2024年NHK大河ドラマのモチーフである紫式部の『源氏物語』。1920年代にイギリスではじめて英訳本が刊行され、その物語は今なお欧米で高く評価されている。
『源氏物語』はいかにして、時を超え、国境を越え読み継がれる文学作品になっていったのか。11年の歳月をかけて『源氏物語』を英訳し、眠れる紫式部を目覚めさせた王子さまは、一人のイギリスの博物館員だった――。
※本稿は、渡邊毅著『日本と世界の架け橋になった30の秘話「戦争と平和」を考えるヒント』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
『源氏物語』を読んでみたくなった語学の天才イギリス人
大英博物館の館員、アーサー・ウェイリー(1889~1966)がいつも通り日本画の整理をしていると、一幅の絵巻物が目に入った。
一人の貴公子が座し、月を眺めている絵だった。広がる海、生垣のある侘しい住まい、悲しげな眼差しが描かれている。それは『源氏物語』の一場面を描いた「源氏物語絵巻」だった。
『源氏物語』の作者は、紫式部(生没年不詳)。主人公・光源氏の生涯を軸に平安朝貴族の世界を描いた「源氏物語絵巻」は、その『源氏物語』を抒情的に絵画化した日本を代表する絵巻である。
「美しい……」
とウェイリーは、ものの哀れを背景にして浮かびあがる、美の世界に魅せられていた。
ウェイリーは少年の頃から古典に親しみ、古代アイルランド語の碑文の読解に熱中するなど、異なった言語に興味をもつような子供だった。
もとより彼は言語の才能に恵まれていた。ケンブリッジのキングス・カレッジを退学する21歳のときに、イタリア、オランダ、ポルトガル、フランス、ドイツ、スペインの六カ国語が楽に読め、フランス、ドイツ、スペイン語の3カ国語を流暢に話すことができた。
ウェイリーが大英博物館の館員に採用されるにあたって送られた、チューターたちの推薦状が残っている。
「稀にみる学問への熱中、その関心の領域は広く、その研究は独自のもの、新鋭の知的理解の能力をもち、新鮮な対象に没入する」
「人並すぐれた知識と独創力をもつ若者、その関心のすばやさ、その観察したものから彼自身のものをつかみとる包容力は非凡というほかない」
そこには、いずれもウェイリーの並はずれた能力や見識、集中力などが指摘されていた。
ウェイリーの心に語りかける紫式部
休暇でスキーに行く前に、日本へ注文しておいた『源氏物語』がウェイリーのもとに届いた。旅程中、『源氏物語』を読んでいたのだが、自分がどうやって連絡船に乗り込んだか、列車を乗り継いだか、一切記憶に浮かばなかった。はっと気がついたときには、スイスのモントルーについていたのである。
こんなふうに、一旦『源氏物語』を原文で読み始めたら、紫式部の天才性に魅了され、夢中になって惹きこまれてしまった。そして、ウェイリーはその高い文学性に大きな確信を持ったのである。
〈これはまさに東洋最高の、そしてヨーロッパの小説と比較しても、世界名作10点の中にその位置を占める長編小説だ〉
『源氏物語』は世界屈指の名作だ、と確信し自分がその翻訳者として運命づけられたと予感し、この作品の翻訳を決意するのである。
以後11年を費やす翻訳は、それはすさまじい集中力で進められていった。メイドが部屋で掃除機をかけていても、まったく気づかないほどに。
翻訳中、ウェイリーには、紫式部がすぐそばにいるような気がした。絶えず頭の中で、彼女と対話していたのである。
「私のいいたい要点の半分があなたの訳では失われました」
と式部がウェイリーを叱る。
「もしそれ以上うまくできないのなら、すべて諦めるべきでしょう」
「確かにこの英文の一節は、あなたの真価を表わせていません。英語にするとどうしても見劣りしてしまう部分があります。そういうところは、英語にした方が日本語よりもずっと生き生きしてくる部分と差し引いて考えてくれませんか。でも、もっとうまく訳せる人をご存じなら……」
「そこがまさに困ったところなのです」
と式部が笑っていう。
「今のところ、ほかに心当たりがないのです。あなたが続けるしかありませんね」
この仕事は、言語能力だけでなく知性・感性をはじめ、人間としての全能力を発揮しなければならず、時に気力がくじけることもあった。
だが、心の中の式部が語りかけたように「自分が続けるしかない」と思い直し、〈必ずや世界十大傑作にかぞえられるに相違ない作品を訳しているのだ〉という信念を繰り返し自分にいい聞かせて、精魂を込めてペンを走らせていくのだった。