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辞書編纂者・飯間浩明の「日本語を使いこなす技術」

飯間浩明(日本語学者/『三省堂国語辞典』編集委員)

2015年05月14日 公開 2023年02月01日 更新

 

「生きた紋切り型」を見つけて蓄える

「多くの皆さまにご迷惑をおかけし……」という謝罪では「わびる」ことにはならないと述べました。相手の事情への想像力が感じられないからです。

このような言い方については、「紋切り型だからいけない」という意見があります。たしかに、紋切り型だけでは、実際の事情を踏まえた発言にはなりません。紋切り型にはマイナスの面があります。

ただ、紋切り型の言い方は全部だめかというと、必ずしもそうではありません。むしろ、必要なときに決まった言い方ができないのは、「口のきき方を知らない」ということであって、かえって相手の気分を害することになります。

すでに話題にした「挨拶」などは、紋切り型の典型です。毎朝家族に「おはよう」と言うのは、マンネリの極致です。でも、挨拶を交わすことで、お互いの心が通じ合います。「『おはよう』なんて紋切り型のことばはやめよう」と言う人はいません。

挨拶に使う紋切り型と、不祥事で謝罪するときの紋切り型との違いは、

「相手に近づこうとする気持ちが入っているか、入っていないか」

という点にあります。「相手の前から一刻も早く逃れたい」と思って、通り一遍のことばを発すると、「死んだ紋切り型」になります。一方、相手を思いやる気持ちをうまく乗せたことばは、「生きた紋切り型」になります。

私たちが蓄えておくべきなのは、この「生きた紋切り型」のほうです。

 

レジで「助かります」

「生きた紋切り型」の身近な例を示しましょう。

お店のレジで支払いをするとき、たまたま大きい札がなくて、

「すいません、100円玉ばかりですが……」

と恐縮しながら小銭を出すことがあります。店員さんはたいてい、「あ、はい」とか「いいですよ」とか答えますが、中には、

「ああ、助かります」

と言ってくれる人がいます。釣り銭に使えるので助かる、というわけですね。

100円玉のストックは店にあるでしょうから、本当を言えば、それほど困っているわけではないでしょう。でも、「助かります」という紋切り型に乗せて、お客への気遣いを示しています。

あるいは、会話中、たまたま出身地に話題が及んだときの紋切り型。こちらが「私は香川県の出身なんですが……」と言うと、

「ああ、いい所ですね」

と返してくれる人がいます。その人が実際に現地を訪れたことがあるとは限りません。

でも、テレビや何かを通して知っていれば、「いい所ですね」と言って差し支えありません。「ああ、そうですか」としか返さないのに比べて、ずっと印象がよくなります。

こういった「生きた紋切り型」を蓄えておき、実際の会話で使ってみると、お互いに気持ちよくやりとりすることができます。

 

「じかのお役に立つと思って」

昔の人は、人間関係の潤滑油として、紋切り型をうまく使っていました。決まった場面で使う紋切り型のことを「口上」と言います。

落語では、年長者が目下に口上を教える話がいろいろあります。「子ほめ」という話では、訪問先の赤ちゃんのほめ方を指南します。目や鼻のパーツが家族に似ている、と言えば喜ばれるのだそうです。また、「牛ほめ」では、訪問先で飼っている牛の立派さをほめる方法を伝授します。幸田文の小説「流れる」には、お歳暮に値段の安いお惣菜を贈るときの口上が紹介されています。

「お宅あたり何でもお間に合いだから、めったなものよりかえってお惣菜なんかのほうがじかのお役に立つとおもって」

つまり、「お宅には物が揃っているので、中途半端な物を贈るよりは、お惣菜などのほうがすぐにお役に立つでしょうから」という意味です。

「(こちらのほうが)じかのお役に立つと思って」というのは、味のある紋切り型です。

 

「手伝えることあったら言ってね」

紋切り型を蓄えるのが大事だと言うと、「では、それをどこで仕入れればいいのか」と思われるかもしれません。いくつかはマナーの本などにも載っています。でも、私がお勧めしたいのは、毎日の生活の中で「いいな」と思った言い回しを見つけて、記憶に留めておくことです。

大学生に、「心に残る紋切り型」はないかと尋ねてみると、けっこうありました。

たとえば、忙しいとき、人から、

「手伝えることあったら言ってね」

と声をかけてもらえると、特に頼む用事がなくても、いい気持ちになると言います。

また、小さいとき、親戚のおばさんが、

「これでアイスでも買って」

と言いながらお小遣いをくれたのがうれしかったと言う人もいました。「お小遣いをあげよう」と言うよりも、押しつけがましさがありません。

 

「応援よろしくお願いします」

埼玉西武ライオンズを就任1年目で優勝に導いた渡辺久信監督は、選手に、ヒーローインタビューの時「応援よろしくお願いします」と締めくくることを禁止したそうです。心のこもらない紋切り型だから、というわけでしょう。

「応援よろしく」はスポーツ界では嫌われるのでしょうか。大リーグのマーリンズに移籍したイチロー選手は、「おうえんしてくださいなんて~ いわないよ」と書かれたTシャツを着て話題になりました。本人の解説によれば、応援をお願いするのでなく、「応援していただけるような選手であるために」努力する、ということでした。

以前には、型破りで知られる柔道選手が、祝勝会で「応援よろしくお願いします」と型どおりの挨拶をしたところ、拍子抜けのざわめきが起きたという報道もありました。ファンとしては、もっと個性的なことばがほしかったようです。

私はどうかというと、「よろしくお願いします」は嫌いではありません。人によっては、メールの最後を「よろしくお願いします」で結ぶのも「送信者の形式主義が暴露されてしまう」と言います。でも、メールの結びを個性的で意味深なものにするよりは、心をこめて、しかもさらっと紋切り型で結ぶことは、丁寧で好ましいと思います。

先に触れたイチロー選手のTシャツも、くるっと背中を向けると、「応援よろしくお願いします」とちゃんと書いてありました。

 

(著者紹介)
飯間浩明(いいま・ひろあき/日本語学者、国語辞典編纂者)

1967年、香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。専門は日本語学。『三省堂国語辞典』編集委員。国語辞典の編纂のため、新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日常を送っている。早稲田大学などで非常勤講師。NHK Eテレ「使える!伝わる にほんご」講師。

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