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大政奉還~徳川慶喜の真意と誤算

2017年10月13日 公開
2022年03月15日 更新

10月14日 This Day in History

二条城
大政奉還の舞台となった二条城(二の丸御殿)
 

【今日は何の日】 慶応3年10月14日、徳川慶喜が大政奉還を上奏

慶応3年10月14日(1867年11月9日)、15代将軍徳川慶喜が大政奉還を朝廷に上奏しました。徳川幕府の終焉を象徴する出来事として知られます。 本年2017年は、大政奉還からちょうど150年目にあたります。
 

坂本龍馬と船中八策

新たな政体構想が求められる中、慶応3年6月、長崎から上京する船中で、坂本龍馬は土佐藩参政・後藤象二郎に、8箇条の国家構想を披露しました。いわゆる「船中八策」です。その中に、天下の政権を幕府から朝廷へ返す大政奉還が盛り込まれていました。そのアイデアは龍馬のオリジナルではなく、師匠の勝海舟や幕臣の大久保一翁よりかねて聞かされていたものといわれます。これを聞いた後藤は大いに喜びました。土佐藩は前藩主の山内容堂があくまで公武合体を堅持しており、薩摩・長州を中心に武力倒幕の気運が高まりつつある中で、土佐藩は孤立を深めていたのです。しかし大政奉還が実現できれば、幕府のメンツも保ちつつ、土佐藩が京都で一挙に主導権を握ることも可能でした。後藤から大政奉還を献策された容堂も喜び、幕府への建白書を作成します。
 

薩摩藩の真意と討幕の密勅

一方、薩摩藩では武力倒幕論が主流でした。実は船中八策の一ヵ月前、薩摩・越前・土佐・宇和島の四藩主と、将軍慶喜との間で、兵庫開港と長州処分の問題を話し合う四侯会議が行なわれています。それまで薩摩藩は、雄藩を政治に参加させる公武合体を模索しており、四侯会議がうまくいけば、その路線を推進するつもりでした。ところがこの会議は慶喜の強引な政治力によってすべて骨抜きとなり、激怒した薩摩藩は四侯会議路線を諦め、武力倒幕路線へと転じたのです。そんな薩摩藩に、土佐藩は大政奉還のプランを持って接近し、6月22日に薩土盟約が結ばれます。しかし、薩摩藩が大政奉還による平和解決と王政復古を受け入れたわけではなく、むしろ大政奉還をもちかけても慶喜が受け入れるはずがないので、その時こそ倒幕の名分が立つと考えた上での盟約でした。薩摩は慶喜の政治手腕の恐ろしさを知っていたのです。それはある意味、正確な見方であったというべきかもしれません。

その後、薩摩と長州間で倒幕挙兵同盟が結ばれ、9月上旬には薩摩藩は薩土盟約を破棄しました。もはや大政奉還など無用で、武力倒幕に踏み切るという意思表示です。そうした中、10月13日、将軍慶喜は在京40藩の重臣を二条城に招集し、大政奉還を受け入れることを告げて、翌日、朝廷に上奏します。その知らせに龍馬は感激し、「予、誓ってこの公のために一命を捨てん」と語ったといいます。また上奏したまさにその日、薩摩と長州に討幕の密勅が発せられていましたが、大政奉還によりそれは空振りとなりました。

坂本龍馬
坂本龍馬

徳川慶喜が大政奉還をした理由とは?

では、当の将軍慶喜はどんなつもりで大政奉還に踏み切ったのでしょうか。実はそれは、新たな日本を築くための自己犠牲として、行なったわけではなかったようです。慶喜の頭には、懇意にしていたフランス公使ロッシュから示唆された、幕府も藩も解体し、中央集権的な官僚制と統一的な軍隊を創設するという国家改造がありました。頂点に立つのはもちろん慶喜です。そして慶喜は、大政奉還という偉業を演じた後に、政権担当能力のない朝廷から大政を再委任された上で、幕府ではない、新たな強力国家を建設することを目論んでいたようなのです。実際、大政奉還後も慶喜は朝廷から政権を当面担当することを命じられており、二条城で精力的に政務を執りました。
 

徳川慶喜の誤算

一方、巻き返しを図る薩摩藩主導で12月9日に王政復古のクーデターが実行され、同日の小御所会議で慶喜の辞官納地が決定します。明らかに徳川への挑発でしたが、慶喜はそれに乗らず、京都から大坂城へと移りました。 こうした薩摩のやり方に、他藩から慶喜への同情と薩摩への顰蹙が高まります。慶喜の狙いはそこにあり、12月16日には大坂で英米仏蘭伊独の6国公使を引見して、日本国の主権は自分にあることを宣言し、王政復古は「兇暴の所業」と強く非難しました。

形勢は刻々と慶喜有利に傾きつつあり、苦しい立場になった薩摩藩の最後の一手が、江戸市中で乱暴狼藉を働かせて、佐幕派を激昂させることでした。この一手は見事に成功し、庄内藩が江戸薩摩藩邸を焼き討ちしたことで鳥羽・伏見の戦いが起こり、薩摩・長州は旧幕府軍を朝敵とすることで、起死回生を果たすのです。 大政奉還、王政復古の大号令後も、慶喜と薩摩藩の熾烈な闘いが続いていたこと、そして慶喜の大政奉還の真意がどこにあったのかは、もっと知られるべきかもしれません。

徳川慶喜
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