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「1+1=2」とは限らないと答える小学1年生の苦しみと、その子が変えた未来

2022年07月22日 公開

講談社編集部

オードリー・タン 幼少期

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日本でも最近よく聞かれるようになった「ギフテッド(Gifted)」という言葉。「天から才能を授けられた人」という意味で、生まれつき高い知能(IQ130以上が目安のひとつとされる)や才能を持つ子どもや若者のことだ。

台湾の天才大臣として知られる、オードリー・タンは、まさにこうしたギフテッドのひとりだった。

彼女は、台湾でギフテッド教育を受けていたにも関わらず、いや、ギフテッド教育を受けたからこそ、台湾の教育に深く絶望し、不登校となり、のちに台湾の教育を抜本的に変える「素養教育」に深く関わっていくことになる。

ここではギフテッドの子どもが直面する困難はどんなものなのか、彼女の伝記物語『「オードリー・タン」の誕生 ~だれも取り残さない台湾の天才IT相』の中から紹介したい。

※本稿は石崎洋司著『「オードリー・タン」の誕生 ~だれも取り残さない台湾の天才IT相』〈第1章1 ギフテッドという困難〉(講談社)より一部抜粋・編集したものです。

【オードリー・タン(唐鳳) PROFILE】1981年台湾・台北市出身。台湾のデジタル担当政務委員(日本の大臣にあたる)。ITやビジネスの分野で大活躍し、「ITの神さま」と称される。33歳でビジネスから引退。2016年、蔡英文政権に史上最年少の34歳で入閣。政府と民主主義のデジタル化を推進している。2019年、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100に選出。
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「生存率50%」生まれながらの心臓病

1981年4月18日、オードリーは中華民国(台湾)の首都・台北市で、唐光華(タン・グァンファ)と李雅卿(リー・ヤーチン)の長男として生まれました。

オードリー・タン(唐鳳)という名前は、24歳でトランスジェンダーであることを公表したときに改名したものです。それまでは、唐宗漢(タン・ツオンハン)という名前の男性として生きてきました。(中略)

さて、元気な赤ちゃんとして生まれたオードリーでしたが、誕生から40日後、とつぜん顔が紫色になるという異変に襲われます。病院で調べたところ、先天性の「心室中隔欠損」と診断されました。

これは生まれながらに心臓の壁に欠損=穴があいている病気です。医師は「穴をふさぐ手術をするにも、心臓が耐えられるようになる4歳まで待つ必要がある」というと、こう続けました。

「手術ができるようになるまで、薬を飲み続けてもらいます。それから、この子をなるべく泣かせたり、風邪をひかせたり、しないようにしなさい。もちろん、激しい運動もさせてはなりません」

しかし、両親は台湾の大手新聞社「中国時報」の記者で、毎日、忙しい生活を送っていました。そこで、日中、体の弱いオードリーの世話を見てもらうために、父親の唐光華の両親、つまりオードリーの祖父母といっしょに住むことにしました。

そのために、母の李はアパートのとなりどうしの部屋を買い、壁を取り払ってつなげました。また、唐光華の妹と弟、つまり、オードリーにとってのおじさんやおばさんにも住んでもらいました。

こうして、オードリーは、小さなときから、大家族の中で愛情をいっぱいを受けながら育つことになりました。

オードリーが特になついた祖母の蔡雅寳(ツァイ・ヤーバオ)によれば、オードリーは生後8ヶ月で言葉を話し、1歳2か月で歩き、1歳半では歌の歌詞を暗記できたそうです。(中略)

3歳のときには、子ども向けの百科事典に夢中になり、その内容を一字一句、記憶するほどになりました。さらに、複雑な漢字やアルファベットもおぼえ、数の計算もできるようになりました。

そんななかでも、心臓病の心配がいつもオードリーにつきまとっていました。運動や興奮で心拍数が上がるたび、気を失いました。医師からは、次に手術を受けられる年齢になるまで、生き残れる可能性は50%だと、宣告されてもいました。

昼間は気持ちが高ぶらないように気をつかいました。初対面の人と会うときには、相手がどんな人なのか、危険なことをする人ではないのか、身がまえるようになりました。ふつうの人にはささいな出来事でも、オードリーの心臓を止めかねないからです。

そして夜は夜で、「明日の朝も、ぼく、ちゃんと生きて目がさませるかな……」と、不安をいだきながら、寝床に入ります。

幼いながらもオードリーは、すでに命のはかなさを感じて生きていたのでした。 

 

どうして、みんな同じことをするのか…

4歳になったオードリーは、幼稚園に通うようになりました。ところが、そこでオードリーは、激しいとまどいをおぼえました。

「どうして、みんなと同じことをしなければならないんだろ……」

幼稚園では、おやつの前に、みんなで歌を歌います。トイレに行くときは、みんな1列にならんで電車になります。お昼ご飯を食べるのも、お昼寝をするのも、みんないっしょ。1人だけちがうことをするのは許されません。

しかし、オードリーは心臓病のこともあって、なにかと動きがおそく、また外で走りまわって遊ぶことも苦手でした。教室に残って、本を読むほうが楽しいのですが、その本もまた、ほかの生徒が喜ぶようなものではなく、むずかしい字が並ぶものです。

また、オードリーは幼稚園の先生に対しても、ほかの園児とはちがっていました。いわれたことを、決してうのみにせず、どうしてそうしなければいけないのか、疑問を投げかけるのです。(中略)

「宗漢は変わってる」

オードリーはほかの園児から、だんだん仲間はずれにされていきました。

ある朝のことです。母は、幼稚園に出かけようとするオードリーを見て、ぎょっとしました。なんと、小刀を持っていこうとしていたのです。

「そんなあぶないもの、どうして持っていくの?」

すると、オードリーは必死な目で、こういいました。

「自分を守るためだよ。いじめてくる子がいるんだ。トイレでたたいてくるんだ」

李は、オードリーが幼稚園で完全に浮いた存在になっていることを知りました。けれども、それで幼稚園へは行かなくてもいいとはいいませんでした。

これも社会生活に慣れるための教育だ、そう考えていたからです。

「みんなとなかよくしなさい。ほかの子のいいところを見て、ほめてあげるようにするのですよ」

結局、オードリーは、2回転校して3つの幼稚園を渡り歩くことになりましたが、どこへ行っても、状況はあまり変わりませんでした。

では、小学校へ入ると、状況は変わったのでしょうか。変わりました。ただし、もっと悪い方向に。

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