が70近い学校だけではない。今回、取材してわかったのは、女子というのは偏差値の違いでは将来の夢や趣味嗜好が大きく違わないということだ。中堅校の生徒も桜蔭の生徒も、めざすのは「自立した社会人」であり「お嫁さん」ではない。

 中堅校の生徒は、桜蔭の生徒のように医者や学者はめざさなくても、違うかたちで何か自分にできる仕事で自己実現をしたいと考えている。「女子大に行ってアパレルに就職して洋服に関する仕事をしたい」と具体的に夢を語る中堅校の生徒もいた。そのような夢に向かううえで、人目を気にせず好きなことに没頭できる女子校はよい場所だ。

 北区の中堅校の生徒もこう話す。

 「私は本を読むのが好きで、ずっと本を読んでいます。だからって何か言われることはないのが女子校のよさだと思います。『本ばかり読んでおもしろい?』って言われたら、『うん、おもしろいよ』と答えるし、それがいじめでもなんでもないし」

 文化祭をまわっても、女子校の生徒たちの「好きなことへの真剣さ」が伝わってくる。

 先に述べた桜蔭以外でも、鷗友学園女子は授業にリトミックを採り入れたせいか、文化祭でのダンス班(部)の公演は本格的。他校のダンス部はスポーティな衣装を着て、ポップでオシャレなダンスを踊っているが、鷗友は衣装もダンスも上品で優美だがトレンドではない。だが、パフォーマンスの完成度は他校とはくらべものにならないほど高い。ただ楽しんでダンスをやっているのではなく、厳しい練習に耐えてよいものをつくろうという気迫がある。

 また、吉祥女子は芸術コースがあった流れで、いまでも美術が盛んだ。廊下に貼られる各クラブのポスターはプロのデザイナーが見ても感心するクオリティだ。卒業生の一人が「吉祥はオタクの人が多いから」と説明してくれた。

 世間の目がない空間だから好きなことに躊躇なく専念できて、その経験が将来の糧になっていく。その「自分力」をつけていくのに、女子校はとてもよい環境といえよう。

著者紹介

杉浦由美子(すぎうら・ゆみこ)

ノンフィクション・ライター

1970年、埼玉県生まれ。日本大学農獣医学部卒業後、会社員を経て、2005年よりライターに。『AERA』『婦人公論』などの雑誌やWEB上で、主に団塊ジュニア世代以降の女性の消費、ライフスタイルなどについての取材・執筆を幅広く行なっている。著書に、『腐女子化する世界』『ケータイ小説のリアル』(ともに中公新書ラクレ)など多数。

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