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“あの日”から10年…「田中将大、楽天復帰」に元同僚・山崎武司の“偽らざる本音”

喜瀬雅則(スポーツライター)

2021年03月10日 公開 2024年12月16日 更新

2011年に起きた東日本大震災が、地元・東北楽天ゴールデンイーグルスに与えた影響は大きい。

「3・11」を風化させないよう、「ファンとの絆」をより強固にするために、選手たちはそれぞれの形で復興支援を続ける。

「あの日」から10年ぶりに日本復帰を果たした田中将大もその一人だ。本稿では、当時の楽天ナイン・山崎武司、平石洋介の証言をもとに、東北楽天による震災への向き合い方と「これから」に迫る。

*本稿は、喜瀬雅則 著『稼ぐ!プロ野球 新時代のファンビジネス』 (PHPビジネス新書)の内容を抜粋・編集したものです。

*文中では初出の際に肩書、職位などを記した後は、字数などの関係もあり、敬称略とさせていただきました。また、カッコ内の「現」は、2021年1月末現在の肩書、職位です。

*山崎武司氏の「崎」の字は「大の部分が立」の表記が正式です

 

絶対に忘れてはならない「苦しみ」

平石洋介は、楽天創設の年にドラフト指名を受けて入団し、2011年(平成23年)の震災も知る"楽天初の生え抜きプレーヤー"として、初めての監督となった。

仙台の、そして東北の復興は、いまだ道半ばでもある。

楽天という球団が、東北の復興への『歩み』を共にしてきたその歴史を見続けてきた平石が、"被災地の球団"で監督を務めたという意義は大きい。

「絶対に心に留めておかないといけないものだし、その思いはずっとありました。それは重いものを背負っているというのとはまた違います。僕らは東北で、仙台で、宮城県で野球をやらせてもらっている。そこにいるファンの人たちがいる。

プライベートでもいろいろな方たちと出会って、公私にわたってお世話になっている。その人たちが、震災のときにあれだけ苦しんだというのは、絶対に忘れてはならないことなんです。日が流れていくといったらおかしいですけど、やっぱり、風化されつつあるところだって、あるじゃないですか? それは絶対にあかん。東北の皆さんに喜んでもらわなあかん。きれいごとではなくて、ホントに純粋な思いとしてありましたよね」

監督としてシーズンに臨んだ2019年(令和元年)、平石はチームを前年の最下位から3位に導きながら、監督の座を退くことになる。

しかし、その指導者としてのキャリアと実績を、他球団は放っておかない。2020年(令和2年)からソフトバンクの1軍打撃兼野手総合コーチに就任。チームの4年連続日本一に寄与した平石は、2021年(令和3年)もソフトバンクで1軍打撃コーチを務める。

大分生まれの平石にとっては、慣れ親しんだ九州への"里帰り"でもある。しかし、家族は仙台にとどまっている。子供の進学や生活基盤も考えて、家族と話し合った末、平石は博多への単身赴任を決めたのだという。

仙台との「絆」を、大切に育み続けているのだ。

山崎武司は、震災翌年の2012年(平成24年)から古巣・中日に復帰した。翌2013年(平成25年)に27年間の現役生活を終え、その後は野球評論家として、後輩たちのプレーに熱い視線を注いでいる。

「俺は、自分の中で恩返しをしていかないといけないと思っているんです」

講演の場では、必ず東日本大震災の話を盛り込む。

「他人事と思わないでくださいと、必ず言うんです。そして行けるのなら、東北に行って感じてほしい。美味しいものを食べて、温泉に入って、被災された方の話も聞いてくださいって。それが被災者への貢献なんです。お金がすべてじゃないんです。

自分で楽しんで、そして経験してほしい。東北の人たちは、あの大震災を伝えていきたいという人たちが多いんです。だから、俺も伝えたいんです」

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田中将大の「恩返し」

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