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冤罪を防ぐための「検察憲章」私案

嶌信彦(ジャーナリスト)

2011年06月20日 公開 2023年01月30日 更新

嶌信彦

"声を震わせ涙した冤罪被害者

 冤罪事件が相次いで明るみに出るなかで、検察批判がかつてなく高まっている。とくに主任検事が証拠を改竄していたことがわかるに及んで、検察庁の組織、古い体質、チェック機構のあり方などの全面的改革が求められている。今日の検察にもっとも重要なことは、価値観が大きく変化する世の中で、国際社会や市民社会にも納得される新時代の“検察の正義”を問い直すことであり、裁判員制度の発足も考慮すると、新たに「検察憲章」を制定することを提案したい。

 法務省の幹部から突然、面会の要請を受けたのは、昨年10月下旬だった。当時、相次ぐ冤罪事件の発覚で急速に高まっていた検察不信に対応し、有識者で「検察の在り方検討会議」を発足させるので、そのメンバーとして参加してほしいというものだった。

 メンバーにはOBの検事総長や警察庁長官、高裁長官、日本弁護士連合会会長、特捜部検事、現役法学者らがズラリと並び、司法の門外漢は作家の吉永みち子さん、経営学者、それに私など14人のうち3、4人(座長は千葉景子元法相)。私は経済、国際情勢、政治などの取材をしてきたが、司法に対する専門的知見は皆無に近かった。ただ、国際社会や日本の企業社会から日本の司法のあり方を考えることと、裁判員制度が始まり一般国民が裁判に直接かかわりはじめたこの時期に司法界の歴史や問題を考え、ジャーナリズムの立場からモノをいうことも多少は役に立つかな、と思い引き受けた。

「在り方会議」は毎週木曜日に3~4時間、ときには臨時で7時間以上論議する日もあった。計15回の会合のほかに、大阪、札幌、韓国の検察庁の視察、ヒアリングがあった。

 この間、厚労省局長の村木厚子さんをはじめ最近の冤罪事件の被害者やその弁護士、最高検察庁幹部、企業のコンプライアンスや心理学を研究する学者などへのヒアリング、さらに現役検事約1,400人に異例のアンケート調査も行なった。冤罪被害者の聞き取りのときは、当時の苦しい状況を思い出してか、声を震わせ涙する人もいた。

 村木さんはやはり終始冷静で、勾留中は取り調べが終わると、その日のやりとりをノートにつけて点検を怠らなかったといい、家族や多くの支援者がいたことと、どんなに記憶を辿っても身に覚えがないという確信が揺らがなかったので、5カ月間の拘置にも耐えられたと述べた。ただ側に、相談する弁護士が立ち会ってくれていたら心理的にもずいぶん楽だったと思うと述懐していた。

 この「在り方会議」がつくられ、最高検も年内に検察改革を具体化すると約束したのは、冤罪事件の相次ぐ表面化で国民の検察不信が予想以上に高いことを知ったからだろう。とくに村木事件では、あろうことか大阪地検の主任検事が証拠を改竄、大阪地検特捜部長ら三人が逮捕され、検事総長、大阪高検検事長、次長が退官するに至る。さらに多くの検察幹部も処分された。

 当初、最高検は、今回の事件は大阪地検の特殊的要因が引き起こしたという色を強くにじませる報告書にしていた。しかし私たちの「在り方会議」では、検察庁全体を覆う旧い体質、組織のあり方、人的関係、権力のチェック体制の不備などをもう一度洗い直し、組織や教育研修、捜査方法、取り調べと公判への体制なども含めて反省すべきではないかという意見が多かった。

「在り方会議」では、全委員が課題を提出し、次の4点に集約して議論していった。「検察の使命・役割と検察官の倫理」「検察官の人事・教育」「検察官の組織とチェック体制」「検察における捜査、公判のあり方」の4分野。立場はかなり違ったが、それぞれについてギリギリの妥協を行ない、最終的には全員一致の結論を出した。

 これらのなかで、冤罪問題と絡み、とくに焦点となったのは捜査、取り調べ、公判のあり方における「可視化」の問題だった。本来なら犯罪を構成する具体的証拠を探し出し、それらを組み立てて犯罪のシナリオを推測、証拠を突きつけることで、その裏付けとして自供を迫るのが本道だ。しかし具体的証拠が少なく、状況証拠だけの場合は、主任検事の見立てた犯罪シナリオに沿って自供を迫るケースが少なくないという。

 その場合、被疑者が否定しても、密室の取り調べで威嚇的な言動や何日も勾留を続け、検察のつくった供述書にサインすれば釈放するといった取引をもちかけられると、つい応じてしまう心境になるらしい。結局被疑者は長い留置生活で頭も混乱し、「早く釈放されたい」という思いから、いいなりになってサインしてしまうという。

 検察側は公判に向けて、この取り調べにおける自供をもっとも重視する。“自供こそ最強の証拠”とする伝統的な考え方が根強くあるからだ。自供のなかにこそ、犯罪の動機、本人しか知らない事実があるとみているためで、捜査のシナリオどおりの自供を引き出す検事や口を割らせる“落としの名人”といわれる検事が、陽の当たる出世街道を歩きがちになる。

 しかしこの苛酷な取り調べによる供述の獲得は、一歩間違えると、冤罪を生むことにもなるのである。

 そこで弁護士界は一貫して、取り調べ時における弁護士の立ち会い権や、取り調べの全過程を録音・録画しておけば、被疑者が任意に自白したか、無理に検察の思惑どおりの自供に追い込まれたかがわかるはずだ、として全面的な「可視化」を求めてきたのである。しかもこの論争は6年以上にわたり、いまも行なわれているというから驚きだ。弁護側は取り調べの全過程を可視化し、検察の捜査や取り調べを透明化すれば人権侵害や威嚇的言動などが減り、公正な取り調べ、裁判につながるはずだと主張するわけである。

 これに対し検察側は、可視化のなかの取り調べとなれば事件関係者からの報復を恐れ、口をつぐむだろうし、逆に可視化を利用して自らの利益をしゃべるばかりで、真実に迫りにくいと反論。また海外では多く認められている通信傍受やおとり捜査、司法取引といった捜査手段が日本では認められていないので、取り調べによる自供、自白こそが犯罪の動機、証拠に迫れる唯一、強力な手段なのだと主張し、可視化はかえって捜査力を弱めてしまうと指摘しているようだ。

 この問題について「在り方会議」は、いま実施中の可視化の実験的試行をさらに拡大、全面・全過程の可視化や部分的可視化、少年犯罪者や知的障害者の取り調べの可視化など、さまざまなジャンルや方法などをさらに試行し、年内に全面可視化の方向に向けて最高検が結論を出すことを期待するとの合意で概ね決着した。

 また司法取引など新たな捜査手段の導入については、可視化問題との“取引”という発想とは別に、IT化、DNA鑑定の進展など急速に進化している捜査手段の多様化等も考え、取り扱いを別途、委員会で法的改正も含めて検討することで落ち着いた。

 私は一般国民が裁判員制度のなかで、冤罪という過ちを犯さないためには、取り調べ等の全面的な可視化の方向で最高検が決断することを期待している。

リークと“国策捜査”

 私はこれらのテーマに加え、メディアと検察のあり方についても議論したほうがよいと指摘してきた。メディアの検察報道は、検察の捜査シナリオに基づいた検察側の“リーク”に基づくものが多いのではないか、との批判が多いからだ。どのメディアも同じ方向で、一斉に犯人像や手口、自白内容などが載るので、リークを疑われるわけだ。

 これに対し検察側は「リークはない」と否定するが、報道内容が一つの方向に流れる背景には、全面的なリークはなくとも、検察官の表情の変化やうなずき具合など、さまざまな態度をリークと受け取り、報道しているのだ。報道で冤罪被疑者の人生を破壊してしまったケースはけっして少なくない。

 時折、ある報道機関が検察のシナリオと違ったストーリーを証拠や談話で掲載すると、検察の不興を買い、記者クラブなどへの“立ち入り禁止”を求められることもあるほど。今回の村木事件の主任検事による証拠改竄報道も、検察批判としてそうとうな勇気を要したという。冤罪は司法界の対応だけでなく、メディアの報道姿勢も問われる問題なのだ。検察とは別に地道な調査報道が重視されるゆえんである。

 私は1960年代後半、秋田支局の駆け出し記者のころ、地方検事らとよく国家論や検察の正義論について議論を行なった。そのとき検事らは「検察は国家の礎をめざしている」とよく口にした。「政治が堕落したら政治の巨悪を追及するし、過激な左翼運動や社会的に影響の大きい犯罪が続出し国家の軸が揺らぐようなことがあれば、それらを正すことが私たちの役割だ」と、強い国家意識をもっていることを感じさせた。

 当時は自民・社会の55年体制が強固で、汚職問題などと同時に労働・学生運動など、公安事件も少なくなかった。それだけに、自分たちは自由主義社会の礎石になり国家の軸がぶれないような役割を担っているという自負を抱いているようだった。

 しかし、自由主義・市場経済と社会主義・計画経済を標榜する米ソの冷戦時代は1990年に終結。世界はグローバル化、IT化の社会へと激しく変化していった。と同時に、社会を支え、構成する官庁や企業、多くの組織はコンプライアンス(遵法精神)を厳しく守り、人権や公正さ、差別などに敏感となり、さらに環境問題の重視、組織の透明性、説明責任を果たすことなどを強く求められている。利益だけでなく、社会的役割、貢献も課題とされる時代になってきたのだ。

 このため、これらの新しい価値観を無視して利益や組織のエゴだけに走る企業、品性をなくし社会に悪影響を及ぼす組織などは厳しく問われた。とくにここ10年間で中央官庁、地方官庁、日銀、企業、大学などの過剰な接待や杜撰な予算管理、無駄遣い、隠し金などは次々と摘発された。この対象は芸能界の不祥事、企業の偽装行為、相撲界の八百長問題にまで及んでいる。そのたびに透明性、公開性、説明責任、差別、人権、公正さなどについて厳しくそのモラルが問われ、21世紀時代の世界共通の価値観、共通のルールに合わせつつある。

 つい最近、ライブドア事件の堀江貴文元社長が帳簿の偽装などの罪で有罪判決を受けた。この判決に対し、せっかく日本に芽が出てきたベンチャー精神・企業の土壌を壊すものだ、との批判も少なくなかった。

 だがこれも、株式市場や企業会計の規制緩和(ルール改正)を悪用した株取引でボロ儲けを行なう社会風潮に釘をさし、企業の本道の重要性を社会にアピールしたものとも受け取れる。もともと本来のベンチャー企業とは、新しい創意や構想力で創造的な産業を興し、商品を作り出すことに価値があるのであり、株取引や上場の抜け穴、粉飾を使って株価を吊り上げ、カネ儲けに走る行為は、かえって本来の資本主義や自由主義市場をゆがめると判断して当然だろう。

 しかし、“額に汗して働くことこそが尊い”とする価値観だけで、目立つベンチャーなどをつぶしにかかるのは、一種の“国策捜査”ではないかとの批判も多い。検察が国家意識をむき出しに、モラル的な評価も含めて捜査することは、自由な市場や創造的気風をつぶしてしまう点にも気づくべきだろう。

公正な裁判を追求する義務

 私が会議で何度も主張したことは、現代の検察の使命を今日の国際的価値基軸とも照らし合わせ、今後の検察の捜査、組織のあり方、チェック体制、公判の進め方などを見直すべきだという点だった。そこで可視化など個別問題の手直しだけでなく、いま検察が受け止めるべき時代観を正面から見直し、国際社会や国民目線にも通ずる新しい「検察憲章」を提案したのである。

 欧米の司法制度では「検事の役割はたんに量刑を勝ち取ることでなく、公正な裁判を実現することに大きな使命がある」とし、「たとえ検察に不利な証拠であっても提出すべき」であり、検察と弁護士、裁判官は“武器(証拠)平等”の原則に立って、同じ土俵のうえで公判を争い、公正を期すべきだという論もある。日本は勝訴が目的化しているためか、不利な証拠の開示が不十分とされる。裁判員制度がスタートしている今日では、一般人も公正な判断をできるように検察、弁護士、裁判所は“公正さ”に向けて努力すべきではないか。

 私が試案として作成した検察憲章は、以下のようなものである。

 一、検察庁は法と証拠に基づいた捜査により、不正を追及し社会の安全と市民の正義を実現する。

 一、検察庁はその使命を遂行するにあたって、法の支配と基本的人権を尊重し、市民の権利を守る。

 一、検察庁は裁判にのぞむ際、たとえ検察に不利とみられる証拠であっても公正な判断に必要とされる時は積極的に開示し、公正な裁判を追求する。

 一、検察庁は証拠主義に基づく捜査・訴追能力を強化、改善するため科学的知見、組織、捜査のあり方などの改革に努める。

 一、検察庁は自らの組織の点検(チェック)機能を強化し、必要に応じてネットを通じた情報公開や記者会見を行うなどの手段によって透明性、公開性に努め、説明責任を果たす。

 一、検察庁は、国際社会の司法機関と協力し、世界の平和と安全、環境、基本的人権等の擁護に努める。

 一、検察官は取り調べにおいて、人間の品位と人権を尊重し、法に従って公正、迅速にその義務を果たす。

 一、検察官は高い倫理と品性を備え、自らが持つ権力に対し謙虚にふるまい、国と市民社会の礎になることを目指す。そのための教育、研修を強化する。

 一、検察官は取り調べにおいて、録画・録音を行い、求めがある場合は弁護人の同席を認め、被疑者の基本的人権に配慮する。

 こうした憲章をあえて提言したのは、司法の精神をわかりやすく理解してもらい、検察をたたくだけでなく、この憲章でモチベーションを高めてもらいたいとも思ったからである。

 最高裁判所の大ホールには、正義の女神(テミス)の大きなブロンズ像が立っている。剣と天秤をもつ女神は、天秤によって正義を測り、剣は法を執行する力を指すという。しかし、まず法が貧富や権力、社会的地位、人種などにかかわらず、万人に対し「法の下における平等」を示すことが第一であろう。

 それだけに権力をもち、人の人生を左右しかねない検察と、これを報道する第四の権力といわれるメディアは、謙虚に事実を発掘し、公正な裁判を追求する義務がある。また巨悪を追及するシンボルとされている特捜部は、その存在には意義があると思うが、よほど自らのもつ権力の行使に謙虚で、つねに公正の軸を自覚していないと特捜無用論も強まろう。

(※「在り方会議」の議論は、法務省HPに全文掲載)

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