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原発に立ち向かった消防隊指揮官の平常心

佐藤康雄(元東京消防庁警防部長)

2012年06月01日 公開 2022年11月10日 更新

原発に立ち向かった消防隊指揮官の平常心

2011年に起きた東日本大震災。福島第一原発の事故は、日本中の人々にとって忘れられない参事となった。

当時、出動した東京消防庁のハイパーレスキュー隊の陣頭指揮を執ったのが、佐藤康雄氏だ。国民の安全、隊員の命、あらゆるプレッシャーの中で、最悪の事態を回避させることができたのは、徹底したシミュレーションがあったからだという。

そんな佐藤氏の話から、“平常心”の身につけ方を学ぶ。

 

要請を受けてもとくに驚かなかった

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で、決死の放水活動によって最悪の事態を防いだ東京消防庁のハイパーレスキュー隊。その陣頭指揮を執ったのが、当時、同庁の警防部長を務めていた佐藤康雄氏だ。

失敗の許されないプレッシャーのなか、自らの心をどうコントロールしたのか。まずは当時の様子を振り返ってもらった。

「警防部長は、地震や台風などの大災害が起きたとき、全部隊を統括して、的確に災害対応し、都民の生命、身体、財産を守ることが主な仕事です。

震災直後、私は作戦室に入り、都内の被災状況に対応しつつ、東北地方への緊急消防援助隊の派遣体制を整えていました。ちなみに、私は昨年3月末に定年退職することが決まっていて、震災当日は送別会の予定でした。当然、キャンセルです。そのまま、しばらく庁に泊まり込みました」

佐藤氏に「福島第一原発3号機の燃料棒貯蔵プールに放水してもらいたい」という要請が伝えられたのは、3月18日0時50分のことだった。

「要請を受けたとき、とくに驚きはありませんでした。震災翌日の時点で、東京電力からスーパーポンパー(大量放水車)の派遣要請がありました。建屋の爆発で取りやめになったのですが、『いずれ原発への放水を依頼される可能性は高い』と思っていました。

そこで、依頼される前から自主的に、荒川の河川敷で、地上30mの位置にある3号機プールへの大量放水を想定した訓練を行ない、準備を整えていました。原発での放水活動に私がいくのはやむを得ないと思っていました。

放射能に汚染された、命の危険のある場所に隊員を派遣する。そんな重大なことでは、現場のトップが、現地で直接判断しなければならないことも多いだろうと考えていました」

そして、18日の未明に福島へと出発。司令官の佐藤氏は、原発から20㎞ 離れた最前線基地・Jヴィレッジで陣頭指揮を執った。同日の夜から放水活動をスタートし、見事、任務を完遂した。

「原発の周辺は美しい自然に囲まれていて、放射能で汚染されているのに、牧歌的な雰囲気が漂っていました。通常の火災などとは違う、原発災害の恐ろしさをまざまざと感じましたね。これまで経験したことのない状況のなか、隊員たちは、よくぞ訓練の成果を発揮してくれたと思います」

原発から20㎞ 離れていたとはいえ、決して安全な場所にいたわけではない。もっとも、佐藤氏は、自分の身の安全など眼中になかったという。

「『大量放水するシステムを構築すること』『隊員を1人たりとも犠牲にしないこと』『責任を取ること』の3つしか頭にありませんでした。これ以上の放射能の拡散を止めるには、いま燃料プールに充水するしかない。

そうしないと、誰も近寄れなくなり、事態を収束させられない。われわれがその仕事をしなくて誰がやるんだ。私にかぎらず、現地に赴いた消防隊員全員が同じ気持ちだったと思います」

 

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