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松下幸之助が思い描いた「総理大臣のあるべき姿」

PHP研究所経営理念研究本部

2011年10月11日 公開 2022年09月29日 更新

松下幸之助が思い描いた「総理大臣のあるべき姿」

松下政経塾創設者である松下幸之助は「政治家の要件」や「日本の国政のあるべき姿」を『PHP』や論壇誌『Voice』、さらに自らの著作でたびたび提言しています。ここでは、昭和52年に刊行された『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』の終章「首相の演説」をご紹介します。本書は、近未来ストーリー仕立てで日本の国政のあるべき姿を描いたものですが、ストーリーのなかで登場する近藤首相の演説には、松下が思い描いた総理大臣の「あるべき姿」が見てとれます。30年近く前の作品ですので時代状況にそぐわない面もありますが全文を掲載していますので、ぜひお読みください。


 

首相の演説

「世界各国からはるばるお越しいただきました視察団のみなさん、外国人記者クラブのみなさん、本日はこうした席にお招きをいただきましてありがとうございました。このたび世界各国の代表的立場におられるみなさんが、こうして日本に来られ、しかも二カ月という長期間、視察旅行をされたということは、日本にとって初めてのことであり、非常に光栄に存じます。さぞお疲れになったことと存じますが、本日はそのしめくくりとして何か話すようにということで、非常な責任を感じつつ、ここにまいった次第であります。またあわせて日夜、真実にして公正な報道にいそしんでおられる在日外国人記者クラブのみなさんとも、こうして親しくお話しさせていただく機会を得ましたことは、私にとってまことに光栄であり、かつ大きな喜びであります。みなさんが日ごろわが日本の姿を広く世界にご紹介くださるとともに、いろいろな形で日本について、ご意見、ご提案をいただいておりますことをこの機会に深く感謝申しあげます。

本来であれば、本日はみなさんともども互いに語り合い懇談いたしたいというのが私の希望するところでございますが、このように非常にたくさんの方がご出席くださっており、また時間の都合もあってそういうわけにもまいりません。いきおい私のみが一方的にお話し申しあげることになろうかと思いますが、私の心持ちといたしましては、そのようにご一緒に懇談させていただいておるつもりでございますので、みなさんにおかれましてもそういうお気持ちでお聞きとりいただければ幸いでございます。

さて、本日のテーマでありますが、幹事の方のお申しつけによりますと、日本が今日のような理想的な姿になってきたその秘訣を話せとのことでありまして、実ははなはだ困惑いたしております。と申しますのは、私ども日本人の気持ちといたしましては、現在の日本の状態はまだまだ決して理想的とはいえないというのがいつわらざるところでございます。これから改善していかなければならない点は多々ございまして、むしろ今後あらゆる面において改善していく必要があるのではないかとわれわれは考えております。そういうことで、他のテーマに変えていただきたいとお願いしたのでありますが、いやそういうわけにはいかない、ぜひともこのテーマでやるようにとのきついお達しでございましたので、やむなく私なりの考えの一端をのべて責めを果たさせていただきたいと、このように考えておるしだいでございます。

ご承知のように本年初めに国際世論調査の結果の発表がございました。それによりますと、私ども日本人にとりましてはまことに思いがけないと申しますか、日本を好ましい国であるとお考えいただいた方が非常に多かったのであります。これは私どもとしてはいささか面はゆく、過分な評価をいただいたような感じをいたしておりますが、いずれにいたしましても、あの調査の発表を機会に日本に対する関心が非常に高まってまいりました。その結果多くの外国人の方がたが世界の各国から日本へ調査、研究、視察のために来られて、その結果を発表されました。またみなさんのご関係のいろいろなジャーナリズムにおかれましても、日本に関する記事を編集されたのであります。私も職責上、それらの多くを興味深く拝見させていただいたのでありますが、私どもとしても非常に教えられるところが大でございました。

そういうことからいたしますと、もう今日の日本につきましては、すでにみなさんがあらゆる面から研究され、報道しておられるのでありまして、いまさら私が申しあげることはないのではないかという感じがいたします。そういうことで何をお話ししたらいいものか、はなはだ困っておるのでありますが、そこで私はこれまであまり指摘はされておりませんが基本的に大切ではないかと考える点につきまして、2、3お話しさせていただきたいと思います。

すでにご承知のことと思いますが、日本が今日のような道を歩み始めたのは、1970年代の後半からであるということがいわれております。その1970年代の日本はどのような状況下にあったかと申しますと、政治、経済、教育その他社会の各面における混乱混迷が年々その度を増し、いわゆるゆきづまりの様相を呈しつつあったのであります。

第二次世界大戦後の日本は、戦争による非常な破壊の結果、国土は荒廃し、物資も欠乏してきわめて悲惨な姿でございました。しかし幸いにして諸外国の多大な援助、協力をいただき、また当時の日本人も懸命に復興、再建にあたった結果、30年足らずの間に非常な高度成長をとげ、GNPでは自由主義国家中第2位となり、"経済大国"と称されるまでになったのであります。

しかしながら、そうした好ましい姿の一方で、その経済成長自体があまりに急であったためのゆきすぎから来るアンバランス、さらには政治の混迷、敗戦に伴う人心の荒廃といったいろいろの問題を醸成させていたのであります。

そういうところへ、1973年の秋、第三次中東戦争に端を発したいわゆる"石油ショック"というものが突如として起こってまいりました。この石油ショックは、世界全体に大きな混乱をもたらしたのはご承知の通りでありますが、とりわけ石油の輸入依存度が世界一高い日本は非常な影響を受けたのであります。そしてそれを転機として、それまで高度成長のかげで胚胎していたもろもろの問題が一挙に噴出し、日本の社会は先に申しましたようにあらゆる面にわたってゆきづまりの様相がこくなり、そのままに推移すれば、遠からずして破局ともいうべき深刻な事態に直面するのではないかとも懸念されたのであります。"日本の危機"とか、"日本沈没"ということが盛んにいわれたのもそのころでありました。

しかしながら、まことに幸いなことに、そうしたいわば1つの大きな危機に直面して、当時の日本人が期せずして目ざめたと申しますか、"このままではいけない。何とか抜本的な改革を行なって日本を救わなくてはいけない"という声が各界各層の多くの人びとの間に起こったのであります。そして、そこから社会の各面にわたって根本的な反省、検討がなされ、それに基づいてさまざまな改革が行なわれてまいりました。そのようにして、以来30年余にわたって次つぎと改革を積み重ねてまいった結果が、今日みなさんがご覧になっている日本の姿なのであります。

しからば、どのような点で改革が行なわれたのかと申しますと、これは個々具体的には実にいろいろさまざまで、きわめて多くのものがございまして、ここで個々にそれを申しあげることはとうていかなわないのでございます。また、そうした改革の多くはすでにみなさんがいろいろな機会を通じてよくご承知であろうかと思うのであります。

そこで私は、先にも少し申しあげたのでございますが、そうした個々の具体的な問題でなく、それらのいわば根底をなしており、日本の今日をもたらした基本的な原因と考えられるもののうち、3つのものをあげてお話し申しあげたいと、かように考えております。

 

新しい人間観の確立

その第一は新しい人間観の確立ということでございます。みなさんもおそらく経験がおありのことと思いますが、多くの日本人はその会話の中でよく"人間の本質に則して"とか"人間の本性に照らして考えれば"といった言葉を使っております。これは結局、お互い人間の本性というものに則してものごとを考え行なっていくことが、人間の幸せを生み、好ましい社会をつくり上げていく上できわめて大切であり、それを無視、あるいは軽視してことを行なおうとすれば、往々にして人間自身を苦しめ、また社会を混乱させる結果になってしまうということであります。そういうことがある程度日本人の間では常識化してきております。やはり人間の幸せを考えるには、まず人間が人間自身を知らなくてはならないでありましょう。いいかえれば適切な人間観をもたなくてはならないということであります。

そうした基本の人間観に立脚して政治を行ない、経済活動を行ない、あるいは教育や宗教活動を行なう、いいかえればそのような人間観に基づいて共同生活におけるいっさいの活動を行なっていってこそ、それらが真に当を得たものとなり、人間の幸せに結びつくのではないかと考えられるのであります。

しかしながら日本においては、第二次世界大戦に入る前からそういう明確な人間像に乏しいものがありましたし、またその戦争なり戦後の人心の混乱というものが転機となって、そういった新しい人間観を確立しなければならないということが、強く叫ばれるようになったのです。いいかえれば、30余年前までの日本においては、人間自身がみずからを的確に把握しないままに、政治をはじめさまざまな活動が行なわれていたような傾向が強かったのであります。したがって、それらは往々にして人間性に反し、人間を苦しめるような結果になり、真に好ましく力強いものとはなり得なかったきらいがあったのでございます。その結果、そうした人間観の欠如が社会の混乱混迷の大きな原因と考えられるようになったのであります。

そういうところから、期せずして"人間の本質を究め、新しい人間観を確立し、いっさいの活動をそれに基づいてやらなくてはならない"という声が日本の各面にわき起こってきたのであります。そこから、"人間とは何ぞや"ということがいろいろな形で研究され、人間学といった学問分野も生まれて、衆知によってしだいしだいに人間の本質が解明され、1つの新しい人間観が生み出されてまいったのであります。

しからばその新しい人間観とはいかなるものかということでございます。これはくわしくお話し申しあげれば、何時間もかかるのでありますが、私は政治家であって、人間学専門の学者ではございませんから、ごく要点のみを申しあげます。

一言で申しあげれば、人間というものはきわめて偉大な存在であるということでございます。いいかえれば、人間には物心両面にわたるかぎりない繁栄、平和、幸福というものをみずからの手で実現することができる力がその本性として与えられているということであります。これはひとり人間だけに与えられているものでありまして、他の生物にはそういうことはございません。申しあげるまでもなく、人間以外の生物というものは、いわば本能の命ずるままに生きております。ひとり人間のみが、そうした本能とともに他の生物にない知恵才覚というものを与えられており、その知恵才覚を人間同士が寄せ合い、衆知によって人間の共同生活を逐次発展させて、今日のような偉大な文明、文化を築きあげてきたのであります。そしてまた、今後ともかぎりなく生成発展の歩みを続けていくことができる、それが人間の本質であると考えられるのであります。そういうことを考えてみますと、人間というものはまことに偉大な存在であり、いわゆる万物の王者とも申すべきものではないかと思うのであります。

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