松下幸之助「感謝の心は幸福の安全弁」
2018年08月01日 公開 2024年12月16日 更新
感謝の心は幸福の安全弁。その安全弁を失ってしまうと、人間の幸福の姿は瞬時にこわれ去ってしまう。松下幸之助が説く、"感謝を大切さ"とは。
※本稿は『松下幸之助からの手紙 大切な人たちへ』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
感謝の心は幸福の安全弁
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感謝の心は幸福の安全弁。その安全弁を失ってしまうと、人間の幸福の姿は瞬時にこわれ去ってしまう。人間にとって永久不変のこの心を大切にしたい
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――物が豊かになったせいでしょうか、あるいは人間が尊大になったからでしょうか、近ごろは感謝の気持ちというものが、何か次第に薄れつつあるようにも感じられるのですが…。
【松下】たしかにそういう傾向があるかもしれませんな。しかし感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものなのですね。見方によれば、すべて人間の幸福なり喜びを生み出す根源ともいえるのが、感謝の心ともいえるでしょうからね。
したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になるということですな。感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、幸福の安全弁ともいえるものが感謝の心ともいえるわけですね。
その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は瞬時のうちにこわれ去ってしまうというほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのですよ。
――幸福を持続させるためにも感謝の心が非常に重要だということですね。
【松下】そうです。感謝の心があれば、幸福なり喜びは自然に高まっていき、しかもそれが無限に長続きする。
たとえば、それが物とか金銭によって満たされるというような幸福感だったとしたら、これは限りがあるというか、ある一定の限度があるわけですね。かりに、その物なりお金がなくなれば、即座にその人の幸福感は失せてしまう。
しかし、感謝の心というのは、無形のものというか、いってみれば無限ですからね。少しぐらいのことでは決して崩れませんし、なくならない。それだけ大きいというか伸縮自在なものなのですね。
――ところで、感謝とか報恩というと、何かしら古くさいというふうに思われる風潮がありますが、そのへんはいかがでしょうか。
【松下】今はね、感謝とか報恩とかというと、なぜか昔の封建的思想の産物だというように見られがちですが、ぼくは決してそんなものではないと思うのです。これは、人間にとってのきわめて崇高な精神の所産というか、いかなる困難をも克服し、真の幸福を招来する1つの大きな根源だと思うのですね。
たとえば、犬でさえ好む食べ物を与えれば、尾を振ってその喜びを精一杯にあらわしますな。これは、犬にとっては一種の幸福感の絶頂ですわ。それを素直に感謝のしぐさで身体全体にあらわす。いってみれば、犬でさえ感謝の心のようなものをもっているわけですよ。
まして、人間は犬よりは数段高等なのですからね。いくら時代が変わろうとも、感謝の心というものは、人間にとって永久不変の心だと思うのです。
そういう意味で、近ごろ、感謝の気持ちをもつことを、古くさいというように考える風潮があるとすればそれは社会のどこかに何らかの欠陥があるからかもしれませんね。実際、真の人間教育が行われていれば、決してそんなことはないはずだと思うのですよ…。