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松下幸之助が思い描いた「総理大臣のあるべき姿」

PHP研究所経営理念研究本部

2011年10月11日 公開 2022年09月29日 更新

万物の王者というようなことを申しますと、あるいは、それはまことに不遜な見方であるとお考えの方もあろうかと思うのでありますが、しかし決してそうではないのでございます。この新しい人間観の最も大切なところは、過去においてともすれば弱いものと考えられていた人間というものを、本質的にもっと偉大な存在として認識しようとするところにあるのでありまして、万物の王者であるということは、その王者たるにふさわしい責務が人間にはあるのだということを意味しているのであります。いいかえればそれは、王者として慈悲の心をもち、衆知を集めて万物と人間自身を適切に生かし合っていかねばならないということであり、そういうことが正しく自覚実践されてこそ、はじめて王者としての人間の本質が真に発揮され、人間自身の幸せも、共同生活の調和向上も生まれてくると申してよいかと思うのであります。

以上要するに、人間は衆知を集め、正しい道をもってすれば、必ずや、物心の調和のとれた真の繁栄、平和、幸福を逐次人間みずからの力で実現できる偉大な存在なのであり、そういう力がその本性として人間には与えられているということでございます。

そのような新しい人間観が先にも申しあげましたように、混乱混迷を続けていた戦後の日本において1970年代の末ごろから逐次国民の間で認識されてきたのであります。そして今日それは、日本の国家経営はじめ社会のあらゆる面の活動の根底をなすようになってきております。

一例を申しあげますと、今世紀に入ってからの日本はいわゆる景気不景気の波のくり返しということをあまり経験いたしておりません。ほとんど一定の安定した率で健全な経済成長をとげてきております。ご承知のように景気不景気の循環というものは、従来は自由主義経済においては不可避とされ、あたかも天然現象のごとく考えられていたのであります。それを幸いにして日本においてはある程度まで克服し得たのでありますが、それと申しますのも、いま申しましたような人間観に基づき、景気不景気は人間の物心両面の働きの集積によって生ずる人為現象であり、したがって基本的には人間の衆知によってなくしていくことができるものだと考えて、これに対処してきたところに、適切な方策も生まれてきたということがあるのでございます。

また今日、日本国民共通の大きな目標としてとりくんでおります国土創成にいたしましても、一方ではその形だけを見て"自然破壊"だとする見方もございます。しかし、自然を活用して人間生活を物心ともにより豊かなものにするということは、人間がいわば原始未開の時代からやってきたことでございます。したがってこの国土創成は、かぎりない生成発展を生み出していくという人間の本質にもかなう、いわば自然知の命ずるところであるという観点に立って着手したのであり、まだ緒についたばかりにすぎませんが、いまのところ幸いにして大きな問題もなく進行しつつあるわけでございます。

もちろん、こうした国土創成のような大きな事業に日本が着手することができ、また幸いにしていまのところそれが順調に推移しておりますことは、ひとえにみなさんはじめ諸外国の非常なご理解と各面にわたるご協力の賜物でございまして、その点この場をおかりいたしまして、厚くお礼申しあげますとともに、今後とも何かとよろしくお力添え賜わりますようお願い申しあげるしだいでございます。

いずれにいたしましても、そのように、今日の日本における社会各面の活動は、こうした人間観に根ざしているのであり、そこにある種の力強さと妥当性が生まれ、多少とも成果をあげ得ているのではないかと考えるのであります。

ただ、一言申しそえますならば、この新しい人間観はたまたま日本において考えられたものではございますが、これは世界人類に通じるものではないかと考えるのであります。つまり、人間の本質というものは、人種のちがい、民族のちがいにかかわりなく、すベての人間に共通した普遍的なものだと申してよいかと思うのであります。したがって、世界のすベての人びとがいま申しましたような、王者としての偉大な本質とまたその責務とを有しているのであり、そうした自覚認識を根底にもって、各国それぞれの国家経営なり各面の国民活動を行なわれることが大切ではないかと愚考するしだいでございます。

 

日本人としての正しい自己認識

さて、今日の日本の姿をもたらしたものとして、私が重要と考えておりますものの第二は、日本人としての自覚ということでございます。これはいま申しあげた人間の本質の普遍性ということと一見矛盾するようですが、そうではないのであります。人間にはすベての人間に共通な普遍的な本質があると同時に、それぞれの民族なり国家によって異なった民族性、国民性というものがあるのも事実でありましょう。

それぞれの国によって自然条件と申しますか、気候風土もちがえば、歴史もちがうのであります。そして、そうした異なった歴史なり気候風土の中で培われてきた国民性、伝統の国民精神というものは、同じ人間であっても、やはり国によっておのずと異なるものがあると考えられるのであります。

日本は大陸から離れ、四面海に囲まれた島国であります。そして、その国土は山あり谷あり、河川や湖沼ありといったように、立体的で変化に富んでおり、同時に温帯地方にあって、四季といわれるような多彩な季節のうつり変わりがございます。 また、日本は建国以来2000年近く、世界にあっても比較的長い歴史をもっております。しかもその間、天皇家を国家国民の精神的中心としつつ、ほぼ一貫して発展の歩みを続けてきたという意味においても、独自のものをもつ国でございます。 そのように、特有の気候風土と歴史とをもつ日本の国には、そうしたなかでおのずと培われてきた独自の伝統の精神というものがあるわけでございます。それは大きくわけて3つのものがあると考えられております。それについて、ややくわしくお話し申しあげてみたいと思うのであります。

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