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生き方

彬子女王殿下が語られた、「博士論文性胃炎」になったときのストレス解消法

彬子女王

2024年05月01日 公開

慣れない環境での生活、試練の時期......、そうしたなかでのストレスに自分なりの対処法をもつことの大切さを多くの方が意識されていることでしょう。

現在、皇族としてのご活動だけでなく、日本美術史の研究者としても活躍される彬子女王殿下も、20代の頃、オックスフォード大学マートン・コレッジでの留学生活の締めくくりともなる「博士論文」の執筆期間に、ストレス性胃炎と診察されたことがあられたそうです。

では当時、どんなストレス解消法によって、その試練を乗り越えられたのでしょうか。

※本稿は彬子女王著『赤と青のガウン』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。

 

「4~5日間、まったく寮の外に出ない」ときもあった

博士論文を書くという作業はとかく孤独なものだ。早い人でも最低3年間は同じ研究に没頭し、その成果を言葉として積み重ねていく。私の場合は、修士と博士を併せて約5年間同じ研究を続けたことになる。それだけ長い時間1つの研究を続けるということは、あとにも先にも博士論文くらいしかないのではないかと思う。

美術史の研究には大きく分けて2つのステップがある。材料を集めること、そしてその材料を使って理論的に文章を組み立てることである。

私は、研究の最初のステップともいうべき「史料調査」の部分は大好きだ。博物館で何十年も開けられていない引き出しの中からみつけた書類に目を通し、日本美術に関する記録の断片を拾い集めていく。探偵のようなわくわくする作業。それが好きで研究者をしているといっても過言ではない。

でも、そうして集めた歴史のかけらをつなぎ合わせて、説得力のある文章にまとめるという作業は苦手だ。だから、史料調査があらかた終了し、論文を書き上げる作業だけになった最後の1年間はほんとうに辛かった。

博士論文の執筆が佳境に入ってくると、明けても暮れても「論文を書く」以外にすることがない。朝起きてから寝るまでずっとパソコンの前にいる。4〜5日間、まったく寮の外に出ないなんてこともよくあった。

私が住んでいた寮は、マートンの大学院の1、2年生が多く住む建物である。セキュリティー上の問題で、留学中はずっと同じ寮の同じ部屋に住まわせてもらっていたのだが、この状況が辛さに拍車をかけた。

史料調査や実験などが中心となる1、2年生たちは、まだ論文に対する危機感もそれほどなく、毎日が楽しそうだ。寮のキッチンに友達を呼んでパーティーをしたり、週末は夜遅くに帰ってきたりする。

彼らの立てる物音は、重い空気が漂う私の部屋によく響く。そのたびに失われてしまった楽しいカレッジライフを偲び、彼らに被害妄想という名の恨めしさを感じてしまうのである。

 

ある日、体に異変が生じ、胃に痛みが......

キッチンや廊下で彼らに会うと、いつも快活に「元気?」「調子はどう?」と聞かれたりする。しかし、執筆が劇的に進んでいるなんてことはほとんどない。いつも一進一退を繰り返し、1日中パソコンの前に座って書けたのはたった5行、なんて日もある。

だから「元気?」と聞かれても元気なわけはないし、「調子はどう?」と聞かれても基本的に調子はいまいち。こうして、論文書きに集中せざるをえない私のなかの暗闇は広がり、世界でたった1人、時間の狭間に取り残された悲劇の主人公になってしまったように感じるのである。

毎日〈現地の友人の〉みーちゃんとは電話で話していたので、誰とも口をきかない日はなかったけれど、誰とも会わない日はよくあった。毎日同じ答えしか返せない自分が嫌になり、会話をするのが煩わしくなって、人に会うのを避けるようになっていった。

昼食も夕食も人がキッチンに来ない時間帯にささっとつくり、自分の部屋に戻って食べる。執筆中の唯一の息抜きといえば食事なのだが、一人だと手のかかるものをつくらないので、いつもおうどんやどんぶりなどの簡単なものになる。

食べるのも15分もあれば終わってしまう。ご飯をつくっているときも、食べているときも、論文のことが頭を離れない。いわば1日中、ずーっと脳のスイッチがオンの状態になっていて、熟睡することもままならなくなっていったのだった。

しばらくそんな生活を続けたある日、体に異変が生じた。食べても飲んでも気持ちが悪いし、ときどき刺すような胃の痛みが襲う。食べたものがずっと胃に残って消化されていないのがわかる。

 

「これではいけないと少しの生活改善を試みた」

二日ほど「うーん、うーん」とうなった私。論文のことを考えるとそれどころではないのだが、背に腹は代えられない。しかたなく病院で診てもらうことにした。

診察のあと告げられた病名は「ストレス性胃炎」。先生いわく、「根本的なストレスを取り除かないかぎり治らない」とのこと。しかしそれはどう考えても無理な話。論文を書き終えるまではこの生活から抜け出せないのに、論文が胃痛の原因なんて......。

薬をもらい、症状は一時的に改善されたが、根本的な解決にはならない。結局は、論文提出まで数カ月に1度のペースで「博士論文性胃炎」に苦しめられることになったのである。

初めて胃炎を発症したとき、これではいけないと少しの生活改善を試みた。何日も部屋の中に缶詰め状態ではさすがに息が詰まるので、気分転換に久しぶりにロンドンに出かけてみることにしたのだ。

とくに用事があったわけではなかったけれど、大英博物館に行き、オフィスで作業をしてみた。〈仕事場の〉ひろみさんやケイスケさんと日本語で他愛もない話をし、笑っているうちに、だんだん気持ちが明るくなり、元気になってきた。

そういえば、もともと子どものころから人に囲まれて育ってきた私は、人が周りにいるのが自然だった。集中したいからと閉じこもってばかりいたことが逆にストレスになっていたらしい。「独りにならないことって大切なんだ」とあらためて思った出来事だった。

 

行きつけのオックスフォードのサンドイッチ屋さん

このことに気づいてから、勉強場所を少し変えてみることにした。人の声が聞こえるほうが逆にほっとする。私の向かった先は喫茶店である。

私の行きつけだったのは、オックスフォードの目抜き通りにある18世紀ごろの古い木造建築を改装したサンドイッチチェーン店。外からみると明らかに傾いているし、店内の床も壁もすべてがゆがんでいる。

その古すぎる外観から、解体して新しいものを建てたほうが安上がりであろうことは想像に難くない。しかし、崩壊寸前にみえる建物を歴史的景観として壊さないで、さらにチェーンのサンドイッチ屋にしてしまうのが英国人のすごいところだ。地震大国の日本では考えられないことだろう。

ここのサンドイッチは、あまり食べ物のおいしくない英国にあって、比較的まともである。そして、サンドイッチもさることながら、コーヒーが安くておいしい。

星形にココアパウダーを振ってくれるのが嬉しくて、注文していたのはいつもカプチーノ。たまたまベルギー人の友人がこのチェーン店のシステム・エンジニアをしていたので、コーヒーのおいしさの秘密について聞いてみた。

すると、その秘密は豆の量にあるのだという。一般的なコーヒーチェーン店が一杯のコーヒーに使う倍の量の豆を使っているらしい。その話を聞いて、なんだか得した気分になり、コーヒーが飲みたくなるといつもこの店に足が向いたのだった。

パソコンをもち込み、カプチーノを飲みながら、人の話し声をBGMに論文を書く。部屋で書くより筆が乗るのが不思議だ。

飽きてきたり、書くことに行き詰まったりすると、周囲の人びとをウォッチング。「学生さんかな?先生かな? あ、あの人は試験勉強中かも......」なんて考えながらぼんやりしていると、いつの間にか論文のことを忘れて気分転換ができている。するとまた、よい言い回しを思いついたり、新たなひらめきが生まれたりするのである。

ここのよいところは、インターネットが無料で使えること。そして2時間という使用時間の制限があること。わからないことがあればすぐ検索できて便利だし、集中力が持続できるという意味でも2時間はちょうどよいタイミング。それに、コーヒーとサンドイッチであまり長居しすぎるのも申し訳ない。

この喫茶店での論文執筆を始めてから、それまでよりはかなり効率的に文章が書けるようになっていった。

 

「日本からの便りほど嬉しいものはない」

もう1つのストレス解消法はお風呂である。幸いなことに2度目の留学中に住んでいた寮の部屋には大きなバスタブがあった。そこで1日の終わりのお風呂タイムをゆっくり取ることにしたのである。

でも、英国は年中乾燥していて、お風呂に長時間入ると脂分が落とされすぎて乾燥肌で痒くなる。対抗策として最初は英国のスーパーで売っている、ちょっと高級なホテルに置いてあるような「あわあわ」になる入浴剤を入れてみた。でも、それではよい香りはするけれどお肌の問題はよくならない。

そんなとき、日本の友人がお土産に温泉の素セットをもってきてくれたのである。これが正解。使いはじめてからしばらくすると、痒みは落ち着き、徐々に肌がつるつるになっていったのである。

よい香りのお風呂に毎日ゆっくり入ることがスイッチをオフにする手助けになったのだろうか、きちんと眠れるようにもなっていった。

こうなると温泉の素なしでは生活ができなくなってくる。侍女さんに頼んで日本から送ってもらうことにした。数週間後、家から届いた荷物。開けてみると玉手箱のような大きさの桐箱が入っている。しかも重い。

不審に思って恐る恐るその桐箱を開けてみると、いろいろな種類の入浴剤がぎっしりと詰まっている。箱のうやうやしさと入っていたもののギャップが大きすぎて、一瞬事態が理解できなかった。そして、この桐箱に入浴剤を真剣に詰めている侍女さんの姿が目に浮かんで、おかしくなってひとしきり笑った。

英国で一人暮らしをしていると、日本からの便りほど嬉しいものはない。入浴剤のほかにも、たくさんの方々がいろいろなものを届けてくださった。

父の手紙が定期的に届くのはもちろんのこと、祖母も手紙に加えてときどきお米やインスタントのお味噌汁、缶詰などを送ってくださった。名古屋の知り合いのおばさまから真空パックされた焼き鮭や鰻の蒲焼きが届いたこともある。

家からは月1回必ず小包が届く。中身は私が購読していた雑誌や雑貨、日本食材など。そして、いつも何かしらサプライズが入っていた。金平糖や疲れた目をリラックスさせるためのアイマスク、もこもこの靴下など......いつも侍女さんたちが私の体調や精神状態を考慮して、癒しの贈り物を忍ばせてくれる。

毎回小包を開けるときは、「今回は何が入っているのかな?」とわくわくした。毎回何を送ろうかと考えてくれている侍女さんたちの心遣いがほんとうに温かかったし、どれだけ助けられたことだろう。

毎日論文執筆で張り詰めた精神状態が、この小包を開けるときはふと緩み、顔がほころんだ。月1回届く私の栄養剤だった。

ひと言でいえば、「とにかく大変で辛かった」留学最後の1年間。でも不思議と「もうやめたい」とは1度も思わなかった。それはきっと私が、たくさんの人たちの愛情と応援に支えられていたからに違いないのである。

 

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