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明け透けな「ネット帝国主義」に立ち向かえ

2011年03月07日 公開

岸 博幸(慶應義塾大学教授)

"情報流通が恣意的に操作される

 私は1年前に自著『ネット帝国主義と日本の敗北』(幻冬舎)のなかで、コンテンツ/プラットフォーム(グーグルやアマゾンなど、大多数のユーザーがインターネット上の情報に行き着くために使うサービス)/インフラ(NTTの回線など)/端末という4つのサービス・レイヤーから構成されるインターネット(以下「ネット」と略す)において、

・情報流通の中核を担うプラットフォーム・レイヤーでは、米国ネット企業が圧倒的な競争力をもつため、世界のネット上での情報流通が米国ネット企業に支配されつつある

・その結果として、さまざまな国で、マスメディアやコンテンツ産業の収益悪化を通じた文化/ジャーナリズムの衰退、クラウド・コンピューティング・サービス(データをネット上に保存し、使えるようにするサービス)のサーバーからの機密情報漏洩のリスクなど、情報の安全保障の観点からの懸念の増大といった、国益に関わるさまざまな問題が生じつつある

という問題提起をした。

 その後のネット関連の動きをみていると、米国ネット企業による世界のネット上のプラットフォーム支配という“ネット帝国主義”が、さらに強まっている感がある。

 たとえば、スマートフォンやタブレット型端末の普及が急速に進みつつあるが、その中核はアップルの端末か、グーグルが提供する基本ソフト(アンドロイド)を使った端末ばかりである。電子書籍が新たなネット・ビジネスとして世界中で活況を呈しているが、そのビジネスの中心もアップル、アマゾンという米国ネット企業である。

 また、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス:コミュニティ型のWebサイト)のフェイスブックは、米国のネット上でのサイト訪問者数でグーグルを抜いて首位に立ったのみならず、世界で5億8,000万人もの加入者を有する世界最大のソーシャルメディア、ネット帝国主義の新たな旗手の一つとなるまでに成長した。

 情報は民間のビジネスと国の安全保障の双方に直結する。コンテンツは国の文化とジャーナリズムに直結する。そして、いまやネットは数あるメディアのなかで、もっとも主要なコミュニケーションの道具、情報流通のインフラとなった。そのネット上で米国ネット企業の支配力がさらに強まるということは、国益の観点からの懸念がいっそう高まっていることにほかならない。

 そうしたなかで、ウィキリークスによる米国務省の外交公電の暴露という事件が起きた。この事件に関するマスメディアの報道の多くは、暴露された公電の中身についてばかりであったが、この事件が二つの点でネット帝国主義の変質を示しているのを見逃してはいけない。

 一つは、ネット上のプラットフォーム・レイヤーのなかでも、クラウド・サービスを提供するネット企業の実質的な支配力が大きくなっているということである。

 ウィキリークスは、アマゾンのクラウド・サービスを利用してネット上で暴露情報を提供していたが、そのアマゾンは、騒ぎが大きくなった途端にウィキリークスへのサービスの提供を停止した。ウィキリークスがこれだけ大きな問題を引き起こしたのだから、一見もっともな対応にみえるが、とんでもないひどい対応をしたといわざるをえない。

 アマゾンは、サービス提供を停止した理由として、ウィキリークスが「利用者は、コンテンツに関するすべての権利問題をクリアしており、またコンテンツの利用が他の人や組織に危害を与えるものであってはならない」というサービス提供のための契約の条項に違反した、と主張している。

 しかし、いまや世界中のマスメディアがクラウド・サービスを利用している。そして、それらのメディアが特ダネ的なニュースを報道する場合、情報元はたいてい政府や企業の内部文書なので、メディアの側はそれらの文書に関する権利はもっていない。ウィキリークスの暴露と本質的には同じなのである。

 そう考えるとアマゾンは、非常に恣意的にユーザーへのクラウド・サービスの提供を停止したと考えることができる。それは逆にいえば、プラットフォーム・レイヤーのなかでも、クラウド・サービスを提供する者が情報流通をもっとも牛耳れる立場になったことを意味する。

 クラウド・サービスがこれだけ普及し、誰もがそのサービスを利用するようになると、検索やSNSといった一般ユーザー向けのサービスよりも、流通の肝を握ることになってしまったのである。これは、とくにネットがニュース(ジャーナリズム)の流通経路として使われる場合には深刻である。

 これまで、マスメディアはニュースの流通を自分でコントロールできたし、政府や裁判所がそれを差し止めることも稀であった。表現の自由やメディアの独立性が守られてきたのである。

 しかし、ネット上でクラウド・サービスを利用すると、ウィキリークスへのアマゾンの対応のように、ジャーナリズムとはほど遠い次元の恣意的な判断で、ニュースの流通が止められてしまうことも起きうるのである。

 私は自著で、クラウド・サービスについて、サーバーが置かれる国の法制度などによっては、そこに預けたユーザーの機密情報でもみられてしまう可能性があることを指摘したが、今回のウィキリークスの事件でのアマゾンの対応によって、そうした情報の安全保障の観点からの危険に加え、情報流通の恣意的な操作という危険性も明らかになったといえよう。

“ネットの自由”からの転換

 もう一つは、“ネット上での情報の過剰な共有”の危険性を明らかにした、ということである。

 ウィキリークスというと、機密情報を公開するサイトであり、ネット上でも特殊なサイトであるようにいわれることが多いが、そうした認識は間違っているのではないだろうか。

 たとえば米国のSNS上では、個人が自分の趣味や友達のリスト、さまざまなプライベートな写真を自ら公開していることが多い。ネット上では、他人からすれば知らなくてもいい個人の情報までが不特定多数に共有されているのである。

 また日本でも、たとえば今年1月に、有名人や財界人がプライベートでレストランに訪れたことをアルバイトの従業員がツイッターで暴露したところ、ネット上で一部の連中が、その従業員の通う大学、家の住所、写真などのありとあらゆるプライバシーを勝手に調べ上げて公開した。

 これらの行為とウィキリークスの暴露は、“ネット上での情報の過剰な共有”をめざしている点で本質的には同じであることに留意してほしい。違いは、SNSやツイッターの事例では対象が個人のプライバシーであるのに対して、ウィキリークスの場合は対象が政府の機密情報(=プライバシー)である、ということだけなのである。

 よく考えると、これまでのネットの繁栄は、この“情報の過剰な共有”によって実現されたということができる。ネット企業の収益モデルとしては、広告収入、とくにターゲティング広告(対象ユーザーを絞り込んだ広告)が重視されているが、これは、ユーザーのネット上での行動履歴(どういうサイトを訪れたか、どういう商品を購入したかなど)というプライバシー情報がネット企業や広告主に提供・共有されることを前提としている。

 また、日本のSNSではそこまで行なわれていないが、米国のSNS、とくに何かと話題の世界最大のSNSフェイスブック上でのコミュニケーションにしても、ユーザーに関するさまざまな個人情報が過剰なまでに公開・共有されることがその前提となっている。

 実際、フェイスブックは2007年に、ユーザーがネット上で何を買ったかが同サイト上の友人に自動的に通知されてしまう“フェイスブック・ビーコン”という機能を追加したくらいである。ちなみに、ユーザーの大反対やプライバシー侵害の裁判により、このサービスは2年後に停止となった。

 加えていえば、ネット上のコンテンツ流通にしても、無料モデル、アップルやアマゾンなどによる安売り、さらに違法コピーの氾濫によって“コンテンツの過剰な共有”が促進されたことで、現在の隆盛につながっている。

 要は、いまのネット上のエコシステムは、“情報の過剰な共有”があらゆる側面で行なわれることが前提となっているのである。そして、米国ネット企業がその中核的なポジションを確保しつづけることによって、ネット帝国主義が進展してきたと理解することができる。

 そして、“情報の過剰な共有”が社会システムの観点から問題であることは、ネットの普及にともなう文化/ジャーナリズムの衰退からもすでに明らかであったが、今回のウィキリークスの事件は、ネット帝国主義による世界制覇をめざして“ネットの自由”を唱えてきた米国政府にそれを痛感させた点で、まさにエポックメイキングな出来事だったのである。

 その意味で注目すべきは、米国政府の動きである。もともとウィキリークスの事件が起きる前から、ネット上でのユーザーの行動履歴をネット企業が勝手に入手・利用するのはプライバシー侵害であるとの議論があり、連邦取引委員会(FTC)と商務省のそれぞれで対応策の検討が行なわれてきた。

 その延長で、昨年12月初め、ちょうどウィキリークスによる外交公電の暴露が始まった数日後に、FTCがネット上に“do not track”システム(ユーザーが行動履歴をネット企業などに追跡されるのを拒否できる仕組み)の導入を提言する報告書を公表した。1月末までに民間から意見を募集し、それを踏まえて具体策が講じられるようである。

 また、今年に入って商務省が、“インターネットID”の導入を検討していることを明らかにしている。もちろん、政府による中央集権的なものではなく、民間を主体としたものであるが、ネット上でのプライバシーやセキュリティの強化を目的としていることから、この動きも注視すべきである。

 おそらく米国政府は今後、これらの措置の導入を通じて、ネット上での個人のプライバシーが確保されるようにするであろう。その次には、ウィキリークス問題への対応として、政府のプライバシーの確保にも取り組むであろう。そして、それらがネットのエコシステムの変革にもつながりうるかもしれないことに留意すべきではないだろうか。

 現在のネット上で支配的な価値観とビジネスモデルは“情報の過剰な共有”を前提としているが、それはネットの特性から自然発生的にそうなったのではなく、米国ネット企業が人為的につくりだしてきたものである。

 これまで米国政府は、米国ネット企業を放任し、そうした価値観を容認して、ネットというグローバル市場における米国覇権の確立を後押ししてきた。とくにオバマ政権は、グーグルのCEOを政権のアドバイザーの一人とするなど、シリコンバレーとの蜜月関係を維持してきた。米国政府がそのポジションを変更し、ネット上での“情報の過剰な共有”の修正に乗り出しつつあるということの意味の大きさは、看過してはいけないのではないだろうか。

「日本型」モデルを確立せよ

 このように考えると、ウィキリークスの事件は結果的に、現在のネットが抱える問題の本質に関わる非常に重要な問題を提起しており、ネット帝国主義の質的変化のきっかけとなるかもしれない。

 そしてそれは、ネット上での米国の価値観の蔓延と米国ネット企業の支配を許してきた日本にとっても、現状を変える、よいきっかけとなるかもしれないのである。沖縄米軍基地と尖閣列島の問題が起きて以降、安全保障についての国民の問題意識が高まっているのも、情報の安全保障の強化という観点からよいタイミングである。

 そこで日本がめざすべきは、ネット上での国益の追求・実現である。そのために日本がやるべきことは山ほどあるが、とくに個人的に気になっている点をいくつか問題提起しておきたい。

 第一に、現状のネットはコンテンツの拡大再生産を可能にする流通経路とはなっておらず、文化/ジャーナリズムの維持・発展には貢献しえない。この点を変えるには、民間の側が米国的な価値観やサービスの後追いばかりにならず、もっと日本型のビジネスモデル、日本社会の特性に合ったサービスの確立に向けて頑張るべきではないだろうか。

 第二に、ネット上での“過剰な情報の共有”は、個人のプライバシーの侵害のみならず、個人のコミュニケーションや情報収集のレベルで、人間の思考/行動プロセスを陳腐化・短絡化させている。たとえば、ツイッターではじっくり考える前に何でもつぶやき、ブログではコピー&ペーストが横行し、検索では適当な結果で妥協している。個人のレベルでも、ネットに依存しすぎない努力、ネット上の匿名の群衆の一部に堕落しないよう、意識してネットとの向き合い方を考えるべきではないだろうか。

 第三に、やはり政府の役割がいちばん大きい。政府はこれまでネットに関して米国の価値観の後追いばかりをやってきて、結果的にネット帝国主義の蔓延を許してきた。そうしたスタンスを転換し、ネット上での日本の国益の追求に資する政策を講じるべきである。たとえば、日本企業によるクラウド・サービスへの支援、米国ネット企業による日本のコンテンツの搾取への対応、“過剰な情報の共有”の抑制、プライバシーの保護など、課題は山積みである。

 ネット帝国主義に政府としてどう立ち向かうかは、じつはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)にどう対応するかと本質的には同じであり、グローバル化にどう対応するか、グローバル化という現実のなかで日本の価値観や国益をどう維持するかにほかならない。TPPに前向きな民主党政権には、この分野でも奮起を期待したい。

"

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