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昭憲皇太后の夢にあらわれた坂本龍馬の「留魂」

2016年12月26日 公開

松浦光修(皇學館大学 文学部国史学科教授)

※本記事は、PHP新書『龍馬の「八策」』あとがきより一部を抜粋編集したものです。

坂本龍馬
坂本龍馬(写真:国立国会図書館)

 

夢にあらわれた龍馬

今年(平成28)の7月……、私は、京都での講演を終えたあと、ふと河原町の「坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地」の石碑を訪れました。史跡に立つ石碑というと、ふつうは人通りもまばらなところにある……というイメージがありますが、ご存じのとおり、その石碑は、きわめてにぎやかな通りにあります。

その時も、あまりの通行人の多さ(とくに若い人々の多さ)に驚くばかりでしたが、残念ながら、その石碑を気にかけて通る人は、ほとんどいませんでした。しかし、それらのこともふくめて、私にはそれが、なにやら「龍馬らしい風景」のような気もしました。

かつて私は、西郷隆盛や吉田松陰の本も書きました。西郷は戦死……松陰は刑死で、いずれも悲劇的な最期です。しかし、それでも二人には、死の前に心の準備をするくらいの時間はありました。龍馬はちがいます。その場所で、いきなり命を奪われたわけです。ほとんど即死に近かったでしょう。

その瞬間……龍馬は、何を思ったのでしょうか?

人は、死の瞬間、人生のすべてを一瞬でふりかえる……という話を聞いたことがあります。たとえば、遠くかすかな記憶ですが、私の高校時代の先生が授業中、こういうことをおっしゃっていました。その先生は大東亜戦争中、飛行機を操縦していて、墜落しそうになった経験があり、その時、本気で「死ぬ……」と思い、その時、一瞬で人生のすべてを回想されたそうです。

龍馬も、また一瞬で、人生のすべてを回想したのでしょうか……。しかし、かねて覚悟の死ではあっても、あまりにも突然のことで、さぞや龍馬も無念だったでしょう。

そのせいかどうか……、龍馬が「夢」にあらわれたという話は、有名なものだけでも2つあります。1つは、妻のおりょうの夢です。

龍馬が暗殺されたのは11月15日ですが、そのころ妻のおりょうは、下関で妹と暮らしていました。16日の夜に龍馬の夢を見たそうです。それは、「全身、紅に染み、血刀をさげて、しょむぼり」した姿でした。翌17日、龍馬の死を報せる使者がやってきたものの、その人は気の毒でならず、おりょうには何もいえないまま8日がすぎ、そのあと、ようやく三吉慎蔵が、おりょうに龍馬の死を、はっきりと伝えたそうです(『反魂香』)。

もう一つあります。没後37年たった明治37年2月のことです。夢を見られたのは、そのころの皇后陛下(昭憲皇太后)で、日露戦争の開戦の直前のことでした。死の直後は「しょむぼり」していた龍馬も、この時の夢になると、ずいぶん元気になっています。

最後に、そのころ『時事新報』に掲載された記事をかかげておきましょう。

iyashi

著者紹介

松浦光修(まつうら・みつのぶ)

皇學館大学 文学部国史学科教授

昭和34年、熊本市生まれ。皇學館大学文学部を卒業後、同大学大学院博士課程に学ぶ。現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。専門の日本思想史の研究のかたわら、歴史、文学、宗教、教育、社会に関する評論、また随筆など幅広く執筆。著書に、『【新訳】南洲翁遺訓──西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』『【新訳】留魂録──吉田松陰の「死生観」』『【新釈】講孟余話──吉田松陰、かく語りき』(以上、PHP研究所)、『大国隆正の研究』(神道文化会)、『やまと心のシンフォニー』(国書刊行会)、『夜の神々』(慧文社)、『日本の心に目覚める五つの話』(明成社)、『日本は天皇の祈りに守られている』(致知出版)など。

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