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卑弥呼は旅行代理店の女社長だった?〜古代史の謎を解く

2015年02月21日 公開

長野正孝(元国土交通省港湾技術研究所部長)

PHP新書『古代史の謎は「海路」で解ける』より

古代史の謎は「海路」で解ける

 九州の倭国〈わこく〉から大和政権に移る間、松本清張も指摘しているように「謎の4世紀」と呼ばれる時代があり、神功皇后や「倭の五王(讃・珍・済・興・武)」、さらにその前の時代の卑弥呼の耶馬台国について、これまで多くの議論がなされてきた。

 これら人物たちには1つの共通点がある。文献において、海を渡る記述があいまいな表現にとどまっていることである。たとえば、「倭の五王」が4世紀に多くの使者を派遣し、日本海を航海しているが、『日本書紀』には何も書かれていない。

 このような「海を渡る術」に着目して古代史を点検すれば、今まで隠されてきた日本人の歴史を発見することができるのではないか。そう考え、倭人〈やまとびと〉の船師(ふなし:船長)、船匠(ふねのたくみ:船大工)、水夫(乗組員)の身になって、それぞれの時代で船を造り、船を操り、海を渡り、港の雑踏にたたずみ、潮の匂いを嗅いだつもりになって、筆を進めた。

 私はこれまで30年間、港を造り、船を造り、船を走らせる仕事をしてきた。波の荒い太平洋、日本海、年中穏やかな瀬戸内海など本書で扱った日本の海だけでなく、地中海、黄海、シャム湾、インド洋、カリブ海など世界の海で仕事をしてきた。タイのラムチャバン港や第二パナマ運河は血を沸かせた記憶に残る仕事であった。退官後は、大学で教鞭を採る傍ら、多摩川を拠点にカヌーで学生と遊び、最近ではヨーロッパの運河の素晴らしさに10年間はまってしまった。

 日本史は専門ではないが、今回古代の海を渡るにあたって、記紀や『魏志倭人伝』はもちろんのこと、古代史に関する著名な書はあらかた読み込んだつもりでいる。

 特に、耶馬台国に魅せられたわけではない。ただ、日本人は海洋民族ではなかったか――との疑問が長い間心のわだかまりのように残っていた。今回、「海洋民族」日本人の復権を図るため、古代史の旅に出かけたのである。人間が人力で船を動かす普遍的な能力はスキルの差はあれ、昔も今も変わらない。体力はほぼ同じで、現代人と同じ行動を古代人も採るであろうという前提に基づき、謎解きに挑戦した。

 その結果、『日本書紀』の謎がかなり解けたと考えている。

 皆さんと一緒にタイムスリップをして、古代の海に手漕ぎ船を漕ぎ出し、ロマン溢れる海の旅を体感し、面白いと感じていただければ幸いである。日本民族は、農業民族でもなければ騎馬民族でもなく、「海洋民族」であったという考えを共有していただければ、それに勝る喜びはない。

 

卑弥呼とは何者か?

『魏志倭人伝』卑弥呼の虚像と実像

 耶馬台国の女王は卑弥呼とされ、耶馬台国には別に伊支馬〈いきま〉、弥馬升〈みまし〉、弥馬〈みま〉獲支〈わき〉などの官吏がいるとされている。卑弥呼は、国家連合体によって担ぎ出された女王と読み取れる(松尾光『現代語訳 魏志倭人伝』新人物文庫より)。1000人の婢(はしため:召使い)を使って、宮室、楼観、城柵を構えた城に住み、鬼道を使っていたとある。鬼道とは仏教、道教以外の祈禱、呪術の総称だとされている。後の壱与も晋の時代に朝貢している。『晋書武帝紀』に266年、「倭人、来たりて方物を献ず」とある。

 卑弥呼の王国の所在地を議論する前に、まず「なぜ、都市国家連合に君臨でき、どのように卑弥呼は財力を得たか」を考えたい。その答えは、言うまでもなく鉄の交易の支援である。卑弥呼は、鉄を巡る対岸交易で、「海を渡る」というノウハウを提供したサービス業の女社長だということができる。そう考えれば、交易を行った都市国家に君臨し、朝貢を行ったことの説明がつく。私は、女王というのは卑弥呼の虚像であると考える。

 九州全域、北陸から山陰までの日本海全域の都市国家の対岸貿易航路を支配し、祈禱や交易業務の取次サービスを行うことで、お布施、手数料を得ていたと考える。具体的には、渡航する際の漕ぎ手の手配、宿、食料の提供、船の修理などサービスの提供、船の提供まであったと考える。その対価はモノの上納で、これが卑弥呼の収入源であった。

 今でいう旅行代理店、船貨し業、乗組員手配業、さらに天気予報業務である。それから忘れてはならないのは疫病である。遣唐使の時代もそうであるが、この時代も大陸からコレラやチフス、赤痢などの伝染病が流行った。それを治癒するのは巫女の祈禱であった。

 フェニキア、ギリシャ時代から、巫女(シャーマン)の超自然的な力によって、多くの歴史が創られ、神話を生んできたといわれている。古代海洋国に共通することであるが、文字や言葉で大きな組織を動かせない社会では、巫女や神官が占い、祈禱、呪術を行い、祝詞を上げ、修祓(しゅばつ:お払い)をし、高揚感を与えながら神のお告げ、神託を行う。それで、その場の雑多な船団を統率し、戦争の際には軍を率いたという。

 対馬海峡の横断の場合、科学的な知識、ノウハウと知恵が必要で、船乗り仲間だけでは、意見がまとまらない。「明日出航するかしないか」誰か第三者に肩を押してもらわなければならない。その役目を負ったのが、卑弥呼など天気予報士達であった。天気予報に長た けた女性がいれば、その言を信じたのである。

 纏向〈まきむく〉や河内湖の巫女には種まきや刈り取りなどで暦を考える必要はあったが、海の天気予報の能力はまったくないように思われる。卑弥呼をトップに従者が1000人もいたのはそんな理由かも知れない。

 要は倭国旅行代理店の女社長であった卑弥呼は、参加した各国の総代と相談しながらロジスティックを仕切ったと考える。

 彼女達がヤマト倭国にいたか、九州にいたかの議論は、考えればわかることであろう。海の傍である。東西の文物の遺跡が出土するのは宗像大社の沖津宮と辺津宮、出雲、そして丹後王国の函石浜遺跡、いずれも海の傍である。

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