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原発に立ち向かった消防隊指揮官の平常心

佐藤康雄(元東京消防庁警防部長)

2012年06月01日 公開 2022年11月10日 更新

デジカメをのぞいて心を落ち着かせる儀式

「放射能の拡散を止められるのはわれわれしかいない」。そんな使命感が、佐藤氏や隊員たちの心を支えたことは事実だろう。しかし、使命感だけで平常心を保てるものだろうか。

佐藤氏に疑問をぶつけると、平常心を保つにはいくつかの要素が必要だという。その1つが「事前の準備」だ。

「ハイパーレスキュー隊は、日ごろからテロ対策として、放射能汚染下の状況を想定した訓練を実施しています。そんな精鋭たちでも、準備不足で臨めば平常心を失う。

だからこそ、事前に本番と同じ作業の検証をし、当日も作戦の内容を再確認しました。平素からの備えがあったからこそ、放射能に汚染された原発という極限の緊張状態に置かれても、隊員たちは身体が動いたのだと思います」

また、「一度、部下に任せたら、任せ切ること」も、安全を担保するポイントだと佐藤氏は考えている。

「今回の放水作業では、福島原発まで無線が届かず、連絡しようがなかったのですが、仮に無線が届いたとしても、細部まで拘束するつもりはなく、部下に任せていました。

現場にいない人間があれこれ口出しすれば、現場の変化に即応できず、安全を損ねるだけですから。徹底的に情報共有し、送り出したら、あとは現場の人間を信じて任せる。それが災害対応の鉄則です」

もっとも、かくいう佐藤氏も、はじめから部下に任せ切ることができていたわけではない。転機となったのは、消防署で大隊長を務めていたとき。大隊長は、管内で火災があったときに署の全部隊を指揮する、現場のトップといえるポジションだ。

佐藤氏は、大隊長に就任してしばらくのあいだ、うまく部下を動かせず悩んでいた。自分の不甲斐なさに、1人で酒を飲みにいって、カウンターで涙をこぼしたこともあったそうだ。

「しかし、ふとした瞬間に、自分の過ちに気づいたのです。何でもかんでも自分の思いどおりに動かそうと気負うから、肩肘を張ってしまう。そして、ますますみんなが動いてくれない、という悪循環に陥っていたんですね。

せっかく優秀な部下に囲まれているのだから、いい意味で頼ればいい。そう意識を転換してから、現場をうまく回せるようになり、あたふたすることもなくなりました」

心を落ち着かせるためには、“儀式”を用意することも重要だ。佐藤氏はつねにデジタルカメラをもち歩いて、地震や火災などが起きたときは必ずファインダーをのぞいたという。東日本大震災が起きたときも実践したそうだ。

「ファインダーをのぞくと、第三者的に状況をみられるようになり、冷静さを取り戻せるんです。
 かつて、カメラをもっていなかったころは、両手の指でフレームをつくって、災害現場をみるようにしていました。そういうツールをもっておくことも重要だと思います」

もっとも、危機的な環境下で冷静さを保つことは一朝一夕にはできないともいう。

「私は、30年以上にわたって、現場での消防活動に携わってきました。そうした長年の積み重ねが、今回の原発事故に対応できる胆力を養ってくれたのではないかと思います。いろいろな出来事や人びとに育てられてきたことを、今回の震災で改めて実感しました」

 

【PROFILE】佐藤康雄 元・東京消防庁警防部長

1952年生まれ。75年、東京消防庁に入庁。武蔵野消防署長、第一消防方面本部長などを歴任し、2010年に東京消防庁警防部長に就任。東日本大震災では、東京消防庁の全部隊1,800隊、1万8,000人の職員を統括し、東京および近郊の災害対応にあたった。

震災に続く福島第一原子力発電所の事故では、東京都緊急消防援助隊の総隊長として、精鋭30隊、138人の職員を率いて放水冷却作戦に臨んだ。11年3月末、東京消防庁を定年退職。4月よりNTT都市開発㈱シニアスペシャリスト(防災担当)。

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