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運命・宿命・立命~易の思想に学ぶ人生の歩み方

2016年1月29日更新

運命・宿命・立命~易の思想に学ぶ人生の歩み方

松下幸之助の薫陶を受け、人間教育を研究し続けてきた小田全宏氏。小田氏の新刊『最高の人生教科書 易経』より、易のメッセージから学ぶ人生行路の歩み方をご紹介します。

運命・宿命・立命を考える

よく私たちは「運命的な出会い」とか「それがあなたの運命だ」という言い方をします。この運命という言葉の響きの中には「あらかじめ人間の意志を超えて決められていること」という意味が込められているのではないでしょうか。

しかし、私たちの人生の中で何が最初から決められていて、何が決められていないのか─この線引きをすることは簡単ではありません。「なぜ自分にはこういう状態で生を受けたのか?」といくら問うたとしても、それに対する明確な答えは出てこないでしょう。
哲学者のハイデガーは『実存哲学』の中で「人間は被投的(ひとうてき)存在である」と語っています。つまり、人は気がついたら、なんだかよくわかないけれど、この世の中に放り込まれている存在だというのです。自分の意志や力とは無関係に決定されているもの。これが「宿命」と呼ばれるものなのです。私たちがこの世に生を受けるというのはどう考えても、自分の意識の範疇にはありません。あらかじめ決められているものであるというのが、ハイデガーの考えです。この考え方に近いものが占いと称されるものの中にもあります。干支・九星・算命術・紫微斗数・星占い・西洋占星術・四柱推命などです。それらは、その人の生まれから、その人の運命を決定づけようという考え方であり、運命論の主流のひとつを成しています。
つまり、その人が生まれたときには、そのとき固有の宇宙のエネルギーが働いていて、それがその人の人生の運命を決定づけているという考え方です。九星など研究しながら人の運気を判断してみると、決してでたらめだと決めつけられないおもしろい結果が見られるのも事実です。
ただ当たり前のことですが、同日同時間、同じような場所に生まれたからといって同じ人生を送るはずはありません。
以前、四柱推命の大家の先生と話をしたことがあります。その先生は人間の人生は生まれながらにすべて決まっているのだとおっしゃる反面、「生まれも人生を判断するひとつの基準ではあるが、最後はどのように生きるかという人の意識が決定していくのです」ともご説明いただきました。
私は人間の幸不幸が生まれながらに決定しているという考え方には賛同できません。人間の人生は、たとえその生まれがどうであっても、意識と行動によって形成されるところに、人間の尊厳と価値があるのであって、生まれによって人の人生が決まるわけではないと私は考えています。

安岡正篤先生が語る『陰隲録』

安岡正篤先生は『陰隲録』(袁了凡著)に収録されているおもしろい話を紹介しておられます。
明の時代の話だそうですが、中国に学海という名の少年がいました。家は代々医者の家系でしたが、あるときひとりの不思議な老人が現れ、その少年の未来についていろいろと予言をしました。その老人によると、学海は医者にはならず、科挙の試験を受けて役人になるというではありませんか。その老人は、科挙で合格する順番も、赴任する場所も、また結婚するときも、最後は死期まで言い残して去っていきました。そして、その後の彼の人生はその老人が予言したとおりに進んでいったのです。あまりの的中率に学海は「人生はあらかじめ決まっているのだ」という強い運命論者になっていきました。
あるとき学海は、雲谷禅師という高名な僧に出会います。雲谷禅師は「君は若いにかかわらず、悟りを開いているような風情をしている。一体どんな修行をしたのかね」と尋ねました。
学海は「実は幼い頃ある僧に会いました。その僧が私の未来を予言したのですが、それからの人生はことごとくそのようになりました。私は人生があらかじめ決まっているということを知っています。だから何が起こっても全く平然としていられるのです」と答えました。
その答えを聞いて、雲谷禅師は学海を一喝したのです。

「なんだ、お前は悟りを開いた青年だと思っていたが、とんでもない大バカやろうだ。人生が最初から決まっているというのなら、どうして仏陀をはじめとした聖者たちがあれほど道を求めて修行したというのか。それともお前は歴代の聖人賢人よりも優れた人物だとでもいうのか」

学海は頭を殴られたような気分でした。

「道は心にあり」─雲谷禅師は学海を諭しました。

「善を積め。それを懸命に行なえ。善によって運命は変わるのだ」

その後、学海は禅師の言葉を素直に聞き入れ、懸命に陰徳を積んでいきました。そうするといつしか老人が語った予言がことごとく外れだしたというではありませんか。子どもは生まれないという予言も外れ、一子を授かり、53歳で死ぬと予言されたのにもかかわらず83歳まで生き延びたのです。
学海は自分の名前を袁了凡と改め、人生の教訓を子孫たちに伝えたといいます。これが、『陰隲録』のあらましですが、この物語は私たちの運命は自らの意志で切り開けるという思想を伝えています。そのポイントは「積善の徳」であり、「積善の家に余慶あり」といわれるように、陰徳を積み上げることが、人生の運気を好転させていくという確信を持つ点にあります。
まさに運命というのは「命を運ぶ」ことであり、自分の意志こそが自分の主人であるということなのでしょう。

しかし、ここで疑問が湧いてきます。この思想を突きつめれば、今不幸に陥っている人は、自分が良きことを行なっていない報いなのであり、「不幸の原因はあなたにある」ということになってしまわないでしょうか。不幸にあったり、事故にあったりする人はみんな「悪を積んだ結果」そうなってしまったのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。どんなに素晴らしい人であっても、不幸に見舞われることはしばしばあります。いやむしろ、自己中心的な人間がのうのうと生きていたりするのが世間というものかもしれません。
どんなに徳を積んだ人でも不幸に見舞われるときには、それを避けることはできないのです。しかし、それらの不幸をどう見るかで人生は根本的に変わってきます。

西郷隆盛の座右の書『言志四録』

幕末の大儒学者に佐藤一斎という人がいました。この佐藤一斎の弟子が佐久間象山であり、その弟子が吉田松陰、小林虎三郎です。その他にもたくさんの志士たちが佐久間象山の教えを受けたので、明治維新の元祖みたいな人といってもいいでしょう。
この佐藤一斎は、42歳から82歳までの40年間にわたり、『言志録』という人生の箴言を書き綴っています(『言志録』から始まって全部で4巻となり、『言志四録』といわれています)。
この書は後々まで指導者の書として多くの人々に読み継がれています。そして、この書を熟読し座右の書にした人物に、あの明治の英傑西郷隆盛がいます。
西郷隆盛はご存じのように藩主島津斉彬の引き立てで活躍しますが、藩主が没したあと、弟の島津久光との折り合いが悪く、沖永良部島に幽閉されます。風雨吹きすさぶ掘建て小屋に閉じ込められ数年間の月日を送ることになったのですが、そのとき西郷を支えたのが、この言志録だったのです。言志録で佐藤一斎は、人生の困難について「人生の苦難は天がその人物に大きな役割を負わそうとしているからであって、それを避けるものではない。その苦難が大きければ大きいほど天の役割が大きいのだ」と語っています。
この言葉によって、西郷は自分に降りかかってくる困難に対しても、それを凜々と乗り越えていったのです。
つまり運命の開拓という視点で見たとき、自らの人生をどのように創造していきたいかという積極的な意志と同時に、避けえない人生の不幸や不条理に対し、どのようにそれを受け止め立ち向かっていくのかという2つの心こそが、運命に対する積極的な態度であり、運命に翻弄されない揺るぎない心を創るのです。これこそが、真の運命観でなければなりません。これが「立命」というものであり、絶対避けえない「宿命」に対し「自分の命を立てていく根源的な座標軸」の追求こそが運命に対する正しい向きあい方だと私は考えています。運命を悲観したり、反対に根拠のない幸運を期待することなどは、自ら力で運命を創りあげていくことを放棄した姿といえるのです。

なぜ、私たちは未来を知りたいと願うのか?

私たちはなぜ未来を知りたいのでしょうか。その理由は、「より良く生きたい」という欲求と、未来への不安があるからです。
人は、易占に際して「この仕事はうまくいくでしょうか」「この結婚はうまくいくでしょうか」「この事業はうまくいくでしょうか」「この病気は治るでしょうか」「この夢は叶うでしょうか」と質問します。
こういう問いを発すること自体は悪いことではありません。しかし、「うまくいくかどうか」という問いの中には「自らがそれをどう成し遂げるか」という意志が含まれていません。
実は「うまくいくかどうか」ということを問う前に、自らが「どうしたいのか」「どうありたいのか」「何を行なうのか」ということにこそ、意識を集中して易占に臨むべきであり、その意志こそが未来を決定していくのです。
もし、占断したあなたが大きな運気の流れをつかむことができたとしても、その元にあるのが自らの意識であり、自らの意識が発端となって、善き運が引き寄せられてくると考えなければ、たまたま訪れた運に乗っかっただけとなり、その運が消え去ったときに、あなたには何も残らず、またもや人生の荒波に翻弄されてしまうことになるのです。
易の思想は、どんな運気の流れにおいても悠々と生きていく智慧を教えてくれるものでなければならないのです。

小田全宏著『最高の人生教科書 易経』より

小田全宏
1958年、滋賀県彦根市生まれ。東京大学法学部卒業後、(財)松下政経塾入塾。松下幸之助翁指導のもと、一貫して人間教育を研究。91年(株)ルネッサンス・ユニバーシティを設立し、多くの企業で人材教育実践活動を行なう。 著書に、『陽転思考』『新・陽転思考』(日本コンサルタントグループ)、『日本国改造プログラム』(編著、稲盛和夫監修)、『国民が目覚めるとき』(以上、PHP研究所)、『首相公選』『日本人の真髄』(以上、サンマーク出版)、『私たち塾生に語った熱き想い 松下幸之助翁82の教え』(小学館文庫)など多数。

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