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生き方

「自分の意見には価値がある」と態度に出してくる人の自己中な心理

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年06月06日 公開 2023年07月26日 更新

「自分の意見には価値がある」と態度に出してくる人の自己中な心理

なぜ自己中心的な人は、周囲のことを考えず、自分が特別であるかのような振る舞いをしてしまうのだろうか。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏によれば、自己中心的な人ほど悩みを抱えており、劣等感が強い人だと明かす。人はどのように自己中心的になるのか。詳細に解説する。

※本稿は、加藤諦三著『不機嫌になる心理』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。

 

相手の事情を考えられないのは何故か

悩んでいる人は、自分が他人と同じ規則に従わなければならないということが許せないのである。ある仕事をしたければ、その仕事をしたいという人と同じように待たなければならない。同じようにその試験を受けたり、同じように待ったり、同じようにこつこつ力をつけたりしなければならないということがどうしてもわからない。

自分だけは特別にその仕事をできたり、自分だけは特別に会ってもらえるということがなければ気が済まない。他の人が会えないように自分も会えないということが認められない。

他人が従っている規則に自分も同じように従いさえすれば、友達もできるし、仕事も見つかるかも知れない。しかし、どこまでいっても自分だけは特別なのである。他人は自分のために存在しているという抜きがたい感じ方がある。

例えば、手紙を出してすぐ返事がこないと怒る。その人は今、病気かも知れない、その人は今、旅行中かも知れない、その人の身の回りに何か不幸があったかも知れない、ということは考えられない。ただただ、けしからん、けしからんなのである。自分が手紙を出したということ以外の現実はない。自分が手紙を出したのに、自分が手紙を出したのにと、そればかりである。

自分が不幸なのは、自分のことばかり明けても暮れても考えているからなのである。ほんの少しでも他人のことを考えられれば幸福になるという人はたくさんいる。少しでも忙しい人の手伝いをしようと思った()()、たちどころに消えてしまうような悩みを持っている人がたくさんいる。

自分のことを特別だと思っている人は、たいてい自分はそんなことを思っていないという。つまり、そのように思っている人にとって、自分は特別な資格を持つ人であるということはあまりにも自明なことで、意識すらできないのである。個々のことを考える前に、あらかじめ思い込んでいることなのかも知れない。

自分の話したいことが必ずしも他人が聞きたいことではないということがわからないのである。悩んでいる人は抜きがたいほど自己中心的なのである。自分にとって今、重要な問題がある。するとそのことは他人にも同じように重要でなければならないのである。

自分があることに意見がある。するとそのことは他人にとっても聞く価値があることになる。自分の意見は自分には重要である。しかし他人はそんなもの聞きたいとも思わないということが理解できない。

 

自己中心では何の解決もない

自己中心的な人はそれでは他人の意見を聞こうとするかといえば、そんなことは思いもよらない。自己中心的な人というのは、自分はこんなに大変なのだということを訴えたいのである。

そして皆から「大変ねえ、大変ねえ」といわれたいのである。自分はこんなに大変なのだということを皆に理解され、受け入れられたいのである。誰も私をわかってくれないというのは、そのように周囲の人が自分をとり扱ってくれないということにしかすぎない。

私は若い頃、ある人に政治的なことについて意見を述べた。そしてこのようなことを政治家に訴えたいといった。するとその人が、「つまり政治家はおまえのいうことなんか聞くほど暇じゃあないってことだよ」といった。その言葉を今でも覚えている。その場所も覚えている。

確かに私は自己中心的だったのである。自分の意見は他人にとって聞く価値があるというように感じていた。自分の意見、自分の意見ということばかり考えて、相手はどんな状態かということを考えてはいなかった。

私のような意見を持って政治家に会いたいという人は私以外にもたくさんいるのだし、いちいちそんな青臭い意見を聞いていたら政治家などしていられない。

私一人なら政治家もしかたがないといって会うことも考えられるが、そのような人は私以外にもたくさんいるのである。いちいちつき合ってなどいられないであろう。私も若い頃はずいぶん自己中心的であったと思う。

神経症的要求を持っているということは、自己中心的以外にあり得ようがないということである。自己中心的以外の感じ方ができない、自己中心的以外の考え方ができないということである。

つまり、そのような自己中心的な言動が通らないとけしからんと感じるということである。自分の意見を聞こうとしない人はけしからんし、自分に手紙の返事をくれない人はけしからんとなる。自分に会おうとしない人はけしからんとなる。

新入社員でも同じことである。自分の上司に対して自分が誰よりも重要な存在でなければ気が済まないという人もいる。そのような存在として上司が自分を扱わないとけしからんと感じる。

部長には同僚もいる。部長の上司という人もいる。その人達とは長年にわたって一緒に仕事をしてきた。さらに部長には家族がある。それに学生時代のクラブの友達もいる。心を打ち明け、苦しいときには何かと相談し合って生きてきた友達がいる。

自己中心的な人というのは、それらの人よりも自分の方が部長にとって重要な人間として扱われないとけしからんと感じる。それらの人よりも部長にとって自分の優先順位が高いのが当り前としか考えようがない人なのである。

部長にはまた趣味もあるかも知れない。自分がやりたいことがあるかも知れない。しかしそのようなことよりも、自分が頼んだ私的なことを優先しなければけしからんということになる。

相手は何を犠牲にしても自分の頼んだことをやるべきだという感じ方なのである。相手は趣味を犠牲にしても名誉を犠牲にしても、自分に奉仕すべきであるという感じ方なのである。そうしなければ、部長はなんとけしからん人なのだと感じてしまう。

自分が何かしてもらいたいと思えば、人々は何をおいても自分のことを第一にすべきであると信じている。そうでなければ、その人達はけしからんということになる。

自分がやさしい言葉をかけてもらいたいと思えば、人々はどんなに忙しくても自分のことを気にかけてやさしい言葉をかけるべきであると思い込んでいる。それどころではないというのが周囲の人の感じ方なのである。

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自己中心的な人は現実の自分を受け入れられない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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