松坂屋にたたずんでいた「メリーさん」
伊勢佐木町商店街の入口近くにはかつて百貨店の松坂屋があった。前身は生糸商の茂木惣兵衛が1864年(元治元年)に創業した野澤屋呉服店である。開港50年前後から界隈には芝居小屋だけでなく呉服店が増加した。
とくに繁盛したのが吉田橋のたもとにあった松屋と伊勢佐木町三丁目にあった松喜屋、そして野澤屋であった。
松坂屋といえば、「メリーさん」がたたずんでいた光景も思い起こされる。白いドレスに身をつつみ、白粉を顔に塗った老女。
僕も小中学生の頃、松坂屋の前だけでなく、メリーさんが寝床としていた福富町のGMビルの前などで幾度か目撃したことがある。学校の同級生にも当然見たことがあるという者は多かったが、皆一様に「怖いから近づかない」と言っていた。
姿を見かけなくなってからしばらくのち、中村高寛監督によるドキュメンタリー映画『ヨコハマメリー』(2005年)やルポルタージュの刊行などが相次ぎ、まことしやかに語られてきた伝説の背景や彼女の人生の一端が明らかとなった。メリーさんは2005年(平成17年)に死去、その3年後には松坂屋も閉店し、跡地はカトレヤプラザという複合施設に変わった。
伊勢佐木書店今昔
その向かいには有隣堂が建っている。伊勢佐木町や横浜駅をはじめ市内各所に店舗をもつ横浜生まれの新刊書店チェーンの本店だ。
「正確な年代はさだかでないのですが、明治10年代に大野源蔵が貸し本屋をはじめたのがそもそものはじまりなんです。当時のことですから、まだ本屋というよりも時代劇などに出てくる絵草紙屋のような店だったのではないでしょうか。
その後、源蔵の長男である貞蔵が明治27年に第一有隣堂を吉田町一丁目に開業しました。さらに、母方の家系に養子に入った四男の松信大助が戦争から帰ってきて、明治42年に倉田屋書店という本屋の跡地を借り受け、第四有隣堂を開業します。この第四有隣堂が現在の有隣堂につながっているわけです」(有隣堂会長・松信裕さん)
当時の伊勢佐木町には勉強堂、弘集堂など七軒ほどの書店があった。こうしたなか、松信大助は『横浜市全図』『横浜絵葉書』などを発刊して地元での足場を固めていく。
「出版事業にかんしては、いまに至るまでうちはいわば『ご当地ソング』しか歌っていないんです(笑)。開港資料館や歴史博物館、さまざまな研究者の方と協力しながら、横浜、神奈川の地域研究についての本を出しつづけています」