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坂本龍馬暗殺の犯人はだれ? 黒幕はいたのか?

2017年11月14日 公開

歴史街道編集部

坂本竜馬

京都河原町近江屋で坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺される

今日は何の日 慶応3年11月15日

慶応3年11月15日(1867年12月10日)、京都河原町の近江屋において、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。龍馬暗殺の謎は、今も多くの議論を呼んでいます。現在発売中の「歴史街道」12月号でも特集を組んでいますが、歴史ファンにとっては関心の高いテーマのひとつではないでしょうか。

龍馬を殺害したのは誰か。京都見廻組説、新選組説、御陵衛士説、薩摩藩説、土佐藩説、中岡暗殺巻き添え説、坂本・中岡相討ち説、フリーメイソン説などなど、信憑性の高低は別としてさまざまに存在します。確証がない以上、状況証拠から推論せざるを得ないのですが、さまざまな史料から可能性として最も高いのは、やはり京都見廻組による殺害説でしょう。

京都見廻組によるものとしたら、暗殺という表現が適切かどうかという問題があります。大政奉還後も暫定的に従来通り幕府の政治機構が機能していた当時、京都見廻組は幕府正規の警察組織でした。龍馬は慶応2年(1866)の伏見寺田屋における伏見奉行所捕り方射殺の一件で幕府より指名手配されていましたから、京都見廻組が取り調べのために屯所への同行を求め、抵抗したから捕殺したとすれば、通常任務の遂行ということになります。

しかし、奇妙なのは京都見廻組が任務を遂行したのであれば、当然、討った龍馬の始末を町方などに命じていてもおかしくなく、また上官への報告もなされてしかるべきですが、それがありません。龍馬も中岡も近江屋に放置したままでした。すると見廻組は通常任務の認識ではなく、隊士らが任務を離れて極秘に行なったのでしょうか。それならば暗殺ということになりますが、一体なぜそうする必要があったのでしょうか? 一説に龍馬は幕府大目付の永井尚志から、伏見の一件の罪は不問とされ、安心していたともいわれます。仮にもし京都見廻組がそれを知れば、悔しさのあまり暗殺に及んだということも考えられなくはありません。

もう一つは、京都見廻組に情報をリークし、暗殺させた黒幕がいるのではないかという疑惑です。その筆頭に挙がるとすれば、やはり薩摩藩でしょう。なにしろ薩摩藩は信州上田の兵学者・赤松小三郎を龍馬暗殺の2カ月半前に、京都の路上で殺害しています。暗殺者は中村半次郎でした。藩にとって邪魔と見れば消す。非情ですが、それが平然と行われるほど、当時の京都は緊迫していました。

また土佐藩説も根強く存在します。その首魁は後藤象二郎。龍馬は大政奉還前、平和裏に政権を朝廷に奉還し、新たな政体を築く公議政体論と、将軍慶喜が奉還を承知しない場合には倒幕もやむなしとする武力倒幕論を同時並行で進めていたといわれます。大政奉還に尽力しながら、龍馬に動かされたような格好の後藤にすれば面白くなく、また龍馬が二股かけたうちの一方を担がされたことに、怒りを覚えていたのではという説もあるのです。

歴史街道 龍馬暗殺特集龍馬暗殺の結論はなかなか出ませんが、一つ言えるのは、当時の龍馬が幕府からも薩摩、土佐からも狙われてもおかしくない、極めて微妙な立ち位置にあったということでしょう。時代が変わる分岐点において、しかもその台風の目のような位置に、藩という後ろ盾を持たない男が、独力で存在感を与えていたという事実は、やはり坂本龍馬という男がひとかどの人物であったことを感じさせます。

もちろんこの事件は、中岡慎太郎暗殺事件でもあるわけで、龍馬の陰に隠れがちな中岡の側から見ると、また何か別のものが見えてくるのかもしれません。龍馬暗殺は、歴史ファンにさまざまななことを考えさせる事件といえるでしょう。

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