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社会

イスラームの悲劇~中東複合危機から第3次世界大戦へ

山内昌之(歴史学者/東京大学名誉教授)

2016年03月01日 公開 2023年04月13日 更新

さらに加えて、ISが、シリアからイラクにまたがる地域を支配しつつ、周辺国家以上に力をつけて国家主権に挑戦している。

2015年11月13日夜、そのISが、パリにおいて同時多発テロをおこない、フランス史上に類を見ない大虐殺を起こした。

歴史を後世から振り返るなら、この「金曜日の大虐殺」は、かつてカトリックがユグノー(新教徒)を大量粛清したサン・バルテルミの虐殺(1572年)や、フランス大革命の時期に国民衛兵隊が5万人の市民に発砲したシャン・ド・マルスの虐殺(1791年)と同じく、被害者の実数よりも事件の象徴的な意味において、歴史の転換を画する事件として追憶されるだろう。否、フランス史だけでなく世界史においても、新しい無秩序を生み出した日として思い起こされるかもしれない。

その象徴性にまず気づいたのは、ローマ法王フランシスコである。法王は、このテロ攻撃を「まとまりを欠く第3次世界大戦の一部である」と表現した。つまり、これまで見られた戦争とは異質であり、必ずしも組織化されていないとはいえ、本質的に世界大戦へ発展する広がりをもった歴史事象だと喝破したのである。

あえて、私が法王フランシスコの真意を大胆に推し量るなら、第2次冷戦とポストモダン型戦争が結合する危険な時代が始まったと述べたかったのではないか。

これまで私たちが知っていた世界大戦とは、世界の強国や大国が同盟や連合を組みながら互いの陣営に分かれて、国家や体制がブロックを組んで領域的に対決する戦争にほかならない。この意味では、古典的にいえば、前5世紀のペルシア戦争やペロポネソス戦争は歴史に登場した最初の世界大戦なのである。

いま、われわれの眼前で進行しているのは、これらの古典的な大戦や、二十世紀における2つの世界大戦と異なる質の戦争だということだ。

21世紀に入って、これまで西欧が振りかざしてきた近代主義(モダニズム)的な概念や意味がどの地域でも成立する条件は、もはや失われつつあるように見える。自由や人権や民主化といった米欧の価値観が必ずしも中東やアジアで巧く機能していないのだ。

こうしたポストモダンの時代に、その挑戦者としていま名乗りを挙げているのがISであり、それがシリアやイラクからフランスまでに広げた「戦争」は、多くの点でポストモダン型の戦争というべき異形のものになっている。

訓練された「部隊」にも擬された個人たちがコマンドーさながらに、パリ市内で普通の生活を送る市民たちを無差別に殺戮する手法は、国家対国家の戦争でもありえず、国家対テロリズムという犯罪の枠組みだけで処理されるものでもない。

さらに、ムスリム対非ムスリムの「十字軍戦争」「反十字軍戦争」といったプレモダンからモダンの感覚で通俗化される古典的な戦争でもありえない。この点は、犠牲者の中にイスラーム系の市民たちも含まれていたことからもわかるだろう。

もっといえば、シリアのISが支配する地域で、彼らが主張する2014年6月のカリフ国家樹立以降、翌年11月までに、3591人が処刑され、うち1945人が女性や子供を含む民間人であったことが在英シリア人権監視団の調査で判明している。「十字軍」「反十字軍」といった表象やレッテルでは語りつくせない要素が含まれているのだ。

本書では、中東で進行する第2次冷戦とポストモダン型戦争が複雑に絡む事象を、「中東複合危機」と定義してみたい。そして、芳しくない悲観的想定であるにせよ、シリア戦争や中東各地の内戦が結びついた中東複合危機が第3次世界大戦をもたらすのではないか、というシナリオも検討する必要がある。

しかも、スンナ派盟主のサウディアラビアとシーア派総本山のイランは、安全保障など国益の総体を含めて長いこと競合し、すでに「冷戦状態」にあったところに、2016年1月の断交が起きたのである。それに引き続き、サウディアラビア空軍がイエメンのイラン大使館を空爆したとイラン政府は非難している。もし両国が正面から事を構えるなら、国家間衝突に留まらず、肥沃な三日月地帯と湾岸地域を舞台にしたスンナ派対シーア派の宗派戦争に発展するだろう。

この最悪のシナリオが実現すれば、中東複合危機は第3次世界大戦への扉を開くことになる。こうなれば米欧やロシアや中国も巻き込まれ、ホルムズ海峡は封鎖されるか、自由航行が大きく制限される。日本はもとより、世界中のエネルギー供給や金融株式市場や景気動向を直撃するショックが到来するのだ。

もっともイランは、2016年1月下旬のイスラーム協力機構緊急外相会議やダボス会議でサウディアラビアに緊張緩和を呼びかけ、ハーメネイー最高指導者も大使館焼き討ちを「悪行」だったと率直に非難声明を出している。イランとしては、制裁解除による国際社会復帰を優先したいのだろう。

両国の対立から利益を得るのはISである。ISと対決する国際的取り組みが弱まるからだ。スンナ派対シーア派の宗派的力関係が敵対的に変化するだけで、サウディアラビアやカタルやトルコなどISに共感しがちな一部世論をもつ国では、反シーア派と反イランの国民感情が強まり、中東情勢と国際政治の枠組みも大きく変動するだろう。

専門家や学者の中には、冷戦の学術的定義や第1次冷戦の歴史的経験にこだわるあまり、ロシアのプーチン大統領がポスト冷戦に終止符を打って「新たな冷戦」を大胆に決意した政治のリアリティを無視する人も少なくない。だが、2008年のグルジア戦争や2014年のクリミア併合とウクライナとの衝突は、まさに彼の決意の表れであった。そしてさらにシリア戦争への参戦は、第2次冷戦に関与して失地を回復するプーチンの意志が不退転であることをまざまざと見せつけた。

サイバー空間や宇宙空間という新しい戦場や戦域を念頭に入れれば、すでに第3次世界大戦は始まっているという考えも、むげに斥けることはできないのである。

著者紹介

山内昌之(やまうち・まさゆき)

東京大学名誉教授

明治大学特任教授、東京大学名誉教授。1947年、札幌市生まれ、北海道大学文学部卒。学術博士(東京大学)。カイロ大学客員助教授、東京大学教養学部助教授、トルコ歴史協会研究員、ハーバード大学客員研究員、東京大学中東地域研究センター長などを経て、東京大学教授を2012年に退官。現在、三菱商事顧問、フジテレビジョン特任顧問を兼ねる。発展途上国研究奨励賞、サントリー学芸賞、毎日出版文化賞(二回)、吉野作造賞、司馬遼太郎賞を受賞。2006年、紫綬褒章を受章。著書に、『スルタンガリエフの夢』(東京大学出版会、岩波書店)、『中東国際関係史研究トルコ革命とソビエト・ロシア1918-1923』(岩波書店)、『瀕死のリヴァイアサン』(講談社)、『ラディカル・ヒストリー』(中央公論新社)、『歴史とは何か』(PHP研究所)など多数。

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