89歳まで現役...ピアニスト・ルービンシュタインに学ぶ「老後が充実する」秘訣
2023年10月02日 公開
私たちの誰もが「初めての人生」を歩んでいます。なじみのない道を歩く旅人にとって道路標識が役に立つのと同様に、常に「初めての人生」を歩んでいる我々にとっても<道しるべ>は有益です。
ここでは2人の偉人の逸話を紹介します。偉人の逸話を道しるべにして、そこから学べること、私たちの日常にいかせることを拾い上げていきましょう。
※本稿は、戸田智弘著『人生の道しるべになる 座右の寓話』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
ヘレン・ケラーが、目の見える友人にした助言
ヘレン・ケラーは、森の散歩から戻った友人に聞いた。「何を観察したの?」。友人は「特に何も」と答えた。これを聞いたヘレン・ケラーは思った。
1時間も森の中を散歩してきて、興味深いものを何も見なかったなんて、ありうるでしょうか。目の見えない私だって、何百というもの――葉の優美なシンメトリー、アメリカシラカバの樹皮のなめらかさ、マツの粗いゴツゴツとした木肌――を見つけるというのに。
目の見えない私が、目の見える人たちに、助言を差し上げましょう。
明日、急に目が見えなくなってしまうかのように目をお使いなさい。明日、急に耳か聞こえなくなってしまうかのように、人の声が奏でる音楽を、鳥の歌を、オーケストラのとてつもなく素晴らしい旋律をお聴きなさい。
明日はもう触覚がなくなってしまうかのように、一つ一つのものにお触りなさい。明日はもう嗅覚も味覚も失せてしまうかのように、花の匂いを嗅ぎ、おいしいものをひと口ひと口、賞味しなさい。
あらゆる感覚を最大限に活用しなさい。世界があなたに明かすあらゆる相貌、喜び、美に、栄光と恵みが宿っているのです。
五感を研ぎ澄まして「世界と触れ合う」大切さ
ヘレン・ケラーは、アメリカ生まれの教育家・社会福祉活動家・著作家・フェミニストである。彼女は生後19ヶ月の時に発症した高熱と下痢によって視覚と聴覚を失ってしまう。幼少期から視覚と聴覚の重複障害を持っていたにもかかわらず、それを乗り越え、世界中の教育・福祉の発展に尽くした運動家として、輝かしい生涯を送った。
ヘレン・ケラーは、こう思ったのだろう。その友人にとっての散歩の時間は無為だったのであり、それは本当にもったいないことだと――。彼女が友人に伝えたかったのは、五感を研ぎ澄まして豊穣な外の世界と直接に触れ合いましょうということだろう。
五感とは「外の世界と自分をつなぐ通路」である。その通路を閉ざすということは、自分だけの世界に籠ってしまうこと、その通路を開くことは、外の世界(他者や自然環境、文化など)につながることだ。
感覚とは常に個人に所属する固有のもので、同じものに対峙しても、感じ方は人それぞれだ。五感という通路を開いて生きることが、今、私が、ここで、生きていることだ。
五感を研ぎ澄ますことに加えて、森に対する知識の重要性を指摘しておこう。ものごとを知る第一歩は、ものの名前を知ることである。世界に存在するものにはたいてい名前がついていて、世界を知るということは世界を構成している対象一つ一つの名前を知るということだ。それによって世界をより身近に感じることができる。
植物にまったく関心がない人が森の中を散歩するのと、植物学者が森の中を散歩するのを知っている植物学者にとって、森の中の散歩は楽しく知的なものであり、そこで過ごす時間は有意義なものとなるだろう。
人間は世界の「外」に位置して世界と対立しているのではなく、常に世界と一体性を保って世界の「内」に存在している。世界と疎遠になれば居心地が悪く、世界と親密になればわが家のようにくつろぐことができる。
世界と親密になるための最初に一歩は世界を認識することであり、具体的には世界を構成するものの名前を知ることである。