日中外交のあるべき姿を聖徳太子に学べ
いま一度、わが国が押さえておくべきは、「中国外交には3つのスタンダードが存在する」ということだ。
第一のスタンダードは、欧米向けの外交である。19世紀のアヘン戦争以来、中国が不承不承、従ってきた近代国際法に基づく、いちおうグローバル・スタンダードに則った近代外交だ。
第二のスタンダードは、周辺国に対する「上から目線」の疑似冊封外交である。とくに韓国のような国に対しては、親が子供に接するかのように「親・誠・恵・容」の姿勢で温情を示す。そのパターンで中国が迫ってきたら、韓国は「絶対に刃向うことができない」と知っているからだ。
第三のスタンダードは、欧米型にも周辺国型にも当てはまらない日本に対する外交である。日本という国は、中華帝国の文明秩序を共有する関係でもなければ、韓国のように温情を示す対象でもない。そもそも、日本はただ1国で1つの文明圏をなす、中国とはまったく異なる国である。したがって、日中はまさに「文明の衝突」を孕んだ対立、かつ対等の関係にある、ということだ。つまり、それはへたをすると即、「ノー・ルール」になってしまう危うさをも秘めている関係パターンなのである。
そこで、いうまでもなく日本は第一のスタンダードに日中関係を基礎づける大目標をはっきりと意識すべきである。そのためには、次の2つを日本の対中政策の重要なキーコンセプトとしてはっきり設定することが、何より重要だ。すなわち、何があっても「対中対等」を貫くこと、そしてもう1つは、つねに「普遍的価値」を日中が共有するよう訴えつづけることである。
2014年11月の日中首脳会談が真に画期的だったのは、従来の日中外交が多くの点で「対等」とは程遠いものであり、それを安倍首相が本来の姿、すなわち聖徳太子の敷し いた「確固たる対中政策」のスタンスに戻したからだ。1972年の日中国交正常化以来、過去の日中関係は中国が一方的に打ち出す要求を日本が甘んじて受け、せめて相手の要求を精一杯ディスカウント(値引き)することで国家の面目を保つ、まさに“対中位負け外交”が常であった。その戦後の日中外交の「常識」をようやくにして今回、安倍首相が完全なかたちで覆したのである。
遡ると大業3(607)年、聖徳太子は小野妹子を通じて隋の皇帝・煬帝にメッセージを伝えた。これを中国王朝の正史は次のように伝えている。
大業3年、其(倭)の王、多利思比孤、使を遣はして朝貢す。使者曰く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞く。故に遣はして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人来つて仏法を学ぶ、と。其の国書に曰く、日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙つつが無な きや、云々と。帝(煬帝)、之れを覧て悦ばず。 (『隋書』倭国伝)
右で煬帝が「悦ばず」の態度をみせたのはある意味、当然である。なぜなら中華帝国の伝統的な外部世界に対する支配パターンとは、周囲に冊封体制を築いて相手を「属国」と規定し、一方的な朝貢と従属を強いることであるからだ。その中華帝国の皇帝に対し、倭国の皇太子兼摂政であった聖徳太子が敢然とした対等の姿勢を示したことに、煬帝は紛れもない驚愕と強い不快感を示した。
世界中に中継・配信された日中首脳会談における「習近平の仏頂面」は、まさに煬帝もかくや、と思わせるものであった。しかし、さらに重要なことは、併せて聖徳太子が煬帝に「海西の菩薩天子(仏教に帰依する中国皇帝のこと)、重ねて仏法を興すと聞く」とし、仏法立国の日本と手を携え、当時の世界的な普遍的価値である仏教の興隆に協力しましょう、と伝えたことだ。これこそ当時では仏法、すなわちいまの世界でいえば「法による支配」をもって「力による支配」に対置するという価値観を、日中両国が共有することを訴えつづけてゆくことなのである。
付言すれば、この日中首脳会談における合意文書のなかに、経済に関する合意が1つも盛り込まれていなかったこともまた、わが国にとってきわめて注目すべき成果である。日中関係の変化の一因である中国経済の実態については、次章でより詳しく述べることにしたい。