【松井大輔】日本人サッカー選手の海外移籍 最初の国はどこが理想?
2018年09月11日 公開 2018年09月20日 更新
<<活発になる日本人サッカー選手の海外移籍。しかしながら、海外リーグでのキャリアアップに挑みながら、早期帰国を余儀なくされる選手も少なくない。
その成功の鍵はどこにあるのか? 最初に選ぶ国、リーグによって、その後のキャリアが左右されるのか?
海外リーグで11年、8クラブを経験した元日本代表の松井大輔はどう考えるのか? 著書『日本人が海外で成功する方法』からその一部を紹介する。>>
かつては海外移籍の第一歩はオランダが理想的と言われた
「海外へ出ていく」と一口に言っても、どの国も同じというわけではありません。
どのリーグを選ぶかは、その後のキャリアを左右する重要テーマになってきます。
僕がフランスでプレーしていた頃は、「欧州へ行くなら最初のステップはオランダが理想的」と言われていました。
オランダは欧州5大リーグのイングランド、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスには入っていませんが、レベル的にはそのすぐ下。フェイエノールトやPSVアイントホーフェン、アヤックスといったビッグクラブもあり、欧州トップを身近に感じられるリーグだったのは確かです。
加えて、英語を話せる人が大半を占めているので、生活を考えるとスムーズに溶け込める。親日家が多いので、日本人を温かく迎えてくれるというメリットもあります。
フランスやイングランドほど移民も多くないため、治安もかなりいい方です。そういった環境面を含めて、(小野)伸二さんや(藤田)俊哉さん、(本田)圭佑、(吉田)麻也といった選手たちがファーストステップとして選んだんだと思います。
圭佑はVVVフェンロという1部と2部と行き来しているエレベータークラブで活躍し、UCL常連のCSKAに行き、イタリアの名門・ACミランへ右肩上がりのキャリアを描くことができました。
麻也にしても、プレミアリーグのサウサンプトンに行き、ELに出場することができた。それは日本人選手の中でも大成功と言えるでしょう。
ドイツからステップアップに成功した香川真司
彼ら2人に匹敵する成功の軌跡を描いたのが、(香川)真司とオカ(岡崎慎司)だと思います。
真司は21歳でセレッソ大阪からボルシア・ドルトムントへ行きました。
当時のドルトムントは経営破綻から立ち直りつつあり、クラブぐるみでアカデミー出身の若い選手たちを育てていました。マリオ・ゲッツェやマルコ・ロイス、マルセル・シュメルツァーらがその象徴的な存在です。
彼らに加えて、外国から才能ある香川やロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン・ミュンヘン)のような選手をスカウトし、ユルゲン・クロップ監督(現リバプール)が機動力あふれるチームを作り上げ、真司が入って1年でブンデスリーガ王者まで上り詰めました。
翌シーズンもブンデスリーガとDFBポカールの2冠を取り、その原動力となったことで、当時マンチェスター・ユナイテッドを指揮していた名将、アレックス・ファーガソン監督が真司の創造性や高い技術に着目。獲得に踏み切ったと言われています。
マンチェスター・ユナイテッドでのプレーは結局、2シーズンだけでしたが、欧州トップ10のクラブに上り詰めたのは彼1人だけ。その経験値は日本サッカー界にとっての大きな財産になりました。
ただし、真司のケースは極めて理想的なステップアップの例。そこまでうまくいくことは滅多にないと強調しておきたいです。
僕自身、2つ目の移籍でサンテチェンヌというフランスの名門に行きましたが、そこはマンチェスター・ユナイテッドほどのビッグクラブではなかった。
サンテチェンヌで大活躍できていれば、PSG(パリサンジェルマン)や5大リーグの上位クラブに行く道も開けたかもしれないけど、それは簡単なことではなかった。欧州で階段を駆け上がるのがいかに険しいのかを、自分の体験から痛切に感じています。