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李登輝 日台連携で世界市場へ

2016年11月07日 公開

李 登輝(元台湾総統)

「第4次産業革命」は日台運命共同体が主役!

台湾と石垣島のつながり

 今年の7月31日、石垣島(沖縄県石垣市)で「石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル」と題する講演を行なった。まず、石垣島で講演を行なった経緯から述べたい。5月2日、全国青年市長会の会長を務める吉田信解氏(埼玉県本庄市長)と副会長の中山義隆氏(石垣市長)の二人が私を訪ねてくれ、「未来の日本を背負う、若い人たちに向け、ぜひ石垣島で講演をしてほしい」という熱心なご招待を受けた。全国青年市長会とは、当選時に49歳以下の市長で構成される組織である。新しい時代を切り拓くため、会員同士の若い情熱とエネルギーをぶつけ合い、地方自治の発展に寄与しようという熱い志をもった全国の若い市長の集まりだという。

 会長の吉田市長は現在、日本李登輝友の会の理事を務めるほか、早稲田大学在学中に国立台湾師範大学に語学留学していた経験があった。ちょうど一九九〇年前後で、私が現役の総統だったころである。吉田市長は、民主化推進や国是会議の開催を求める野百合学生運動を目の当たりにしたこともあり、台湾の民主化や私の発言に関心を寄せてきてくれたそうだ。

 昨年7月、私が日本の国会議員会館で講演した際も、吉田市長は会場におり、「ぜひ来年は、若い首長や地方議員たちに向けて講演してほしい」と考えたのだという。

 じつは石垣市は、沖縄県のなかでもとりわけ台湾との縁が深い。日本時代から多くの台湾人が移民として石垣島に移り住んできた。戦中戦後を通じて、パイナップル産業をはじめとする農業などの分野で、台湾人が大いに貢献したことは私も知っていた。

 そこで私は、お二人の市長の熱い気持ちにほだされて講演をお引き受けすることにしたのである。さらにいえば、近年は「石垣牛」がブランド和牛として全国的にも認知されてきており、地理的にも気候的にも似通っている台湾の牛肉産業の参考にもなるかもしれないと考えた。ぜひ「石垣牛」についても理解を深めたいと思ったのである。

 

台湾から持ち込まれたパイナップル栽培

 石垣島と台湾の密接な関係は、台湾が日本の統治下に組み込まれてから、間もなく始まった。台湾と日本の内地を結ぶ航路が開設されたことで、石垣島は日台間の貿易や人の往来におけるハブ機能を担うことになった。

 1930年代には台湾中部から大量の移民が石垣島へやって来た。彼らが主に持ち込んだのは、パイナップルの栽培と缶詰製造の技術、そして農作業を手伝ってくれる水牛たちである。

 当時の台湾では、すでにパイナップルの栽培が一大産業となっており、缶詰の製造輸出で財を成した人も多くいた。ところが、多くのパイナップルの栽培や加工に携わる会社が林立したことで、台湾総督府は統合政策を進めた。その結果、パイナップル産業に携わっていた人びとが新天地を求めて石垣島へやって来たのである。

 幸いにも、開墾された土地は肥沃で水はけも良かった。パイナップルの栽培に適していたこともあり、台湾の人びとに支えられた同産業は飛躍的に成長した。戦前の石垣島の経済を支える柱の一つとなったのである。

 大規模な開墾の一翼を担ったのが、台湾から持ち込まれた水牛である。水牛は一頭で人間の3人分、5人分の働きをするため、人力に比べて数倍のスピードで開墾を進めることが可能であった(台湾人の勤勉さを表すときに用いられる「水牛精神」は、こうした水牛の働きから来ている)。

 現在では、水牛が耕作に用いられることはないが、当時台湾から持ち込まれた水牛の子孫たちが石垣島付近の離島で水牛車を引っ張り、観光客を喜ばせているという。

 

戦後の復興と融和

 大東亜戦争の激化によって、パイナップル産業に従事する人口は減少し、一時的な衰退に見舞われた。さらに日本の敗戦によって、石垣島と台湾とのあいだに国境線が引かれることになった。

 しかし、石垣島と台湾の深い結び付きが途絶えることはなかった。戦争によって衰退した石垣島のパイナップル産業を復興に導いたのは、石垣島に残留することを決めた台湾の人びとだったのである。

 パイナップル産業を復興させようとする台湾の人びとを中心として、沖縄本島などから大量に流入した開拓移民の協力も重なり、1950年代にパイナップル産業は完全に復活し、大きなブームを呼び起こした。

 産業の成長にともない、パイナップルの生産量も右肩上がりに増加していった。ただ、当時はパイナップルの加工技術が未熟だったことに加え、労働力不足も関係して、缶詰の製造量がパイナップルの生産量に見合っているとは言い難い状況であった。こうした状況を解決したのも、台湾の人びとであった。

 当時、すでにパイナップルの缶詰の加工技術が確立していた台湾から、栽培や缶詰加工の指導者を呼び寄せることで、技術の向上と作業の効率化が図られた。缶詰加工の分野において、台湾から多くの熟練者が石垣島へ渡ったのである。こうした「技術導入」によって、石垣島の労働者のパイナップル栽培や缶詰加工技術が飛躍的に向上した。台湾から指導に渡った人びとの勤勉さや誠実さ、技術力は高く評価されたと聞いている。

 こうした状況は、戦前には時として脅威と捉えられたこともある台湾からの移民の人びとと、石垣島の人びととの共生につながったのである。

 いまや石垣島を代表する果物となったパイナップルは、台湾からやって来た人びとがマラリアと闘い、地元の人びととの融和を探りながら根付かせたものである。戦前から戦後を通じ、台湾から石垣島へ渡った人びとが言葉にできない苦労を重ね、今日の発展に繋がった努力を私も一人の台湾人として誇りに感じている。

 それと同時に、石垣島の人びとが台湾からやって来た人びとと融和し、今日の石垣島において共存共栄していることに感謝を申し上げたいと思う。

 

「第四次産業革命」を起こす技術 >

iyashi

著者紹介

李 登輝(り・とうき)

台湾元総統

1923年、台湾・台北州淡水生まれ。台北市長、台湾省政府主席、台湾副総統などを経て、1988年、総統に就任。1990年の総統選挙、1996年の台湾初の総統直接選挙で選出され、総統を12年務める。著書に、『新・台湾の主張』『指導者とは何か』(ともに、PHP研究所)ほか多数。

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