村上祥子(むらかみさちこ)

料理研究家。1942年、福岡県生まれ。福岡女子大学国際文理学部 食・健康学科客員教授。油控えめ、一人分でも調理可能な電子レンジ調理の第一人者。「食べ力(R)」をつけることを提案し、国内外への実践的食育指導に取り組む。「たまねぎ氷」「バナナ黒酢」の生みの親。

大病を患わずらった村上祥子さんには、忘れられない味があります

「すたこらさっちゃん」「タイフーン祥子」
これは、今までに周りの方からつけられたニックネームです。
「村上さんは実は三人おりまして、一人は東京、一人は福岡、皆さんの前に立っているのがもう一人」
全国各地で精力的に仕事をこなす私を、講演会の主催者が紹介したときの言葉です。
そんな私の元気の源は、食べること。とにかく毎日、栄養バランスのよいものを食べています。

食べると、人は元気になる

食べる仕事に携わって五十年を迎えた私ですが、実は、四十代のときに、歯のほとんどを病気で失っています。
あるときから、原因不明の高熱と歯の痛み、顔の腫れに悩まされ始めました。親知らずの手術痕が化膿して、慢性骨髄炎を起こし、髄膜炎を発症していたとわかるまで、六十回は病院を訪ねました。その後は、四年間で八回の手術をし、歯を十八本抜き……。
治療中、口の中が傷だらけの私に出てくる病院食は、美しいほど細かくみじん切りされたもの。口に入れると、歯という「城壁」をなくしてしまったせいで、食べ物が口の中でばらけて飛び散ってしまい、とても食べづらく、味どころではありません。
そんなとき、夫が、私に届いたというイタリア産の生ハムを少しだけ、こっそりと病室に持ってきてくれました。
夜、皆が寝静まったころ、カーテンを引いて、生ハムをナイフで切り、一切れ、口に入れました。その生ハムの、まあおいしいこと。みるみる生きる気力がわいてきました。
傷口に塩気がしみて痛いのも忘れ、夢中で丸のみしました。そして、すぐに公衆電話から夫に連絡!「家にある生ハムを全部持ってきて!」(笑)。彼は、タクシーを飛ばして持ってきてくれました。
あの味は、今も忘れられません。食べることで人は元気になる。「ちゃんと食べて、ちゃんと生きる」という私のモットーは、このときに生まれたのです。
治療の間にも、仕事はずっと続けていました。病院のベッドには原稿を持ち込んで、新聞連載を書いていました。八回の手術の間隔は四カ月以上必要です。その期間、テレビの仕事も、大学の講義もやっていました。今思うと、歯がないまま、どうやって人前で話をしていたのだろうと不思議です。
どうしてそんなに頑張れるの? と言われますが、私は、言っても始まらないことは言いません。なぜ病気になったのとか、歯を失うことになったのとか、考えません。仕方がないことです。原因は必ずあります。それを探し、見つけて、対処するだけ。交通事故に遭ったようなものと考えることにしました。

落ち込むより、原因を見つける

五十年間、料理の研究を続けて、五十万点の資料が生まれました。そこには、レシピの失敗や成功の事例などがすべて記録してあります。若いころは、失敗したら見るのさえ嫌で、記録も取らずに捨てていましたが、それでは必ず同じ発想で試作し、失敗するのです。
なぜ失敗したのか、原因を突き止めて、記録に残し、次につなげる。それを繰り返すことで五十万点という数になっていったのです。
歯を失って物を食べにくかった経験も、介護食の研究に役立ちました。人間万事塞翁が馬ですね。
大学で私が受け持ったクラスの学生を送り出すとき、いつも伝えることがあります。「難しく見えることも、やったことがないだけで、できないわけではありません。大学での学びをたぐりよせ、成果に繋げていけばよいのです」。
うまくいくかしら、なんて心配している暇はありません。とりあえずやる。そして失敗してがっかりしたら、おいしいものを食べる。ちょっと豪勢なものだって、たまにはいいじゃないですか。
今、私の元気のもとは、土釜で炊いた、炊き立ての白いご飯です。お塩をちょんとのせるだけで、最高においしい。
ちゃんと食べて、ちゃんと生きる。それを忘れなければ、大概のことは大丈夫 。それをモットーに、日々、前進しています。