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これからの日中外交・「徹底的な対日工作」に備えよ

中西輝政(京都大学名誉教授)

2015年01月14日 公開 2024年12月16日 更新

《PHP新書『中国外交の大失敗』より》

 

あの瞬間、全世界は日本の勝ちを悟った

 「ああ、これは聖徳太子と煬帝だ」

 2014年11月10日、2年半ぶりに開かれた日中首脳会談での安倍晋三首相と習近平国家主席の2人が向かい合う姿を目にして、私は一瞬にして1400年前の光景を想い浮かべた。

 片や笑顔を浮かべて習国家主席に握手を求め、片や仏頂面を下げてしぶしぶ安倍首相に歩み寄る。両者のどちらが国際社会の目からみて格上であり、「勝者」であったか。もはや一目瞭然、というしかない。全世界に衛星放送された会談冒頭のシーンをみて、あらゆる国の人が日中2国間の真の関係について、この瞬間、直感的にせよ、深く理解したにちがいない。

 さきに記したように、2014年5月に開かれたミャンマーの首都・ネピドーでのASEAN首脳会議における「ネピドー宣言」、それに先だって行なわれた外相会議における全会一致の対中非難声明、同月のシャングリラ・ダイアローグでの安倍首相の名演説によって、有力な国際舞台における中国外交の歴史的な敗北と日本外交の勝利が浮き彫りになった。安倍・習近平時代の日中外交の「第1ラウンド」での日本勝利の掉尾を飾るのが、日中首脳会談における冒頭のシーンであったのだ。

 私は以前から「もし今回、日中首脳会談が開かれれば、それは日本外交の勝利を意味する」と予見し、その可能性を指摘してきた。周知のように、安倍政権発足以来この2年間、日中首脳会談を開くに当たっては「尖閣諸島をめぐる領土問題が存在することを日本が認める」「安倍首相は靖国神社に参拝しない」の2点が、中国側が繰り返し要求してきた首脳会談開催の前提条件とされていた。しかし中国側があれほどまでに拘泥していた、この2条件を抜きにして日中首脳会談が開かれたこと自体が中国外交の敗北であり、言い換えると、ここまでにみてきた日中外交戦の第1ラウンドは、明確に日本外交の勝利に終わった、と断言できよう。

 もちろん、外交においてどちらが勝った、負けた、という話に単純に拘泥したりするのは決して前向きな議論ではない。当然、今後へ向けたいっそうの関係改善に努めることが、まずは大切な心構えである。

 そのうえで、より客観的かつ巨視的な視点からいえば、少なくとも次のことを確認しておく必要がある。すなわち今回の会談へと至った、この2年足らずの日中関係の構図そのものが、これまでの日中外交の基本パターンを大きく転換させるものだった、ということである。

 

第2ラウンドでは「対日工作」が活発化する

 ならば、習近平外交が大幅な戦略の修正を迫られることになったのが「第1ラウンド」の結果であるとして、安倍・習近平時代における日中外交の「第2ラウンド」はどのようなかたちで展開し、そこでわが国は何を警戒すべきなのか。

 じつは、日中外交の第2ラウンドはすでに始まっているのである。習近平は第1ラウンドでの失敗に学び、軍事力を強硬に前面に押し出すのではなく、よりソフトな「微笑外交」を交えつつ、かつ力によって決して封じ込めることができない日本のなかに手を突っ込んでくる、いわゆる政治戦争(ポリティカル・ウォーフェア)にシフトしてゆくだろう。すなわち「対日工作」の活発化である。

 日中首脳会談の時期と並行して、東京都の小笠原諸島の周辺にサンゴの密漁船と称する100隻以上の船が投入された。これは、鄧小平外交を明らかに踏襲した戦略である。1978年に日中平和友好条約を締結する際、当時は「社会帝国主義」のソ連と中国共産党が、軍事衝突に至るほど鋭く対立していた。そこで中国側から、日中が協働してソ連を包囲しようとする「反覇権条項」を日中平和友好条約に盛り込むよう強い要求があったが、日本側はこれに抵抗を示していた。すると同年4月、トウ小平は今回の習近平と同様、突如として100隻を超える武装した漁船を送り込み、尖閣諸島の周辺に展開させたのだ。

 当時の福田赳夫内閣は「反覇権条項」でお茶を濁しつつ、対中ODA(政府開発援助)の拠出というかたちで対中関係の妥協を図り、これがのちの大平正芳政権時代には莫大な対中ODA政策として固定化することになった。このように、トウ小平は何か合意をしようとする段階で、あえて日本側を驚かすような“悪さ”を働いて交渉に揺さぶりをかける。おそらく、これに学んだのが「小笠原サンゴ密漁漁船団事件」であろう。

 今後、おそらく中国は小笠原諸島を管轄する東京都への工作を通じ、国と都道府県の「二重行政」のあいだに溝を掘り、日本という国家を内側から突き崩そうとしていくことだろう。中国にとって幸いなことに、いまの舛添要一都知事はきわめて熱心な対中韓友好外交の姿勢を示している。また2014年11月16日の沖縄県知事選で、辺野古への基地移転に反対する翁長雄志氏が当選したことは、国と都道府県すなわち沖縄県との離反を策する、中国の第二ラウンドにおける対日戦略に拍車をかけることになる。

 同様に永田町、霞が関、経団連や学術機関、NHKや民放のメディアへの工作活動も決してやむことはないであろう。かつて日本の農林水産省やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)政策の中枢にまで工作の手が及んだ2012年春の李春光・一等書記官の「スパイ事件」を教訓として、しばしば日本の中枢に後ろから手を回して政策と日本人の心を崩していく中国の伝統的な対日工作の手法に回帰する、とみて日本は警戒すべきである。その手法がどのようなものかを知るためにこそ、私たちは日中関係の歴史を深く知るべきだ。<☆本書第7章に詳述>

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日中外交のあるべき姿を聖徳太子に学べ

著者紹介

中西輝政(なかにし・てるまさ)

京都大学名誉教授

1947年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て京都大学大学院教授。2012年退官し現職。専門は国際政治学・国際関係史、文明史。1997年『大英帝国衰亡史』(PHP研究所)で毎日出版文化賞・山本七平賞受賞。2002年正論大賞受賞。
著書に『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)『日本の「死」』『日本の「敵」』(以上、文春文庫)『本質を見抜く「考え方」』(サンマーク出版)など多数がある。

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