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支倉常長と慶長遣欧使節団~伊達政宗の命によりスペイン、ローマへ

2017年07月01日 公開

歴史街道編集部

支倉常長像
支倉常長像(石巻市月浦)
慶長18年(1613)、支倉常長はサン・ファン・バウティスタ号でローマを目指し、月ノ浦を出帆した。
 

今日は何の日 元和8年7月1日

伊達政宗の慶長遣欧使節正使、支倉常長が没

元和8年7月1日(1622年8月7日)、支倉常長が没しました。伊達家の武将で、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパへ渡航したことで知られます。

元亀2年(1571)、常長は伊達家の山口常成の子に生まれました。その後、伯父の支倉時正の養子となり、支倉六右衛門常長と名乗ります。常長は朝鮮出兵に出陣して足軽・鉄砲組頭として活躍、葛西・大崎一揆の鎮圧にもあたっています。

慶長18年(1613)、伊達政宗は支倉常長の一行をスペイン(エスパーニャ)領メキシコ経由で、スペイン、ローマへと派遣しました。いわゆる慶長遣欧使節です。当時、徳川幕府はメキシコと貿易を望んでおり、政宗は幕府にも連絡した上で、幕府公認の使節として支倉らを送り出しています。その目的はスペイン国王に面会してメキシコとの直接貿易の許可を得ることと、ローマ教皇に会って、伊達領内で布教するための宣教師の派遣を依頼することでした。しかしそれは表向きで、実は密かにスペインと軍事同盟を結び、スペイン艦隊を派遣させて、政宗が徳川幕府を倒すことを目論んでいたという説もあります。

慶長18年10月、慶長遣欧使節を含む180人を乗せた船は石巻の月ノ浦を出航。船の名はサン・ファン・バウティスタ(洗礼者聖ヨハネ)でした。使節の正使・常長は時に43歳です。また副使は宣教師のルイス・ソテロが務めました。3ヵ月後、船はメキシコのアカプルコに到着。使節一行は翌年6月、スペイン艦隊に便乗して、日本人として初めて大西洋を渡り、10月にスペインに上陸しました。一行はソテロの故郷セビリアで大歓迎を受け、12月に首都マドリードに到着します。 翌慶長20年(1615)1月、常長はスペイン国王フェリペ3世に謁見し、政宗からの手紙を渡して、メキシコとの貿易と宣教師派遣を依頼しました。翌月、常長は国王やフランス王妃らが列席のもと、教会で洗礼を受けます。洗礼名は「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」。しかしその頃、ソテロと対立するイエズス会などから、日本ではすでに禁教令が布かれ、また伊達政宗は一地方領主に過ぎないといった常長に不利な情報がもたらされており、国王から色よい返事が得られぬまま、8ヵ月が過ぎます。このままでは埒が明かないと見た常長は、交渉を有利に進めるために8月、ローマ教皇のもとへと出発。11月にローマ教皇パウロ5世に会いました。その時に手渡した政宗からの手紙は、今もヴァチカン図書館に保管されています。

ローマでは常長の高潔な人柄が称えられ、貴族の位が贈られました。教皇から宣教師派遣の許可を得た常長でしたが、再びスペイン国王と交渉すべくマドリードに戻ると、留まることを許されずセビリアに移され、帰国を促されます。一行の大半を先に帰し、常長はセビリアでなおも粘りますが、ついに元和3年(1617)、返書も得ることなく追われるようにヨーロッパを離れ、メキシコへと向かい、迎えに来たサン・ファン・バウティスタでフィリピンのマニラに赴き、そこで2年を過ごしました。そして常長が帰国したのは元和6年(1620)。月ノ浦出航から7年後のことです。

幕府の禁令を受けて、常長の帰国直前に伊達領内でもキリシタン弾圧が始まっていました。政宗は常長からの報告を受け、報告書をまとめて幕府に提出する一方、常長が持ち帰った貴重な品々は、キリシタンに関わるものとして藩が没収し、封印しました。帰国から2年後、常長は失意のうちに没します。享年52。

慶長遣欧使節団の存在は歴史の闇の中に埋もれていきますが、それが再び脚光を浴びるのは、明治に入り岩倉使節団がヨーロッパを訪れた際、常長の書状を発見したことがきっかけでした。そこで日本人はようやく、慶長・元和の頃に遥かヨーロッパに赴き、スペイン国王やローマ教皇に面会して、堂々と交渉した日本人がいたことを知るのです。常長の志も250年経ってようやく、多少なりとも報われたのかもしれません。

iyashi

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