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会沢正志斎が『新論』にこめたビジョンとは?

2017年07月13日 公開
2022年06月15日 更新

7月14日 This Day in History

大日本史水戸
大日本史編纂の地と記念碑(茨城県水戸市)
 

今日は何の日 文久3年7月14日

水戸藩士・会沢正志斎が没

文久3年(1863)7月14日、会沢正志斎が没しました。水戸藩士で、その著書『新論』は水戸学のテキストとして、多くの幕末の志士に影響を与えたことで知られます。 

会沢正志斎は通称恒蔵、名は安(やすし)。ここでは安で通します。安は天明2年(1782)、水戸藩士・会沢恭敬の長男に生まれました。会沢家は代々農民でしたが、父・恭敬の代に士分に取り立てられたといわれます。寛政3年(1791)、10歳の時に儒学者で水戸学の中興の祖とも呼ばれる藤田幽谷の塾・青藍舎に入門しました。寛政11年(1799)には藩の修史局・彰考館に入って、『大日本史』の編纂に従事します。『大日本史』とは2代藩主・徳川光圀が始めた修史事業による膨大な歴史書で、大義名分を軸とした尊皇論で貫かれている点に特徴がありました。それが一般に水戸学と呼ばれる学問の基本スタンスです。

享和元年(1801)、20歳の時に『千島異聞』と題する論考を著わし、国防に対する関心を示しました。安は書物の字義解釈や史料を渉猟するばかりの学者では、時代の変化に役に立たないと考えていたようです。文化4年(1807)には、7代藩主治紀の3男・斉昭の侍読を命じられました。斉昭は後の9代藩主でこの時8歳、安は26歳。才気煥発な斉昭との出会いはその後、大きな意味を持つことになります。

文政7年(1824)、藩内の大津浜にイギリス人12人が上陸する事件が起こりました。この時、筆談役を務めたのが安です。上陸は水や食糧を求めたものでしたが、藩の長い海岸線はその気になれば異国人が簡単に上陸できることが露呈し、これも一つのきっかけとなって翌年、幕府は異国船打払令を発令します。もちろん事件に立ち会った安も、強烈な危機感を抱きました。

翌文政8年(1825)、イギリス人船員から聴取した海外事情も踏まえて著わしたのが、彼の代表作『新論』です。『新論』は「国体、形勢、虜情、守禦、長計」の章から成ります。内容を大雑把にいえば、列強の外国船が迫りつつある今こそ、天皇を尊び、幕府を敬う心を確認し、心を一つにして攘夷を目指さなければならない。そのためには沈滞した民心を奮い起こし、富国強兵を実現するための改革を進め、各藩が国防体制を整える必要がある。それを実行するためには、英雄的資質の持ち主による指揮が必須である、というものです。

実は『新論』の論旨の各藩に国防力(軍事力)を持たせることは、武権である幕府にすれば、諸刃の剣になりかねない危険があります。だからこそ安は、諸藩を従わせることのできる英雄的人物がリーダーとして不可欠と説いたのです。しかし、そんな人物のあてはあったのでしょうか。これは想像ですが、安は自分が幼い頃から学問を教え、英邁な人物と見込んでいた斉昭を想定していたのではないかと思います。この時、斉昭はまだ部屋住みですが、4年後、安らの支援もあって9代藩主に就任。水戸藩主は俗に「副将軍」と世間から受け止められていますから、将軍を補佐してこれらの大改革を主導するに相応しいと考えていたのかもしれません。

いずれにせよ『新論』の説く尊皇と攘夷が結びついて尊皇攘夷という言葉が生まれますが、それがいわゆる国粋主義的な内向きの観念論ではなく、現実を見据えた実践法としてのビジョンであったことがわかります。実際、幕末の流れはおよそこのビジョンに沿って進むといっても、過言ではありません。『新論』は内容が過激であるとして幕府が発禁処分としますが、密かに書写され、回覧されて全国に広まっていきました。そして後に長州の吉田松陰や久留米の真木和泉が、『新論』に感銘を受けてわざわざ水戸に安を訪ね、また薩摩の西郷吉之助(隆盛)も心服したといいます。 

文政12年(1829)に斉昭が藩主となると、安は藤田東湖や武田耕雲斎らと藩政改革を補佐し、天保11年(1840)には藩校・弘道館の初代教授頭取となって、水戸学を多いに振興します。ところが安政5年(1858)、井伊大老による日米修好通商条約の締結強行について、朝廷から水戸藩に密勅が下ると、藩内の尊攘過激派が幕府よりも朝廷の意向を優先すべきとしますが、安はあくまで幕府の意向を重視し、尊皇敬幕の順を守ることを説きました。将軍を補佐すべき御三家の水戸藩が、幕府を否定することなどあってはならないからです。

しかし、尊攘過激派の多くは脱藩し、桜田門外の変を起こすに至ります。幕末の動乱が始まる中、安は文久3年(1863)に世を去りました。享年82。安が示した『新論』は、維新への一つのビジョンとして大きな役割を果たしたといえるでしょう。 

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