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なぜドイツ人は、一瞬でおつりの計算ができないのか

2015年07月30日 公開

川口マーン惠美(作家、シュトゥットガルト在住)

 

財政赤字ゼロでも散々なドイツ

誰にとっての「よい子」なのか

 ――本書『なぜ日本人は、一瞬でおつりの計算ができるのか』は2007年に川口さんが書かれた『母親に向かない人の子育て術』(文春新書)の続編ともいえる、と「はじめに」にあります。実際、「逞しい娘たち」に育った8年後のお子さんの姿が描かれていて印象的でした。たとえば三女のYさん。大学時代にNGOのプロジェクトで14カ月間アルバニアに渡り、迫害されたロマ(インドに起源をもつ移動民族。昔はジプシーと呼ばれていたが、現在は差別的呼称で用いられない)の子供の援助にあたる行動力。正しいと思うことを、信じたままに行動する姿に胸を打たれました。ドイツの環境で育ったことが、こうした強さを養ったのでしょうか。

 川口 べつにドイツ育ちだから、ということはないと思います。実際、海外にボランティアに出る日本人は多いですし、Yがヨルダンの難民キャンプを訪れたときには、現地で難民の支援に携わる日本人夫婦と知り合ったそうです。その夫婦は当初、イラクでシリアから来た難民の支援をしていたのですが、ISISの侵攻でイラクでの支援活動が難しくなり、今度はヨルダンに来てイラク難民の支援をするようになった、という。正義感や行動力で日本人と外国人とのあいだに違いはない、と思います。

 社会としてのドイツの違いを挙げるならば、ボランティアに携わるうえでの社会的ハードルが低いこと。たとえば高校卒業後に1年間、ボランティア活動をしてから進路を決める、というケースはごく普通です。日本のように高校を卒業したらすぐに大学入試や就職、という考え方はない。皆、基本的に自分がやりたいこと、就きたい職業を探しつつ、試行錯誤しているようです。

 よく思うのですが、日本人は行動や進路を決めることに対して、自ら縛りを掛けているような気がします。「思ったとおりに動きたい」けれど、そんなことをすれば、一方では、自分の選んだ進路や行動に責任を負うリスクがあって、面倒でもある。それに、失敗して周囲から非難を浴びるより、皆の言うとおり、期待どおりに振る舞っていれば、いちおう無難。そう考える人には、日本は生きやすい国ともいえます。いわゆる素直で「よい子」が多いですね。

 ただ、その半面、「よい子」とはいったい何なのだろうか、と考えてしまう。「よい子」というのは誰にとってよい子なのか。親にとってよいのか、教師にとってよいのか。いずれにしても、子供自身の尺度は度外視されています。「よい子」を求めるのは親の願望にすぎない。このことに気付いてから、私は子育てにおいて親としての尺度を極力、挟まないようにしてきました。逆らう子のほうが、生きていく力があるのではないかと。

 ――それにしても、セルビア、コソボの国境を越えるというのにお嬢さんの所持金がたった20ユーロ(約2400円)というのは、親でなくても背筋が凍るような話です。

 川口 「言語道断」以外の言葉が見つかりません(笑)。もちろん私だって、最低限の躾はしてきました。たとえば道にゴミを捨てないとか、人の嫌がることはしないとか。ドイツ人は、ゴミは捨てるし、犬のフンはそのまま……。娘が一度、リンゴの芯を車の窓から捨てたことがあって、私にしては珍しいほど叱りました。すると後日、同じ状況でまたリンゴを食べていたので、私は運転しながら「さて、どうするかな」と様子を窺っていたら、見られていたのを知っていたのでしょうね。最後、見事に芯まで食べちゃった(笑)。たまに怒ると、効果がありますよ。

 

「選べない」東ドイツの人たち

 ――それにしてもなぜ、日本人は思ったとおりの道を歩むことをリスクだと感じてしまうのでしょう。

 川口 以前に聞いた話で印象深かったのは、東西ドイツが統一したときのことです。統一する前の西ドイツは、すでに過度なほどの自由主義。対する東ドイツは社会主義だったので、国民を縛る統制の文化が40年続いた。

 そのような状況下でドイツが統一し、東西がともに自由な社会になった瞬間、東ドイツの人びとは生活のあらゆる局面で「何を選んだらよいか」に困ってしまったのです。なにしろ以前は数えるほどしかなかった商品の種類が爆発的に増え、進学先から就職先まで、人生の至るところで選択を余儀なくされた。それまでは、ショーウィンドーに並んでいるのは、おもちゃも服もヨーグルトも、どの街も同じ。主体的に選ぶという行為など大して必要なかったのに、ある日突然、状況が一変したのですから、彼らの当惑は無理もありません。私にこの話をしてくれた人は、旧東ドイツ出身の顧客相手の仕事では、「こういう選択肢があります」といっただけではスムーズにいかないと気付き、そのあとに、「私は以下の理由でこれが向いていると思いますが」と付け加えるようにしたそうです。

 じつは日本人も、旧東ドイツの人と同じく、自分で選んで決めることが少なかったのではないか、と思います。これは稲作民族という日本人の歴史・文化的背景を考えると理解できます。田んぼに水を引くのも、田植えも稲刈りも、皆で協力しなければうまくいかない。個性よりも協調です。多くのことは個人の決断というより、天候で決まった。そこから日本的な集団主義や、個人の意思で勝手に行動しないという社会的土壌が生じたと思われます。「周囲に合わせること」は日本人の長所であり、強みです。しかしそれが時として自己責任に基づく選択を鈍らせ、グローバル時代の競争や変化から取り残される一因になっているようにも感じるのです。

 とくに政治家の場合は、正しいと思ったことを自分の責任で行なえる人、たとえ国民に嫌われても、外に向かってしたたかな外交のできる人物がなってほしいと思います。

 ――日本にはエリート教育が欠けている、という意見もありますが。

 川口 もちろん日本にもエリートはいます。東京大学の卒業生は、アメリカのMITやイギリスのオックス・ブリッジの卒業生と比べても、専門知識ではもちろん絶対に負けない。しかし、その周りに付随しているさまざまな教養は、と見ていくと、しばしばあちらのほうが堅固な気がします。ヨーロッパには、専門知識以外に、芸術も、哲学も、文学も一晩中でも議論できるし、スポーツはするし、という途方もないエリートがいます。

 本書で記したように、日本は底辺や中間層の教育においては世界のトップクラスです。なのに結局、その後の高等教育にうまくつながらない場合が多いのではないか、という懸念を抱きます。

 たとえば語学ですが、私自身、学校で8年間も学んだ英語は使い物にならない。それに比べて、大人になってから手掛けたドイツ語はマスターできたのですから、英語下手は自分のせい、とばかりはいえません(笑)。教え方にも問題があるのではないでしょうか。

 とはいえ、繰り返しますが日本の初等教育は本当に素晴らしい。ドイツでは小学1年生にアルファベットを1年かけて教えても、まだ正しく書けない子がいます。算数でも、日本の小学1年生は100まで数を教わるのに、ドイツは20までしか教えない。こうした積み重ねが、先ほど述べた底辺や中間層の学力に差をもたらしているように思います。

 ――ちょうどこのインタビュー場所までタクシーで来たとき、乗務員さんに1420円の運賃で5020円を渡したら、即座に正しいおつりが帰ってきました。

 川口 日本人合格ですよね(笑)。将来、生きるうえで最も基本的な要素、昔でいう「読み書き、そろばん」のレベルにおいて落ちこぼれが少ないことは、日本の国力となっています。

 ドイツの初等教育では、小学校4年生後半での国語、算数の成績でA校、B校、C校という具合に振り分けがなされ、C校に分けられた子供の多くは、小学校4年生の時点で勉強を放棄してしまう。もとは、C校は職人になる子供が行く学校で、悪い学校ではなかった。でもいまは、あとで述べますが、落ちこぼれの学校になってしまっています。

 だから、進路はあとで修正できるとはいえ、C校に振り分けられると、10歳の小学生でも、「私はもう期待されていない」と感じます。子供のモチベーションを削ぐのにこれほど確実な手法はない。C校に格付けされた子供がその後、奮起して学力を伸ばす可能性は低いでしょう。この制度を改革しようとする動きは30年、40年も前からあるけれども、なかなか変わりません。これが、ドイツで底辺の学力が揃わない原因の一つといえます。

 その点、日本のように多少の学力差には目をつぶり、根気よく9年間かけて、騙し騙し子供のさまざまな能力を引き出そうとするやり方は、長い目で見るなら、初等教育としてはるかに優れた仕組みであると思います。ただ、本来ならそのあと、エリート教育にうまくつなげていく高校、大学があってもよさそうなのに、そこがうまくいかない。

 その点ドイツのA校は、昔ほどではないにしても、エリート養成を念頭に置いています。そして、ここからいまも頭抜けたエリートが輩出するのです。

 ドイツの超エリートというのは、とにかく日常会話のレベルが高い。家族でお茶を飲んでいるだけでも、新進のピアニストのことから、戦後の独米関係まで、ありとあらゆるテーマで会話がなされ、そのうえ、話し言葉がそのまま活字に印刷できるほど綺麗なドイツ語なのです。そういうのを目の当たりにすると、身も蓋もない言い方ですが、これは敵わないと思いますね。

 ドイツでエリートが強く、日本で中間層が強いという事実は、メディアの中身の違いにも端的に表れています。

 たとえばドイツには『デア・シュピーゲル(Der Spiegel)』という週刊誌があります。時事問題をテーマにした長文で内容の濃い記事が多く、文章も難しい。明らかにある程度の知識人を対象とした雑誌です。他方、『ビルト(Bild-Zeitung)』という大衆紙があり、時事問題の扱い方も違えば、スポーツ選手や芸能人のゴシップもどっさり載っている。『デア・シュピーゲル』の読者は、おそらく『ビルト』は手に取ったことすらないでしょう。

 翻って、日本で週刊誌といえば『週刊文春』や『週刊新潮』『週刊現代』の名前が挙がります。いずれもエリートも読めば、庶民も読む。誌面の内容は、政治や経済の堅い記事もあれば、鋭いルポ、くだけたエッセイ、麻雀や競馬情報から裸に近い女性のグラビアまであります。そういえば、『日経新聞』にポルノまがいの小説が載った時代もありました。ドイツではありえない誌面構成です。

 先ほど述べたように、ドイツでは読者層が二極化しているので、日本のように硬軟織り交ぜた誌面にはなりません。『デア・シュピーゲル』を読んでいる層は、絶対に自分のことをエリートであると自覚していると思う。そういう意味では、ヨーロッパはいまでも階級社会なのです。

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iyashi

著者紹介

川口マーン惠美(かわぐち・まーん・えみ)

作家、拓殖大学日本文化研究所客員教授

1956年大阪府生まれ。ドイツ・シュトゥットガルト在住。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。
著書には、ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』『住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち』(以上、講談社+α新書)のほか、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』『ドイツの脱原発がよくわかる本』(以上、草思社)、『ドイツ流、日本流』(草思社文庫)、『ベルリン物語 都市の記憶をたどる』(平凡社新書)、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)などがある。

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