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「子曰く...」なぜ『論語』は2000年経った今も読み継がれているのか

佐久協(作家/元慶應義塾高等学校教師)

2011年10月01日 公開 2022年12月27日 更新

佐久協

今、読んでおきたい「孔子の言葉」

人づきあい、親子関係、勉強、仕事.......

そんな暮らし、人生のさまざまなシーンで悩みや疑問を感じた時、役立つのが『論語』です。今回、ぜひみなさんに読んでほしい孔子の言葉をピックアップしました。

最初に、論語の原文・出典を紹介し、次に漢文の「書き下し文」を記しています。そして言葉の意味を「口語訳」し、最後に、例を用いて現代風に分かりやすく解説しています。なお、書き下し文は現代漢字・現代かなづかいで表記しています。

子曰、人之生也直、岡之生也、幸而免    (雍也 第六 - 十九)

【書き下し文】 子曰(しいわ)く、人の生くるは直(なお)し。これを罔(し)いて生くるは、幸いにして免(まぬが)るるなり。

【口語訳】 ともかく人生は愚直なくらい真っ直ぐに生きるのが一番だよ。小ずるく立ち回って出世したり金儲けをしている者を見ると、自分もああしなけりゃと浮き足立つかもしれないが、そんな者を羨(うらや)むことなど、これっばかりもありやしないんだよ。ああいう連中は今のところマグレで災難から逃れているだけに過ぎないんだからね。

【解説】 孔子の生きた時代は今の日本とそっくりでした。貧富の差や、弱者と強者の差がどんどん広がっていたのです。そんな社会に悩む弟子に、孔子は目先にとらわれずに長い目で自分の人生設計を立てるようアドバイスしています。ソクラテスと同様に孔子は「ただ生きるのでなく、善く生きることが人生の目的である」と教えているのです。

子曰、不患人之不己知、患不知人也    (学而 第一 - 十六)

【書き下し文】 子曰く、人の己を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う。

【口語訳】 世間が自分を認めてくれないと嘆(なげ)く者がいるが、自分の周りにいる人の才能や長所に自分が気づいていないことを嘆くのが先だろうよ。

【解読】 若いうちは何でもいいから有名になりたいと思ったり、自分の才能に気づかない世間を恨んで犯罪に走る者さえいます。孔子の弟子の中にもそんな"有名病患者"がいたのでしょう。「他人の才能や長所に気づく能力を身につけたなら、世間はそういう人を放っておきゃしないよ」というのが孔子の真意です。

子曰、我三人行、必有我師焉、択其善者
而従之、其不善者而改之            (述而第七 - 二十一)

【書き下し文】 子曰く、我れ三人行えば必ず我が師あり。その善き者を択(えら)びてこれに従う。その善からざる者にしてこれを改む。

【口語訳】 人が三人一緒になれば自分のお手本となる者をきっと見出せるよ。自分より優れた者はもちろん手本になるし、劣った者でもその人の真似(まね)をしないように心掛ければ立派に手本になるじゃないかね。

【解読】 「朱に交われば赤くなる」と言いますが、私たちは都合の悪いことは友だちや他人のせいにしがちです。しかし孔子は自分が自分の主人であることを忘れるなと教えています。孔子は良い子だけとつき合えとも言っていません。人は人の中で人となるというのが孔子の考えですから、さまざまな人との交流を奨励しているのです。

子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以慴    (里仁 第四 - 二十一)

【書き下し文】 子曰く、父母の年は知らざるべからず。一(いつ)は則(すなわ)ちもって喜び、一は則ちもって慴(おそ)る。

【口語訳】 両親の年齢は覚えておくといいよ。一つには長寿を喜ぶために、もう一つは老いを気づかうためにだよ。

【解説】 孔子は三歳で父を亡(な)くし、二十四歳で母を亡くしました。孔子は家庭的に恵まれない環境に育ったので家族や家庭をことのほか大切にしています。父母は一番身近な人生の先輩ですから、その年齢を覚えておくと、父母が亡くなった後でも「ああ、あの時、父や母はこんな歳だったのか」と自分自身を見つめる目安にもなるのです。

子与人歌而善、必便反之、雨後和之   (述而 第七 - 三十一)
子釣而不綱、弋竜不射宿             (述而 第七 - 二十六)

【書き下し文】 子、人と歌いて善ければ、必ずこれを反(かえ)さしめて而(しか)して後(のち)にこれに和す。子、釣して網せず、弋(よく)して宿を射ず。

【口語訳】 先生は人と一緒に歌を唄っている時、上手な歌い手がいると必ず繰りかえさせてその後で一緒に唄われた。先生は釣りや狩りをなさったが、魚を大量に掴(つか)まえるハエナワはせず、枝に休んでいる鳥を射ることもなかった。

【解説】 孔子が今生きていたらカラオケでマイクを離(はな)さないかもしれません。孔子は大男でしたから、声量には自信があったようです。学問一辺倒ではなく、なかなかの趣味人だったのです。孔子は多才であることを恥じていますが、おかげで不遇時代を乗り切れたのです。孔子は趣味を持つ大切さを教えた最初の人だったとも言えそうです。

子曰、愛之能勿労平、忠焉能勿物誨乎   (憲問第十四-八)
子曰、性相近也、習相遠也           (陽貨 第十七-二)

【書き下し文】 子曰く、これを愛してよく労することなからんや。忠にしてよく誨(おし)うることなからんや。子曰く、性あい近し、習えばあい達し。

【口語訳】 愛する者には私は励まさないではいられなくなるんだよ。誠実な者には教えないではいられなくなるのさ。人間はオギャーと生まれた時には似たり寄ったりだが、教育によって大きく変わるものだからね。

【解説】 孔子が私塾を開いて弟子を教育するのは最晩年のことですが、この言葉には教育者としての孔子の気持ちがよく表されています。晩年の孔子は政治的には不遇でしたが、名前も顔も広く知られており、弟子たちをあちこちの有力者の下(もと)に就職させ、就職後も心配して相談に乗ってもいます。孔子の塾は元祖ハローワークだったのです。

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声に出して読んでおきたい『論語』

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