直接対話でトップの“熱”を伝える──すべては理念の浸透とDNA継承のため
2013年07月22日 公開 2022年12月21日 更新
《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年7・8月号 Vol.12【特集・哲学ある人づくり】より》
「きちり」の発展を支えるスタッフたちは、どのような考え方のもとに、どのような方法で育成されているのか──。恐怖政治をしく極端なワンマン経営者から、スタッフに愛されるやわらかな笑みを湛えたリーダーに変わったという平川社長に、「人づくり」の要諦についてうかがった。
<取材・構成:森末祐二/写真撮影:髙橋章夫>
トップダウンの「怖い社長」で牽引
みずから精神のバランスを崩す
「きちり」には、「大好きが一杯」という企業理念があります。この理念を全スタッフに浸透させていくことが、当社の人づくりの要です。アルバイト(当社ではパートナーと呼んでいます。以下、パートナーと表記)を含め、スタッフの接客能力の重要度が高い外食産業においては、人づくり自体がビジネスモデルであるともいえます。
この企業理念は、創業当初から存在していたわけではありません。私が経営者となり、苦しい時期を幾度か乗り越えていくうちに、「大好き」というコンセプトにたどり着いたのです。
わずかな店舗数、わずかな人数で経営していた創業直後は、毎晩閉店後に全スタッフがその日の売上金を持って事務所に集まり、さまざまなことを話し合っていました。その日に起こったこと、未来のこと、家族のこと、会社の方針など、どんなことでも腹を割ってとことん議論を交わしたものです。いつしか信頼関係が醸成され、皆が真に一丸となることができました。この直接対面によるディスカッションが、私にとっての「人づくり」の原点となっています。
ところがスタッフの人数が20名を超えたころから、全員で頻繁に集まることがむずかしくなっていきました。そして人数が増えれば増えるほど、会社が何をめざしているのか、私が何を考えていて、どんな考え方を大切にしてやっていくのか、といったことが社員たちに伝わりにくくなっていったのです。
やがて4店舗目を出したころ、ついに経営がうまくいかなくなり、一時は危機的状況に陥ってしまいました。まだ熟練の域に達しておらずしっかりとした信頼関係がつくれていない社員にも、権限を持たせ仕事を任せたことが原因でした。そうした社員に私と同じレベルで店を運営してもらいたいと思っても、どだい無理な話なのです。
そこで私は考えを切り替え、全店舗のマネジメントを私1人で行うことにしました。どれくらいの店舗数まで1人でできるのか分かりませんでしたが、ともかく無責任に社員任せにしてはいけないと強く感じたのです。十分な働きができない者は容赦なく叱責し、トップダウンによる指導を徹底して行いました。高校時代に柔道部で鍛えていた私は、当時、体重が100キロ以上もあり、いわゆる「強面」タイプで、社員たちからは「怖い社長」と恐れられていたと思います。
もちろん事業のスタートアップからまもない時期ですから、創業者が全権を握って組織を引っ張ることは、それなりに意味があったのは間違いありません。しかし、1人ですべてを抱え込んだ私は、強すぎる上昇意識と現実との狭間で、少しずつ精神のバランスを崩していきました。
そのころ、私を怖がっている社員は、私の姿を見ると直立不動になりました。そんな社員を一対一で叱っていると、(こいつ、腹の中ではどう思っているんだろう? きっと俺のことを嫌っているだろうな)といった疑念が湧いてきて、叱っている私のほうが怖さを感じたりすることもありました。人とそういう接し方をしていることも、ストレスになっていたのだろうと思います。
一転して定めた「大好きが一杯」が
スタッフの共通言語に
そんな状態から私を救ってくれたのは、ほかならぬ社員たちでした。会社を成長させるためとはいえ、高いレベルの要求を突きつけすぎて、すっかり私を嫌っていると思っていた社員たちが、私の結婚のお祝いにと、全員でカンパを集めて新婚旅行をプレゼントしてくれたのです。そのほかにも、サプライズパーティーを開いてくれたり、当時の会社の規模としてはかなり無理をして4階建てのビルを1棟借り切った際、一所懸命に後押しをしてくれたりしました。
極端なワンマン経営者で、いつも怖い顔で怒鳴っている私のことを信じて、必死についてきてくれているのが分かったとき、社員に対する感謝の念と愛情が湧き上がってくるのを感じました。そしてそれを言葉で伝えようと思ったとき、「大好き」というフレーズが頭に浮かんだのです。その瞬間、「これがきちりのコンセプトだ!」という確信めいたものが生まれました。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。