【松井大輔】出身校へお金で恩返しも サッカー選手の移籍金事情
2018年09月12日 公開 2024年12月16日 更新
<<サッカー選手が移籍する際に話題になる「移籍金」。移籍金は移籍先が元の所属チームに支払うものだが、それだけでなく過去に所属していた学校や町クラブに支払われる金銭があることをご存知だろうか?
また、仮に移籍金がゼロだったとしても過去の所属クラブに支払われることもあり、移籍が母校や過去の所属チームに恩恵をもたらすことにつながる。
海外リーグで11年、8クラブを股にかけた元日本代表の松井大輔が著書『日本人が海外で成功する方法』にて、サッカー選手と商品価値について語る一説を紹介する。>>
フランスで学んだ「サッカー選手はアスリートであり、商品でもある」
僕が京都でプロになった頃は、「サッカー選手=商品」という意識は全くと言っていいほどありませんでした。
京都の山科で生まれ育った自分は、同じ大宅サッカースポーツ少年団に通っていたヤマちゃん(山崎雅人=ツエーゲン金沢)たち公園仲間と泥だらけになりながら、毎日暗くなるまでボールを蹴り、当時から大人気だった「キャプテン翼」の大空翼君のマネをするような少年でした。
中学時代には地元の強豪だった藤森中学校に3年になって転校。そこから鹿児島実業に進んで、ひたすらピッチを駆け回り、ボールを蹴ることだけを考えて、過ごしてきました。
無心でボールを追っていた少年時代の延長線上で、プロサッカー選手の一歩を踏み出したので、あくまでアスリートという自覚しかなかったし、自分がお金を落とす存在になるなんて、思いもよりませんでした。
その考えがガラリと変わったのが、フランスに赴いてからです。
移籍したフランスのクラブであるル・マンにはアフリカや南米から成功を求めてやってくる選手が数え切れないほどいました。彼らが練習後のロッカールームで話すのは「お前は年俸いくらもらってるんだ?」「あいつは何億円の契約をしたらしい」といった噂話ばかり。
ある選手のロッカーが翌日にはもぬけの殻になっていて、サンテチェンヌやマルセイユ、オリンピック・リヨン、PSGといったビッグクラブに引き抜かれていたという現実を目の当たりにさせられる日々だったのです。
町クラブや学校にも1000万単位の移籍金が分配される「連帯貢献金」
アフリカ出身の若い選手が十億円近い移籍金で買われていったと思いきや、そのシーズンオフには真新しいクラブハウスが建ちました。トレーニングジムが拡充された年もあったし、芝生の張替えをした年もあった。スタッフの数もどんどん増え、自分がチームを出る頃にはリーグアンの中堅レベルにはなっていたと思います。
僕の場合も、サンテチェンヌにはフリートランスファーで行きましたけど、サンテチェンヌからグルノーブルへ移籍した際には満額の移籍金が支払われました。移籍金というのは2つ前の所属先に支払われるので、ルマンもそれなりには潤ったのではないかと考えています。
選手の移籍に関しては、単純な移籍金以外に「連帯貢献金」というものもあり、海外移籍した選手が満12~満23歳の誕生日まで所属したチームに対して、移籍金の一部が分配されることになっています。
分配方法は満12~満15歳まで過ごしたチームが0.25%×所属年数、満16~満23歳まで過ごしたチームが0.5%×所属年数という計算式になるので、移籍金が高額であれば、育ったクラブにもたらされる利益も大きくなります。
例えば、小中学校時代に町クラブ、高校時代に高校サッカー強豪校で過ごし、18歳でJリーグ入りして、24歳でドイツへ行き、28歳で3度目の欧州間移籍によってイングランドのクラブへ10億円の移籍金へ赴いたある選手を例に取ると、12~15歳まで4年間所属した町クラブに1000万円、16~18歳まで3年間所属した高校に1500万円、19~23歳まで5年間過ごしたJクラブに2500万円ものお金が現在の所属先から支払われる計算になります。
町クラブや学校にとって1000万円超の金額というのは相当なもの。グランドを土から人工芝に張り替えたり、夜間照明をつけたり、寮を立てたり、海外遠征費に充てるなどさまざまな使い道が考えられます。
自分が育ったチームに金銭的なメリットをもたらすことができるのなら、選手としても万々歳。僕らは自分が商品として扱われていることを自覚しながら、ピッチに立つべきだと思います。