ポール・クルーグマン ― アベノミクスが日本経済を復活させる!
2013年10月22日 公開 2024年12月16日 更新
《PHP新書『そして日本経済が世界の希望になる』より》
日銀の政策は“船に乗り遅れた”
金融緩和は、人びとの期待を変えないかぎり、効力を発揮しない。そして、期待を変えることは簡単ではない。金融緩和は原理上、それ単体で効果を発するはずだが、もちろん、それだけに頼るにはリスクがある。
金融緩和が人生すべての問題への解になるわけではないのと同じように、金融緩和だけで、日本の抱える長期的な課題を解決できないことは、ここで述べるまでもないだろう。
日本経済における大きな問題は少子高齢化にある。その結果、投資需要は縮小し、それが実体経済に多大な影響をもたらす。
しかし、そうした条件下の経済ではデフレになるのが必然である、という考え方は間違いだ。むしろ、だからこそ実質金利(名目金利-期待インフレ率)を大きく引き下げ、あるいはマイナスにしなければならない、と考えるべきではないか。そこではインフレが必要とされている。日本経済の長きにわたる失敗の歴史は、日銀の政策が“船に乗り遅れた”からにすぎない。
この数年にわたって、日本の長期金利はデフレ経済のもと、先進国のなかで最低の名目金利を続けてきたが、実質金利は他の先進国よりも高かった。
たとえばアメリカの長期金利が3パーセント前後のときでも、期待インフレ率が2パーセントあれば実質金利は1パーセント。しかし日本は名目金利が1パーセントでも、デフレによって期待インフレ率がマイナス1パーセントと考えれば実質金利は2パーセント、という具合だ。
金融緩和によって名目金利が一定に抑えられている環境のなかで、期待インフレ率が上がれば実質金利は下がる。そこで投資を行ないやすい環境が生み出され、景気が刺激されることになる。
そして国民が、1パーセントではなく2パーセントのインフレが訪れる、と確信すれば手元の資産目減りが予想されるので、さらにお金を使う理由が生まれる。同時にそのインフレによって日本の国家債務も減少し、国民負担も軽減する。
日銀は2001年3月から中央銀行の当座預金残高量を拡大させることによって、金融穏和を行なう「量的緩和政策」を実施した。その間、マネタリーベースは短期間で急激に増加したが、2006年3月、その日銀自らが政府の反対を押し切るかたちで政策解除を決定。いま振り返っても、愚かな選択だった。
これまで日銀は、「デフレはそれほど悪いことではない」「デフレは自らの力が及ばない要因によって引き起こされた」と訴えるような報告書や声明を出す傾向があった。これこそが、日本のデフレからの脱却を妨げるものだった。
「絶対にこんな状況(デフレ)は止める」と訴えつづけ、「ガソリン切れにはならない」「目的地に着くまでアクセルを踏みつづける」という印象を保つことこそが、そこでは求められていたのだ。
安倍首相の非日本人的な決断力への期待
2009年に日本では、自公政権から民主党政権への政権交代が起こった。そこから3年が経った2012年。自民党は再び、政権の座に返り咲くことになった。
それまで長年にわたって、日本では「決められない政治」「決められない首相」が当たり前のスタイルだった。日本だけではない。「アメリカが日本スタイルの罠に陥る可能性があるだろうか」という質問に対して、私は「可能性?」と聞き返す。アメリカはもう、その罠にはまっているからだ。何が問題なのかは理解していても、それを実行する政治力がない。
しかし政権が変わってから突然のように、日本は「決める政治」への舵取りを始めた。安倍首相の決断力は、日本にとってよい結果をもたらすことだろう。
国の指導者は、大それたことをしない――。ふつうであれば、市場はそう信じたいと考える。しかし、ほんとうは違う。指導者は馬鹿げたことをする、あるいは非伝統的な決断をする、ということを、市場に納得させる必要がある。「決められない政治」のもとで、日本国民自身もそうした決断力をずっと待ち望んできた。
大それた決断によって、問題が起きることはないのか。アメリカが1930年代の世界恐慌で打ち出した大胆な金融政策、戦前の日本において高橋是清蔵相が昭和恐慌を沈静化させたプログラムなどが歴史的な成功例だ。もちろん失敗もある。過激なことを行なうと政治が不安定化し、政権交代が起こることもありえなくはない。しかし、いまの日本政治はそうした状況にはない。
私がいま期待するのは、安倍首相の非日本人的な決断力が、人びとの「期待」を変えるのではないか、ということだ。
もちろんのこと、私の専門は日本政治ではない。しかしその私にとっても、彼の決断は驚くべきものだった。来歴をみるかぎり、安倍氏は古いタイプの政治家であり、アメリカの言葉でいえば「マシーンポリティシャン」のようにみえる。「マシーン」とは利権や猟官制に基づく集票組織のことで、アメリカの多くの都市ではマシーンポリティクスが存在し、現在まで続いているものもある。
だからこそ、利権政治のなかで育ってきた政治家が突然、恐れを知らないリーダーになったかのような印象を、私は安倍氏に感じるのだ。
アベノミクスは、プリンストン大学の経済学者たちが十数年前に書いていた論文の内容にそっくりだ。バブル崩壊後、日本は財政刺激策を継続したが、金融政策面でのサポートがなかった。2000年代前半の量的緩和では逆に、財政面でのサポートが不足していた。
そして、ここにいたってついに、コーディネートされた金融・財政政策が登場した。それぞれ個々は以前に実行されたものだが、それがコーディネートされている点に新味がある。
そもそも日本はなぜ、「失われた20年」を経験することになったのか。インフレとデフレについて、いかなる見方をもつべきか。そこで中央銀行が担うべき役割は何か。アベノミクスによって日本経済はどう変貌し、その先にある世界経済はどのような未来を描くのか……。
1998年、日本経済のはまった「罠」について、私は「It’s Baaack!」(復活だあっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲)という論文を書いた(『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』〔春秋社〕所収)。本書はそのなかで述べた視点も引き継ぎながら、変化する日本に向けて贈るメッセージである。
<書籍紹介>
ポール・クルーグマン 著
山形浩生 監修・解説
大野和基 訳
本体価格800円
バブル崩壊以降、なすすべなく「失われた20年」をすごしてきた日本。1998年に論文「It’s Baaack!」で無為無策を痛烈に批判した著者が、「異次元の金融緩和」で劇的に変化しはじめた日本経済にいま、熱い「期待」を寄せている。なぜ長きにわたってわが国はデフレから脱却できなかったのか。どうして人びとはインフレを過剰に恐れるのか。かつてと様変わりした中央銀行の役割とは。そして日本・世界経済はこの先、いったいどのような未来を描くのか―。アベノミクスの理論的支柱であるノーベル賞経済学者が「ロールモデルとしての日本」の可能性を語り尽くす。
<著者紹介>
ポール・クルーグマン
1953年ニューヨーク州生まれ。74年イェール大学卒業。77年マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。イェール大学助教授、マサチューセッツ工科大学教授、スタンフォード大学教授を経て、2000年よりプリンストン大学教授。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授も兼任。大統領経済諮問委員会の上級エコノミスト、世界銀行、EC委員会の経済コンサルタントを歴任。1991年にジョン・ベイツ・クラーク賞、2008年にノーベル経済学賞を受賞。『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムはマーケットを動かすほどの影響力をもつといわれる。
著書に、『グローバル経済を動かす愚かな人々』『格差はつくられた』『世界大不況からの脱出』(以上、早川書房)、『良い経済学 悪い経済学』(日経ビジネス人文庫)、『経済政策を売り歩く人々』(ちくま学芸文庫)ほか多数。