本人にもわかっていない「無意識の自分」とは?
ユングは、私たち現代人に「人の心の深いメカニズム」を、きわめて明確に説いてくれた初めての人です。
彼がまとめあげたユング心理学は、私たちが「自分の心の正体」を知る術を教えてくれます。私たちが自分の心の本当の願いに気づき、「自分にとって本当の幸福とは何か」を理解するための、大きな手助けとなるものです。
そもそもみなさんは、自分で自分の心を「わかっている」と言えるでしょうか? 「そんなことは当たり前だ」と、やはり答えますか?
たしかに、自分がやろうとしていること・自分が憧れていること・自分の好き嫌い・自分にとって正しいと信じていること……そうした「自分の心の要素」はすべてわかっているはずです。でも、人の心とはそれだけではないのです。
心には、本人が自分でわかっている部分、すなわち「意識できている部分」だけではなくて、本人にも明確にわかっていない部分、すなわち「無意識の部分」もある。―─と、ユングはまず私たちに教えてくれています。
「自分の心に自分でわからない部分があるなんて、おかしな話だ。そんな理屈、納得できない」と、あるいは思うかもしれません。しかしこの「本人にもわかっていない心の部分」は、日常生活でもたびたび現れ、その存在に気づかされているはずです。
たとえば、自分の行動に「ついうっかり~してしまった」とか「思わず~した」とかいったことがあるでしょう。
「ふだん私は読書なんか嫌いで、本なんか読みたいとも思わなかった。でも、この本は面白くて、ついつい徹夜して読んでしまった」―─なんてこと、ありますよね。
なぜつい読書に熱中したのでしょうか。
「その本が特別に面白い本だったから」と、まずは説明できます。しかし、それだけで説明は十分でしょうか。
本当に心底から読書嫌いの人間だったなら、どれほど面白い本であろうと、読書という行為そのものが辛いだけで、決して喜びなどは感じられないはずです。
じつは、その人の心の中には、もともと「読書を楽しめる自分」という要素が隠れていたのです。そして出合った本が、たまたまその心の要素を目覚めさせるのにちょうどよく、その人の興味を引く内容だった。だから、それまで隠れていた「無意識の読書好きの部分」が刺激されてムクムクと表に現れ、徹夜して読書に熱中するという行動を起こしたのです。
これが「ふだん意識していない無意識の自分」の存在です。
こんなとき人は「私がこんなに一所懸命に本を読むなんて、思いもしなかった」と、自分のことなのに、まるで他人の行動だったかのように思えてしまいます。
そうなのです。「無意識の自分」とは、「意識している自分の心」から見ると「まるで他人のように独立している存在」だというわけです。
自分がわかっていない、独立した存在。人の心の中には、そんな要素があるというわけです。