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日本は素晴らしい歴史のある国なのにどこかヘン

2017年09月10日 公開

ケント・ギルバート

ケントギルバート

「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人

中国の故事成句に「敗軍の将は兵を語らず」があります。戦いに敗れた者は、戦いの経緯や武勇について語る立場ではないという意味ですが、潔さを重んじる日本人は、大東亜戦争の敗戦後、この故事成句を文字どおり実行しました。多くの軍将校が自決し、人々は負けた戦争のことについてほとんど語らなくなってしまいました。

このような日本人の古き美徳が、20世紀にまで残りえたのは、歴史や文化、言語、領域といった国民国家を形成する要素が基本的には土着のままあり続けた、極めて特異な環境に、日本があったからでしょう。

しかし、そんな日本人の美徳は、GHQのみならず、中国と韓国に徹底的に利用されてしまいました。その結果が、現代の日本人の精神構造をつくりあげたのです。

中国や韓国のみならず、職業的反日活動家にまで媚を売って日本を貶めようとする政治家や学者、弁護士、運動家、メディア人には、もはや何をいっても無駄ですから、諦めましょう。彼らに「愛国心」を語りかけても無駄だと思います。私たちは粛々と、彼らの噓や欺瞞を暴き続ければいいだけです。

それよりも、私たちがやらなければならないのは、青少年に対する正しい教育を再構築することです。そしてそのためには、心ある日本人の一人ひとりが、まず、まともでバランスの取れた、それでいて情緒的な側面も兼ね備えた、健全な愛国心をベースとした価値基準を取り戻すことが第一の課題です。

最近、私が気づいたのは、日本で左派思想に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど「伝統的な価値観」なるものを持った人がいるということです。

彼らは、安倍総理が「美しい国、ニッポン」というと猛反発するのですが、その一方で、日本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感をも持たず、むしろ絶対的な信頼と愛着を持っているのです。つまり彼らは日本政府や自民党などという、いわば「父性的な権力」に対して、いちばん多感な中学2年生の少年少女のように反抗しているだけなのです。

そう考えると、彼らの多くもまた、つまるところはやはり、純粋すぎる日本人なのでしょう。

かつての日本では、恋する人のことを「わが君」といったそうですが、この最たるものが「大君」というもので、つまりは愛する人や家族、土地、山河すべてを包み込む郷土の象徴的存在たる天皇、ということです。しかし、戦後日本人は、そんな感覚と思考のあいだに、わざわざ思想的で人工的な切れ込みを入れて分断させてしまいました。

日本は、日本人の皆さんが生まれ育った土地です。どんなに近代化し、都会化して高層ビルが建ち並ぼうが、足元に広がる土壌こそが母なる大地であり、それが皆さんの存在を生み出し、これまで育んだことに間違いはありません。

また、日本は世界の中でも類い希な、興味深い歴史を築き上げてきました。

それに対して愛着を抱き、恋心を抱くということは、誰がなんといおうと、一人ひとりの日本人の心に湧き上がって当然の、自然な感情なのです。

実は私は、大学生のときに、ドナルド・キーン氏が英訳した三島由紀夫を愛読し(原文はまだ難しすぎました)、彼についての論文も書いているのですが、三島由紀夫は、1969年5月に東京大学で行なわれた革命派の学生(東大全共闘)との討論会で、こう言い放っています。

「天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでもたっても殺す殺すと言ってるだけのことさ」(三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大闘争』角川文庫)

当時の若い左翼学生らには、天皇はすなわち軍国主義やブルジョワジーの象徴であるという、単純なイデオロギー的な思い込みが最初にあり、それに難解な専門用語を付着させて多くの言葉を発したのです。

「朕はたらふく喰っているぞ。御名御璽……」というヤジを飛ばした学生もいましたが、それに対し、三島はこういっています。

「ところが、天皇というものはそれほど堂々たるブルジョアではないんだ。もし天皇がたらふく喰っているような堂々たるブルジョアであったら、革命というのはもっと容易であった。それでないからこそ、革命はむずかしいんじゃないか。そして、そのむずかしさの中でだね、諸君は戦い、ぼくだって戦っているんだ。それは日本の民衆の底辺にあるものなんだよ」(同書)

彼独特の面白くて激しい表現ですが、この言葉の中に、日本の長い歴史の中で誰一人として天皇と皇室の廃止に実際に手をつけなかった、あるいはつけられなかった理由の一つが隠されている気がします。天皇は自らの奢侈な生活のために、国民を犠牲にするような存在ではなかったのです。長い歴史を通じて、ヨーロッパの王侯貴族のような贅沢な生活を送っていた方が、どれほどいらっしゃったでしょうか。

むしろ天皇は、質朴ともいえる生活の中で、日本国民のために祈る存在でした。そのことを日本人もよく知っていたからこそ、天皇を打倒するような革命は起きえなかったのです。

1969年当時の全共闘の学生たちは、まさに戦後すぐに生まれ、GHQによる占領下で成長してきた人たちです。彼らが天皇を拒絶しようとしたのは、まさにGHQの望んだ洗脳の成果でしょう。あるいは、ソ連やコミンテルン(共産主義インターナショナル)が長年進めてきた、日本革命に向けた運動の帰結かもしれません。

しかし、そのような環境でつくりあげられてきた「愛国心」や「天皇」についての誤解とタブーから、ついに日本人が解き放たれるときがきているようです。いや、それはもう多くの日本人にとっては、現実に起きていることかもしれません。

誰がなんといおうと、天皇陛下は平和をお望みです。

日露開戦前夜の明治天皇も、真珠湾攻撃前夜の昭和天皇も、そして被災地や大東亜戦争の激戦地に足繁く通われる天皇皇后両陛下も、そのお心では常に、国民の平和と安全を祈願してこられました。天皇皇后両陛下は、戦没者や災害で亡くなった人たちへの鎮魂と、明日の復興、そして未来への希望のために全身全霊を捧げておられます。そして、そのことを熟知する人が、確実に増えています。

これまで日本人が追ってきた「理想」は何だったのか。日本人が生命に代えても護ろうとしたものは何だったのか。このようなときこそ、それをもう一度、日本人は振り返るべきではないでしょうか。

もちろん、GHQのWGIPなどの結果、日本の中で極限まで澱み、腐りきってしまって、ひどい腐敗臭を放っている勢力や利権構造も厳然として存在します。しかし、あなた自身はどうでしょうか。あなたの魂は、澱みきり、腐臭を放つドブの中にあって朽ち果ててしまったのでしょうか。あるいは今もなお、昔と変わらぬ強い光を放っているのでしょうか。

もしそれがまだ、かつてと変わらぬくらいの純粋で明るい光を放っているのだとしたら、偽善的で欺瞞に満ちた戦後日本の薄暗い社会の中で、知らず識らずのうちにそれに被せてしまった黒い布を、そっと外してあげてください。そして、じりじりと強く輝く自分の魂のあり方を決して恥じることなく、その光を次の世代の人々に分けてあげてください。光り輝く魂は、皆さんがその人生を終えた後も、さらに次の世代へと受け継がれ、永らく続いてきた、この日本という国の素晴らしいかたちを護っていくに違いありません。

それが、未来の若者に引き継がれていくさまを、私はもう少しだけこの国にいながら見つめていきたいと思っています。

※本記事は、ケント・ギルバート著『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』(あとがき)より、一部を抜粋編集したものです。

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