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生き方

「理不尽」は人を鍛える、「理不尽」はおもしろさでもある

平尾誠二(元ラグビー日本代表監督)

2016年10月24日 公開 2022年11月10日 更新

ラグビー

※本稿は※本記事は平尾誠二著『理不尽に勝つ』(PHP研究所刊)より、一部抜粋・編集したものです。

 

「自分だけ」と思い込むな

最近の若い人は理不尽に向かい合う経験を子どものころにしていない。経験したとしても乏しいから、ちょっと壁にぶち当たったり、自分を否定されたりすると、絶望的な気持ちになりがちだ。そうなれば、どうしても現実から逃げたくなる。せっかく見つけた仕事であっても、すぐに辞めてしまうというようなことが起こる。

あることをあきらめて、別の道や可能性を探すことは決して悪いことではない。そう考えれば、逃げ出すのもひとつの方法かもしれない。たくさんの選択肢の中からひとつを消去したということだから、進歩ともいえないこともない。

でも、たいがいの場合、また同じことを繰り返すのではないだろうか。どんなところに行っても、多かれ少なかれ、理不尽な目に遭わされるからだ。そこに人間が介在するかぎり、絶対に矛盾が生じるからだ。

とすれば、まずは理不尽な状況に耐えなければならない。そして、それを乗り越えていかなければならない。そこでこういう提案をしたい。

「理不尽だな……」と感じた時には、こう考えてみたらどうだろうか。「そういう状況に置かれているのは、自分だけではない」

「どうして自分だけがこんな目に遭うのだろう……」

そう思ってしまったら、人間はつらくなる一方だろう。うらみつらみばかり募らせても、理不尽を乗り越える力にはならないばかりか、自暴自棄になりかねない。

現実として、理不尽な目に遭っているのは決して「自分だけ」ではない。だから、こう気持ちを切り替えるのだ。

「自分とはケースが違っているだけで、みんな多かれ少なかれ同じような目に遭っているんだ。おれだけが恵まれていないわけじゃないんだ」

伏見工業高校の恩師である山口良治(よしはる)先生がこんな体験談を話してくれたことがある。

先生が日本体育大学のラグビー部に入部した年の夏合宿のことだった。のちに日本代表に選ばれることになる先生だが、そのころは四軍にいて、ひたすら走らされた。合宿にはOBも来ていて、ようやくノルマを走り終わり、ひと息ついていると、罵声が飛んだ。

「顔を上げんか、こらーっ!」

昔の話だから水は飲ませてもらえない。ぶっ倒れた部員が水をかけられているのを見て、「いいなあ。おれも倒れよう」と思ったほどだったという。それほどつらかったのだ。

「もう限界だ。これ以上は走れない」

そう思った時、先生の目に大嫌いな4年生部員のすごくつらそうな顔か映った。大嫌いな先輩のそういう顔を見た先生は、とたんにうれしくなった。周囲の部員を見回すと、やっぱり全員が苦しそうな顔をしていた。その時、先生は気づいた。

「そうか! つらいのはおれだけじゃないんだ……」

周りを見れば、100キロを超える身体であえぎながら走っている奴がいれば、ケガした足を引きずりながら懸命に食らいついてくる奴もいる。

「こいつらに比べれば、おれなんかなんでもない!」

そういう現実に初めて気がついたのだ。練習がつらいかつらくないかを誰が決めるのかといったら、監督でもコーチでもない。自分自身だ。とすれば、自分の気持ち次第で、練習はつらくもなれば、楽にもなる。自分の気持ちをちょっと変えるだけで、がんばれる。そこに気づいたことがきっかけとなって、夏合宿が終わるころには一軍に上がっていた。

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理不尽に耐えられたことが信念となる

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