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掃除と仕事は同じ~松下幸之助はなぜ掃除を勧めたのか

渡邊祐介(PHP研究所経営理念研究本部次長)

2017年04月06日 公開 2024年12月16日 更新

掃除と仕事は同じ~松下幸之助はなぜ掃除を勧めたのか

『PHP Business Review松下幸之助塾』2012年3・4月号より

掃除を慣習として徹底させたり、あるいは生活の合理性の上で当然のことと推奨したりする経営者は、近代に限らず近世においても多々見受けられたことだろう。しかし、掃除というものを仕事観や人生観のみならず、自然・宇宙観と関連づけて考え、人間としての成長に役立つものと確信をもっていた経営者は、そうはいないのではないだろうか。松下幸之助はその数少ない一人である。松下は掃除にどのような思いを抱いていたのであろうか。

 

掃除の重要性を訴えた松下

 松下幸之助が人材教育において、掃除を励行させていたのはよく知られている。

 1980年に、「21世紀に理想の日本を実現するための基本理念の探求と、それを具現する指導者の育成」を目的として、私財70億円を投じて設立した松下政経塾においても、松下は入塾者に徹底した掃除を命じた。

 また一般的にはあまり知られていない教育機関として、滋賀県草津市に松下幸之助商学院がある。1970年に系列のショップ店の後継者教育のために設立された全寮制の学校で、ここでも教育課程の中に生活指導の基本中の基本として日に3度の掃除が組み込まれている。

 2つの教育機関に共通していえることは、専門的な知識や技術の習得の前に、一人の自立した人間になるために、また社会人としての人間的修養を積むために、全人教育を施すという姿勢である。

 その全人教育の中で、掃除は松下の強い意向で重要視され、今日も実践されている。

 松下はなぜ掃除を教育の場で重要としたのであろう。それを考えるために、まず松下自身がどのような過程を経て、掃除にふれ、掃除の効用を感じ取っていったのかをみておこう。

 まず掃除をすることになったのは、九歳のときに和歌山市内で通っていた小学校を4年で中退し、大阪船場に出てきて奉公生活を始めたときからといってよいだろう。

 最初に入った宮田火鉢店では、商品の手入れとともに朝の拭き掃除、3カ月後に移った五代自転車店でも朝晩の拭き掃除や掃き掃除、陳列商品の手入れは必須であった。

 伝統的な商家の習慣に準じたことであったろうが、松下はこうした商家の慣わしの中に日本のよき伝統があり、勤勉さ、忠誠心が醸成される要因があると感じていたようだ。評論家の山本七平氏との対談で次のように語っている。

 「私の若いころには、掃除1つをとっても自分の家の前だけでなく、向う三軒両隣の家の前も掃除したもので、お互いにお隣さんに負けずにやろうというところがありましたが、こうした気構えが最近あまり見かけられなくなったのは、少々残念なことです」(『松下政経塾報』1982年7月1日)

 この発言からも、当時の掃除の原点となっていたのは奉仕の心と商人の美学であったことがわかる。松下からすれば、そうした時代のエトスが失われつつあることが残念に思われたのであろう。

 経営者の立場になってから、掃除についての考え方がうかがえるのは、創業して5年、1923年の年末、29歳の青年実業家の時代である。

 仕事じまいをしている工場内を松下は見回っていた。どこもみなきれいに掃除してある。ところが、従業員の便所の掃除がなされていない。主任も古参社員も傍観しているだけで、互いに反目しあっている風さえある。しかし、どんな状況にあれ、便所は各員が使用する場所であり、互いに声をかけあってきれいにしておくべき場所である。二人に注意しようと思ったが、ゴチャゴチャと口答えや言い訳をするかもしれない。そう考えた松下はみずから箒を持ち、バケツに水をくんで汚物を流し始めた。周りの従業員はびっくりし、手伝っていいものかどうかの判断すらしかねてぽかんとしていたという。

 現場にいた後藤清一(のちの三洋電機副社長)によれば、次のようであった。

 この新工場へ移った年の暮のことである。全員が、恒例行事である年末大掃除を行なった。ひとわたり工場の掃除がすんだ。みんな、着物を着替えて帰り仕度にとりかかっていた。大将(注・松下幸之助のこと)が見回りに来られた。
「ご苦労さん、きれいになったな」と、褒めながら、便所の戸を開けられたのだ。実は便所だけは、誰も掃除をしていなかったのである。大将の顔色がみる間に変わった。
「もうお前らには掃除はまかせん」。大将自らコテを持って来て、便器にへばりついた汚物を取りはじめたのである。現在の水洗便所とは違って、当時の工場の便所は汚なかった。
(えらい悪いことをしてしもた)「大将、わしがやります!」。雑巾を手に、私は夢中で飛び出した。私に続く者が2~3人いただろうか。いっせいに便所掃除をした。汚ないとか、臭いなどという気持はまったくなかった。自分が一番尊敬している、一番大事な大将に便所掃除をさせる――。そのことだけで、私は恥ずかしくてならなかった。やっと掃除が終わった。
「ああ、ご苦労さん。汚ないのによう辛抱してやってくれたなあ」。大将のニコニコした顔があった。駄賃にたいこ焼き3つずつをもらった。

(後藤清一『叱り叱られの記』日本実業出版社、1972年)

 一方の松下はこのとき、笑顔とは裏腹に、指導精神を強化する必要性を強く感じたという。著書『私の行き方 考え方』(PHP文庫、1986年)に松下は、このときのことを、「はからずもこの便所の掃除をしたことが、私にとって得るところが実に多かったのである」と記している。

 後年、他社の工場を訪問見学したときなど、現場を見ただけで経営がうまくいっているかどうかを言い当てることができたというエピソードがある。なぜそれがわかるのか。松下は掃除の状態を見きわめることで、仕事の円滑な流れや現場の人たちの心がまえを洞察できたからかもしれない。

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